3日で体の鈍ったふたりは、翌日ものんびりと過ごした。気づけば西日が眩しい時間。
この日グレートアーチを発ち、ピドナを経由してリブロフへ向かう旅程が決まっていたが、船が19時なのだ。
ハリードの亡郷の者が移り住んでいる街で、古い知人がいると聞いたエレンが提案したものだ。
世界最大の街ピドナとを結ぶ豪華客船。
客室の設備は街の宿屋と同等の造りで、船内にはレストランやバー、プール、小規模だがカジノもある。
3泊4日もの間、船に閉じ込められるということを考慮すれば、このくらいの娯楽も提供されていて当然だろう。
賭博には興味のないふたりだから、カジノの有難みは感じられなかったが。
ツインルームで、つい先ほど纏めたばかりの荷物をまた広げる。
「ハリード、リブロフへ行くのって、久しぶり?」
「いや、数年前にルートヴィッヒが居なくなってからは何度か」
「よかった。もしかしたら、無神経な提案だったんじゃないかと心配してたの」
失われた故郷のこと、二度と顔を合わせたくない男のこと。エレンには度々気遣わせている部分だった。
「お前は行ったことはあるか?」
「ううん」
「それなら俺が観光案内を、と云いたいところだが、これといって何もない」
笑ったエレンの頭を撫でた。
夕食のあとはバーへ。いいムードの男女がちらほら居るようだが、武術の話で盛り上がっている男女が一組。
技の使い方を伝授する異様さで視線を集めていたものの、そのうち、女の方がぐったりとしてしまった。
「お前、そろそろやめておけよ」
「うん…。今の技、明日また教えて…」
船上では酔いの回るのが早くなる。その知識はエレンにもあったが、調整は難しかったようだ。
ふらふらと頭を揺らしたあと、とうとうぐったりとテーブルに突っ伏してしまう。
グラスの半分量が残されていた果実酒は、氷が融けて嵩を増していた。
「もう戻るか」
「あたしだけ戻るわ。飲んでてよ」
「行き倒れになるぞ、その様子じゃ。広い船内で遭難だ」
「でも…」
カウンター席で、隣のエレンの背中をさするハリードの腕。
そのまま肩に手を持って行き、体を自分の方向へ傾けさせた。
酔いのせいなのか、彼女からも懐くようにして体を擦り寄せてくる。
長い睫毛が伏せられ、無防備に開かれた唇。
男は放っておかない…、そのように本人へ告げたことを、今になって実感として確かめる。
独りにはできない、いや、独りにしたくはない。
この女性を、そばに置いておきたいと、そう思っている。
「そろそろいい時間だ。戻るついでにお前を引きずって行ってやる。 …ってことでどうだ」
「表現の問題だったのね」
「お前に優しくしてやっても何も返ってこないからな」
「…何をお望みなのかしら?」
エレンは肩に頬をつけて、笑う。
足元のおぼつかないエレンの腰を抱えながら、途中で潮風を浴びに甲板へ。
気持ちよさそうに深呼吸をするのを、ハリードがそばで見守った。
そしてエレンは、客室でベッドに横になるとすぐ眠りに就いた。
その彼女に、愛しさ、のような感情を抱いたのは、初めてではない。
客室の窓から、漆黒の海を見た。
エレンと歩いた波打ち際と、同じ海と思えない、命を吸い込みそうな黒色。
神王教団に、故郷ゲッシア王朝を滅亡させられた過去。
一度は義兄弟の契りを交わした男との断絶。
派閥や権力を巡る争いの勃発はいつの世に於いても常である。メッサーナ王国も現在、混乱の中、玉座が空いている状態だ。
破滅や敗北は必ずどちらか一方が味わう。
それに甘んじなければならないと解っていながら、いつまでも振り切れずにいる。
頭の隅の、霧が掛かった場所。
触れてはいけないと、ずっと、近づかずにいたのに。
この晩ハリードは、とうとうその奥へ行き着いた。
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