ヨルド海沿岸地方、東に位置する辺境の村シノン。
その周辺に広がる森の、夜明けは薄曇り。
そこへ踏み入れるのは、シノンに住む農民が4人、流れの剣士、そして、ロアーヌ候爵の妹。

「みんな、泥に足をとられないように。この辺りの土は粘土質だ」
トーマスが槍の石突で地面を突くと、肌寒さを残して去った昨晩の雷雨のおかげで、土がたっぷりと水分を含んでいる。
「モニカ様、転びそうになったら俺につかまってください」
「ふふ、わかりました」
あまりのんびりとはしていられない状況なのだが、鬱蒼と生い茂るこの森で、残念ながら馬の足は使えない。
それでもユリアンが冗談めかして発言すると、モニカが笑って、場の空気は和らいだ。


昨晩、ずぶ濡れの姿で息を切らし、灯りの点いていたシノンのパブへ飛び込んできた少女。
居合わせた流れの剣士ハリードは、少女がロアーヌ侯国の姫君であることを云い当てたばかりか、先頃のロアーヌ情勢にも言及。
先代の侯爵が暗殺されてまだ3ヵ月、子息が後継となったが、同じことが起これば、現状、血縁者の中に侯爵の座を継ぐものはない。
爵位を狙う者がいるとすれば、その人物が“同じこと”を…ということだ。
立場上、モニカはなにも語らなかったが、どうやらハリードの解説は事実に遠くない様子であった。

ロアーヌ侯爵ミカエルは軍事遠征で玉座を空けているそうで、モニカはその兄のもとへ報せを届けるため、遠征先へと馬を走らせていた。
ところが中途で馬が潰れてしまい、シノンへ助けを求めたのだそう。
領主を助けたいという農民たちはハリードの制止を聞かず、少々の応酬の果て、5人でこの一件に手を貸す流れに。


先頭を歩くハリードが5人を振り返った。
「お前たちがモニカ姫をきっちりガードしてろよ」
「4人で?」
「姫様の護衛には少ないくらいだ」
「あたしたちはこの森のことをよく知ってるわ。モニカ様の護衛は適任よ」
ハリードに言葉を返すエレンは、手斧を片手に弄びながら、どうやら自信満々。
見くびってくれるな、という強い眼を見て、ハリードは笑った。
「頼もしいな。やっかいなモンスターや追っ手は俺が始末する」

このハリードは、“トルネード”との異名を持つ曲刀使いである、らしい。
田舎の村で過ごす4人には覚えのない渾名だ。
情報通のパブのマスターがそれを聞いて驚いていたのだから、世間では名の知れた人物なのであろう。
その由来を思い知るのは、シノンの森に棲むゴブリンが3体、現れた時だった。

5人は“トルネード”の後姿と、にじり寄るゴブリンどもの動作を交互に見つめていた。
3体、ばらばらにハリードを目掛けた。
あまり厳密なチームワークは持てず、個々が力任せに棍棒を振りかざす。
人間よりも小柄だが筋力が発達しており、殴打されればひとたまりもない。

曲刀を鞘から抜く、金属の滑る音がして、
一瞬、と表現しても、差支えがないだろう。

3体が彼に攻撃を仕掛ける前に血飛沫を上げた、そんな光景は信じ難いものであったが、
確かに5人の目に焼き付いた。
「………」
特に、エレンには。
村の自警団員として武器の扱いを学んで来た者たちとは違い、好き好んで武術に傾倒した彼女には。
トルネードと呼ばれた男の立ち回りに、武人の血を沸き立てられた瞬間だった。




「ずいぶんとモンスターが増えたもんだな。足下も悪いし」
獰猛な肉食鳥をどうにか破ったユリアンが嘆いた。
彼らはあちらから人間を食おうと襲い掛かってくるのだ。数も多い。
モニカの護衛は4人では少ないと云われたがその通りで、それぞれの武器は血や泥で汚れきっている。
村の自警団を率いる立場であるトーマスが静かに答えた。
「実は、クレリックを招いて術結界を張ろうかという話も出てる」
「えっ?」
「たった3匹のゴブリンが6人の俺たちを襲撃してきたのが異常なことだというのは分かるだろう」
「ゴブリンは自分たちより少ない人間しか襲わないはずだって、親父から聞いてたよ」
「シノンには城下町のような城壁もない。そして東の森は歴史を遡っても、誰も踏み入ったことのない未開の地だ」
そこまでしか語らなかったトーマスだが、ユリアンは分かりやすく両肩を竦めた。
「!!!」
息をつく間もなく、異常な速度と跳躍力で茂みの中から飛び出してきたのは、狼。
いや、狼の姿形をしたモンスターだ。
標的はエレンだが、彼女は視覚や脳が判断を下す間もなく、反射神経だけで斧を走らせた。
「でぇいっ!!!!!」
胴体に深々と食い込んだ斧のブレイド。
全身を大きく痙攣させた狼は、すぐに息絶えた。
エレンは平然として、斧が浴びた血液を振り落とす、小慣れた風の仕種。
「さすがエレンだ。術結界の話はまだ先送りだな」
「今、狼が仔犬に見えたぜ」
「ユリアン!!なんか云った!?」
「な、なんでも…」
エレンは幼いころから武術に明け暮れてきた。
実家が営む小麦農家の仕事を午前中に終えると、村の若者を相手に、馬術と格闘をして駆け回る毎日。
その成果として、年1回開催される村の腕相撲大会で、3度目の挑戦にして遂に優勝をかっさらったのだ。
モニカの護衛という役目の最中、モンスター相手に戦闘を繰り広げることが実は楽しいのだとは、口にしなかったが…。

手斧を軽々と振り回す、そんな若い娘の姿を、ハリードが目に留めていた。
「お前、面白いな」
その手斧というのも、農具として用いられる一般的な形状のものよりもブレイドの幅が広い。
武器として販売されている品であろう。
「お前じゃなくてエレンよ、おっさん!」
「おっさんじゃなくてハリードだ」
昨日の夜が初対面だった。

──おっさん、あんた口は達者だけど、その曲刀はただの飾りかい?

屈強な剣士がモニカのことを解説してみせたところ、若い娘にこのようになじられる結果となった。
武器を提げた見ず知らずの男を、警戒するよりも先に、喰ってかかる。ハリードにとっては前代未聞だった。
飾りではないこの武器をふるわれる可能性は、さすがに考慮していたと思うが…。
「なにをジロジロ見てんのよっ!エロオヤジ!」
若い娘は、先頭に立つ役割のハリードを追い越す勢いで歩みを進めて行くのだった。


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