飲み物をこぼしてしまったら片づけをする、という程度のことにも手をつけられずに、バルマンテは、眼前の白い肌に血迷っている。
愛着…と呼ぶには少々、壮絶すぎやしないか、そんな葛藤すら消え失せてゆく。
「…くすぐったい」
「…」
腰や腹に唇を落としながら、バルマンテは自分の洗い髪から流れ落ちる滴で頬を濡らした。
それがアーサーの皮膚の上にも注がれるのをいいことに、指先で肉体をするすると撫でてやる。
いくつかのブロックに分かれた筋肉の、境目をなぞってみたりだとか、筋肉が薄い部分を探ったりだとか。
「そういうこと…、女の人にもするの?」
「さあな」
「…っ」
腰が浮いたところに腕を差し入れ、薄い胴体を抱える。今度は水分を舐めとるように舌を這わせた。
体を動かすことを特に好まないようだから、適度に皮下脂肪がついて、感触が好い。
「…んっ、もう、ヘンタイ!」
「何とでも云え」
「じらされる僕の身にもなってよ」
そんなアーサーが鞄を手繰り寄せ、取り出したのは小瓶。なかなかお目にかかれない、毒々しい紫色のガラス製だ。
手渡されたバルマンテの眉間に露骨に皺が寄る。
「ただの潤滑剤だけど、疑ってる?」
たった今手渡したものを持ち主の手がすぐにまた取り上げ、封を切る。
ごつごつした大きな掌を上向きにさせて、中身を注ぐ。粘度の高いオイルで、甘い香りが嗅覚を撫でた。
「催淫効果もあるって書いてあったから材料を見たら、フルーツとか蜂蜜とか。子供だましみたいでしょ」
材料や効果について語られたところで、バルマンテは、掌にたっぷりと注がれたオイルに気を取られなくてはならないのだ。
「承諾を得る前にこれとはな」
オイルにまみれた手がふたりの視界の外へ。

その手指が触れたのは、血流が増して疼き始めている、アーサーの雄の象徴だ。
「やだ、ちょっと…っ」
「今度はなんだ」
すぐに根元から先端までにオイルが塗りたくられ、ぴちゃぴちゃと音を立てて扱かれる。
「そっちじゃ、な、…」
同性であるわけだから当然、バルマンテは的確だ。
なおかつ、平均値以上の握力による刺激が、オイルのおかげで滑らかに上下するのだから、たまらない。
「あっ、あ、…ぁ、」
アーサーはこれよりもう少し後ろのほうに触れて、解して欲しかったようだが。
抵抗の手立てはなく、あっという間にのぼりつめて、
自分の腹の上に熱い液体が散らばったことと、それが自分の吐き出したものであることを結びつけるのに、数秒かかった。
「…、」
「大人しくなったか?」
小瓶の中身をまた指先にまで絡ませながら、アーサーの頬にキスを。
一度果てたせいか、色の差した表情をして、水分を溜める瞳が無防備にまたたいた。
「バルマンテ…」
「分かってるよ」
「ん、」
指の節が張っているおかげで、抜き差しのたびに入り口に引っかかって、アーサーが息を殺す。
腰の奥がじんじんと熱くなりはじめた。しかしそれは決定的な刺激には程遠いもので、もどかしく、体をふるわせる。
縋るように大きな体を抱き寄せたら、少し荒れた唇が、首筋に咬みついた。


紫色の小瓶が空になる。アーサーがそれを見るや、バルマンテの手から奪い取って、乱雑な手つきでサイドテーブルへ。
「早く、きて」
木製のサイドテーブルにはコーヒーの染み、そこへオイルの染みが加わってしまったが、弁償をするのなら幾らになるか、は、あとから考えることになりそうだ。
力で押し込んでしまうのが簡単なぶん、おそるおそる、の調子で雄の熱が割って入ってゆく。
「く……、」
「…まだ、きついんじゃないのか」
「いいから、」
精液の匂いと、コーヒーの匂いに雑じって、例の、甘い香りが鼻についた。

「アーサー」
妙に情感のこもった声音で、名を呼ばれた。
心臓を掴まれるような感覚がして、アーサーが呆然と、処刑人の瞳を見つめる。
「なぜお前は、俺に近づく?」
肉体を繋ぐために、愛の囁きが前提になくてはならないなんて、アーサーは考えたことがない。
「…そんな話、あとで聞くから、おねがい、もう…」
膝が胸につくほど体を折り曲げさせられた。




高級そうなコンフォーターに金糸の刺繍が施され、ちかちかしているのが、バルマンテは気に食わない。
そんな苛立ちがまぎれて、行為をエスカレートさせる。
じっとりと絡みつくように収縮する器官を、遠慮なしに掻き分けた。
赤らむ肌を、ささやかな灯りが照らす。
「へんなとこ、当たっ、……っ、」
アーサーが何度か吐精するのはもちろん分かったが、それを気遣えるほどの余裕もない。
「あっ、あ、…」
体を捩り、反らせて、シーツを力なく掴む。
涙をこぼしながら、首を横にふっているが、バルマンテにとっては煽り立てられるしぐさでしかなく、構わずに肉体を揺さぶる。
「……、ひっ、ぅ」
「催淫効果とやらはどうだ?」
「分かんな、い、」
胡散臭い小瓶に入った代物の、胡散臭い効果など、実のところ、どうでもいいことだ。
精を搾り取るような蠢きかたをする、この男の肉体の反応がいとおしく、そんな中でバルマンテの発したこの問いかけはうわ言に近い。
「あ、あ…っ、…うっ」
いよいよ、バルマンテの動きが妨げられるほどに器官の収縮が強まる。
「……、……っ、だめ…、」
胴体が反ると、腰のくびれと肋骨が浮かんで美しく、
しかし、白濁した液体が皮膚の上をとろりと這う。
絵画にして残しておきたいと考えてしまったことは、間違いない、倒錯だ。

ベッドの軋む音、荒い呼吸の音、性器が粘液に擦れる音、
「ねぇ、バルマンテ、…からだ、溶けちゃいそ、」
「いい顔だな」
「…っ」
「アーサー、」
バルマンテの手が、アーサーの震える手をとったなら、握りしめて、
肉体の奥深くに、欲望を吐き出した。
「バルマンテ…っ」
「…、はぁ、」
「………」
途端に、時計の秒針の音が割り込んできた。


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