1日中曇り空が続いていたが、夕陽が僅かな隙間を縫って、光の帯を垂らす。
遠方には、テントの大群が見えていた。
一同は安心感に襲われて、賑やかに談笑など交わしていたが。
「ちょうどいい。このあたりで休憩だ」
ハリードはひとり勝手に、大きな岩がいくつも生えた道端へ逸れてゆく。
「この休憩は必要なの?」
相変わらず、遠慮のないエレン。ハリードはもう慣れた様子だ。
「目的地が見えてきた。焦りが生まれたり、気が緩んだりでやられちまうのはこういうタイミングだ」
話しながら、オーラム硬貨をひとつ投げる。岩にぶつかり金属音を立てた。
ゴブリンが潜んでいればこの音に反応して寄ってくるのだ。近場にいないかを確かめる手段だ。
「急ぐからこそ休憩をとって気を引き締め直せ。わかったな」
談笑をしていた若者たちは返す言葉がなく、武器や荷物を下ろし始めた。

ゴブリン以外のモンスターへの対策は焚火。灯りにも武器にもなる炎を嫌う種族は多い。
「良かった。実は、サンドイッチを作ってきたの」
サラが自分の荷袋から包みを取り出した。
「食べる時間がなかったらどうしようかと思っちゃった」
「やった!さすがサラだなっ」
「だから早起きしてたのね。ピクニックじゃないのよ、まったく」
「私だって、お手伝いがしたいの!」
「あんたはみんなの後ろについていればいいのよ!余計なことは考えなくていいわ」
「エレン、モニカ様の御前だぞ」
危険だからと、妹のサラが同行することを良く思っていなかったエレン。トーマスに宥められて黙ると、サンドイッチを受け取る。
しかし、あっという間に食べきるとすぐ立ち上がった。
「これを渡すついでに、見張りに加勢してくるわ。おっさん1人じゃ心配だから」
ハリードの分のサンドイッチを手に、岩場を離れた。

日が出てきたとはいえ、夕刻となれば変わらず肌寒い。
エレンは身を竦めながら男のもとへ。
「はい」
隣に並ぶやいなやぶっきらぼうにサンドイッチを押し付けた。
「かたじけない」
「あたしも見張りをするわ」
焚火を囲んで交わされていた会話を、何となくは耳に入れていたハリード。
居づらくなって逃げてきたのを察して、エレンをそのまま隣へ受け容れた。
「休憩はあとどのくらい?」
「15分ほどだな」
ハリードもまたあっという間にサンドイッチを食べ終えてしまうが、水筒を取り出したところでエレンの視線に気づく。
「ついてる」
「んっ」
小さなパンくずだ。エレンが指差すあたりを探り、手で取って口に入れた。
「しまったな」
「ふふっ」
モンスターの住む森を進む間、ずっと凛々しい表情をしていたエレンが笑うのを、ハリードは穏やかに目に映した。


ふと、ふたりが風の流れの不規則さに気づく。
「なに、あれ…」
曇の晴れ始めた空に視たのは、旋回する巨鳥。
全身鮮やかな赤紫色の羽根に覆われ、翼の羽先に向かっては赤紫〜群青のグラデーションが美しい。
「ガルダウイングか…こんなところに?」
羽の色から、神話に伝えられる、赤い翼をした半人半鳥の一族・神鳥ガルダの名を冠しているが、モンスターである。
高地に棲息する種族で、肉食。かなり嗅覚が利くといい、登山家が喰われるケースが稀にある。
「どうやら目をつけられていたようだ」
「休憩したのがまずかったんじゃないの?」
「腹ごしらえもしたし、ちょうど気が引き締まったところだろう」
ふたりは武器の柄に手をかけた。

「上だ!来るぞ!!」
ハリードの声に全員が視線を上げた。
こちらに向け急降下する赤い影。
「モニカ様っ!!!」
ユリアンが真先にモニカを連れ、岩場の後方の森へ。
ガルダウイングは爆風を巻き上げ、地上すれすれに身を翻すと、再び上空へ。

赤い影はもう一度、空から滑り降りてきた。
どうやら標的に定められたらしいエレンだが、逃げの姿勢を見せず、構えた。
嘴や爪の直撃を避けたとしても、胴体の何処かしらに衝突しただけでも肉体を砕かれるのだろう、
それでも。

 逃げるのは嫌いよ!
 ずっと、戦うことだけにすべてを捧げてきたわ!

エレンを追い立てるのは、エレン自身のプライド。
迎撃のタイミングを割り出すと、それに向かってカウントを開始する。
唱える数字に呼吸を重ねた。

────!

巨鳥の腹の下に潜り込む形で、擦れ違いざまに、その腹を斧のブレイドが掠めた。
嘴も爪もエレンは回避していたが、風圧のことを考慮に入れていなかった。
「……っ!」
猛烈な風と、ぬかるんだ足下。
体勢を崩したエレンに対し、先程のように、空へ戻り加速する事をしないで、
傷つけられたことに逆上したのだろうか、再びエレンを襲わんと、大きな嘴が開かれた。
「お姉ちゃん!!!」
サラが叫んだ、直後。


「エレン!」

聞き慣れない声に名を呼ばれたあと、
風の音なのか、何かの衝撃音か、は判らないが…、
聴覚を塞ぐ轟音がした。

気づいたときには地面へ倒れ込んでいたが、エレンが地面に身を擦りつけることはなかった。
「………」
獲物を捕らえ損ねたガルダウイングは翼をはためかせ、今度はまた上空へと。
これを見送ったエレンは、頬を赤くした。
「大丈夫か?」
要するに、ハリードが下敷きになっているのだった。
その瞳は結構な至近距離にあって、それから、腰を抱いている腕…。
「…あ、あたし…」
武術に没頭してきたから…という理由かは定かでないが、その容姿から人気者の彼女は恋愛ごとに興味を示さず、また人一倍疎い。
男というのは主に対戦相手である。
余談であるがユリアンは、報われない片想いに身を焼いているうちの一人だ。

「よし、次で片づけるぞ」
「わ、」
エレンは手を取られ、いや、腕を掴まれ強引に引っ張り上げられた。
頭上から落ちる羽音。それが止むと、地上への降下を始めたのが判る。
「お前は首を狙え。さっきのタイミングでいい」
たった今の一撃、助けに入らなければ彼女はガルダウイングの胃袋行きだっただろうが、素質は充分。
それを見込んでの、エレンへの指示だった。
「分かったわよっ!!」
「2人は下がってな」
武器を構えていたトーマスとサラを振り返ったハリードの、左脚に視線を吸い寄せられたエレン。
「!」
大きく裂けた衣服と、染みを作る紅い色。




鳴管がけたたましく啼き立てた。
接近の一瞬、ふたりの呼吸がひとつに合わさる。

エレンは嘴をすり抜けた。巨鳥の首に斧のブレイドが食い込む。
ハリードは爪で肉体を刻もうとするのを縫うように身を翻すと、曲刀で胴を深々と掻っ捌いた。

急降下の勢いそのまま、血を撒き散らして森へ滑り込んだ巨体。
翼を幾度かばたつかせたあと、動かなくなった。




エレンは、ハリードと目が合った。
「次にまたあれが出たら、お前に任せるぜ」
云いながら端布を裂くと、左脚を縛る。エレンの目線はそこに注がれた。
「…ごめんなさい」
「掠り傷だろ」
「でも」
「エレン」
エレンは二度目に、聞き慣れない声で名を呼ばれた。
お前、としか呼ばなかった彼の声だ。
「目的地はまだ先だ。味方の掠り傷程度に士気を落としていてはならん。
 日が落ちるまでに到着できるよう、今以上に気を張っていてもわなくては困るぞ」
「…はい」
「ぷっ。よし、行くか」
ハリードはジョークのつもりで、わざと仰々しく語った内容。
エレンも本気の叱責とまでは思わなかったが、未知のモンスターと対峙した記憶に添えておくことにした。
背中を見つめながら、手斧の柄を強く握り締めた。


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