寄り道をせず宿へ。
ランプに火を入れると、なかなかグレードの高い客室の模様が照らし出される。
遠い遠い北東界外までの旅の終わりだからと奮発した…いや、単にガラが悪い街だから、セキュリティを重視しただけか。
鞄をベッドへ放り投げたアーサーの手がそのまま、バスローブをハンガーからひったくって、さっさと浴室へ。
深夜の時間帯、あっという間に静寂が勝る。

バルマンテが浴室から出ると、コーヒーの香り。
ベッドサイドテーブルにティーカップが二つ並んでいるのを見つけ、そちらへ向かう。
「淹れてくれたのか。すまない」
「どういたしまして」
ベッドに腰掛け、バルマンテの荷物の中にあった医学書を膝の上に開いている。
そのアーサーがぽんぽん、と隣を叩くので、素直にそこへ腰を下ろした。
「シグフレイの話」
「あの場を抜ける口実ではなかったのか?」
顔を見合うと、バルマンテの手が、開いているだけで読んではもらえていない医学書を取り上げた。

「あの人は『七度蘇る』と云って、そのために六度の処刑を望み、悪行をはたらいた。
 だから、次にまた姿をあらわしたら、そのときはもう、処刑は望まないはずだよね」
とうてい理解のできない言動を続けているシグフレイだが、このあたりには既にバルマンテの想像も及んでいる。
「首を落とされる以前に犯した罪を、蘇ったシグフレイに着せるかどうかは帝国法の解釈の問題。蘇りを認めていればそう判断しても良さそうだけど、前例はない。
 何の罪も犯さず、私は別人だ、なんて云いだしたら、君は手出しをできない可能性がある。それがシグフレイの姿であってもね」
七度蘇り、正義を為すつもりだ…と語るシグフレイ。その真意は誰にも分からない。
「…君は、シグフレイを悪だと考えているわけではないでしょう。帝国法によって斬首とされたから、刑を執行しただけにすぎない」
「ああ。その通りだ」
「シグフレイは君のこと、支配する側に必要な能力を備えているとか云ってたから、取り込むつもりがあるのかも知れない。
 今話したような、処刑を行えない状況になったとして…、君は、シグフレイから誘いの言葉をかけられたら、一から吟味する。
 その誘いがもしも、君が手を貸そうと思えるようなことだったら…」
「そうなれば、俺は奴に手を貸すのかも知れんな」
じりじりと、ランプの芯が焦げる音。
オイルが尽きたかと思い、視線をランプへそらしたバルマンテの腕に、細腕が縋る。
「僕が引きとめても?」
ランプオイルはひと晩の使用に充分な量が満たしてある。
単に炎が大きく揺れただけだったのだが、それがアーサーの瞳のハイライトを揺らして、バルマンテの気を引いた。
「お前は奴を、悪だと考えているのか」
「そんなこと、ないけど」


強い力で、大柄な男の半身が引き寄せられた。
整った風貌にふさわしく、よく手入れがされた唇は、思う以上にやわらかく、
少々の力をこめてやんわりと突き放そう、と考えていたはずのバルマンテが、手を止めた。
一度、二度…触れたあと、アーサーはまるで試すような目つき。
背筋に切ない何かが這いあがる、その直前のタイミングで、キスがやんだ。

ドサッ、ガチャン、…と、この時間帯にはよく響く物音が、二つ。
「…」
どうやらこの痩身の男を押し倒してしまったらしい…と、自覚をするのがずいぶんと遅れた。
数秒前に聴こえたのは、滑り落ちた分厚い医学書がサイドテーブルの脚にぶつかり、ティーカップが倒れた音…だろう。
「アーサー、お前は…」
何か云おうとして、言葉に詰まり、やがて思考を巡らせることもままならなくなる。
素性の知れない書記官の男の、輪郭の美しさにさそわれて、指先で頬を撫でた。
「バルマンテ」
名を呼ぶ、その唇が薄く開かれていたから、口づけたらすぐに、舌を挿し入れた。

呼吸もままならなくなるほど、貪って、
そのうち脚を絡ませ、劣情をすり合う。




「僕を抱いて。バルマンテ」


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