陽が高くなり、最後の“ひと泳ぎ”に出るエレン。
この日はとうとう、浜辺から見守るハリードがその姿を見失うほど、沖合の遠くへ行ってしまった。
「こんにちは♪」
「お兄さん、暇そうね?私たちと遊びましょうよ」
木陰のベンチで沖合を見守っていると、声をかけてきた2人組の女。
ハリードとは年齢が近そうだが、その割には派手な柄の水着に、恐らく海には入らないつもりのヘアスタイルと化粧。
「せっかくだが連れがいるものでな」
「女?」
「ああ」
ブロンドの髪の女が、ベンチの空いた場所…ハリードの隣へ座り込んでしまった。
「でも貴方を放り出して、姿が見えないじゃない。そんな女、こっちが放っておきましょうよ」
「ホテルバランタイン最上階のスイートルームを取ってあるわ。豪勢なディナーと年代物のワインもオーダーしてあげる」
ハリードの腕に自らの腕を絡め寄り添うと、豊満なバストをわざとらしく押しつけた。
そこまで執着していただけるのは自分が魅力的だからなのか、軽い男に見えるからなのかを気にしてみる。
いや、もしくはこの女2人が物好きなのか。
「女に買われる趣味はないな」
「つれないわね…、そそられちゃう」
ディナーを済ませ、ワインで酔ったら、情事にふける、か。
こういった駆け引きにケチをつけようというのではないが、ただ、残念ながらハリードにはそれを愉しむ性質はない。
「もっと乗り気な奴を捕まえることだ。渋々ついて行ったところで俺は機能しないと思うぜ」
「でも私、男には評判いいのよ」
女は、自分の唇を指で開いてみせた。
ハリードも流石にこの仕草の意味を鼻で笑って、会話を中断させる。
それでようやく2人の女は手を振り去って行った。乗り気になったら声をかけて、と云い残して。
もしついて行っていたら、エレンはどんな顔をするだろう。
南国の強い陽射しが、白い砂に落とす影のコントラスト。その境目に視線を移して、やがて瞳を閉じた。
額に何かぶつかった感触。
浅い眠りを、瞼を上げて追いやると、エレンの顔。
「あんたの間合いを取ったの、これで2回目かしら」
感触を思い返してみると、彼女の拳だ。
額をさする仕種に嬉しそうに笑って、隣に腰を下ろした。
「やられたか」
「珍しいわね、こんなところで眠りこけるなんて。あたし、寝顔をまともに見たの初めてよ」
寝起きでぼんやりとしているハリードには構わず、すぐ別の話が始まる。
「それより、あたし大変だったのよ。沖のほうで脚が攣って溺れかけたの。なんとか冷静になって、爪先をひっぱって治したけど」
体で再現しながら話してくれる様子は、先ほどの2人組とは大した違いだ。
そうそう、その2人組のことを話してみなくては…。
「俺のほうも大変だったぜ。一緒に遊びましょうよ、って女2人に声をかけられてな、数分間まとわりつかれた」
「へえ。物好きもいるのね」
魅力的でも軽いのでもなく、相手が物好きとの答えが思わぬところで出てしまった。
お前はどうなんだ、と云ってやろうかと考えたハリードだが。
「それで、約束は何時?」
これはジョークなのか、真面目な問いなのか。妙に胸に引っかかって、エレンの横顔を見つめる。
「俺はお前の目には厚化粧の女について行く男に見えていたか?」
「…そういうわけじゃないけど」
夜になれば繁華街へ。
ビーチの賑わいをそのまま持ってきたような活気で(実際、ビーチにいた客が大移動している訳だが)、人混みを文字通り掻き分けて歩くのには辟易した。
適当な店を見つけて入り、10分ほど待たされ、ようやく壁際のテーブルで腰を落ち着ける。
「ハリードといると、声をかけられずにすむのよね」
「そんな理由で連れられてるのか、俺は」
混み合う店内で、ようやくウエイターが注文を聞きにきた。
先に注文を済ませたハリードに続いて、エレンは店員におすすめを訊く。
それにするわ、とオーダーして、ウエイターが立ち去ると同時に、ハリードが続けた。
「まあ、いくらお前が腕が立つとはいっても、こういった人の多いところでは、何があるか分からんからな」
「でも、もう人さらいの海賊はいないんでしょ?」
西のエデッサ島はメッサーナ王国の領土。海賊討伐ののちに要塞が築かれ、今や海賊稼業に出る者はない。
しかし、要するに的外れなエレンの発言である。ハリードは笑った。
「海賊じゃなくてもだ。お前みたいな女を誰も放ってはおかん」
大きな瞳が、ぱちぱちと瞬きをした。
エレンは昼間、彼が女性から声をかけられたという話を思い返していた。
彼のほうこそ、今日だけでなく、異性からはたびたび声がかかる。
「…ハリードだって」
鼓動がやたらと早まって、何だか顔が熱いのも分かる。
「俺がなんだって?」
「もう、いい!」
「せっかくだから、聞かせろよ」
話を終わらせようとしたのに、見つめてくる深い色の瞳。
そこにいるのは、ずっと一緒に過ごしてきた彼だけれど、どこか、彼でないような。
鍛えられた肉体だとか、彫りの深い目元だとか、男性としてのからだの特徴ばかりが飛び込んでくる。
「ハリードだって…、女の人から放っておかれないじゃない」
「なら、お互い様か」
それきり、エレンは黙ってうつむいた。
ふたりでの旅が始まったきっかけはあったが、何の口約束もないまま、ふたりは時間を共有し続けている。
それは居心地の好い、曖昧な関係性のおかげなのだろう。
それ以上のことが必要かと云われたなら、今は、要らない。
けれど、いつか、答えを用意しなくてはならない時がやってくる。
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