クラッチングハニー

処刑人の斧に首を落とされたはずの男が、そしらぬ顔でその姿を現すこと。
死霊使いに甦らされたとか、怨念によって腐った肉体が動くようになったとか、そういう現象とはまるで違うらしいのだが、
あの男が眼前に、首がつながった完全体で立っていても、もはやその原理を追う気にならなかった。

このたびは帝国領の外側、雪深い北東界外にまで足を伸ばした。
処刑人の斧に首を落とされたはずの、元コハン城執政シグフレイは、六度目にその首を落とされ、鮮血を撒いた。


何十日もかけて、州境の町タイファにまでたどり着いた。ここからようやくケイ州へ戻る。
ケイ州はコハン城の法定処刑人バルマンテと、シグフレイの部下であった法務書記官アーサー、そしてアーサーが連れている護衛団。
一行は口数がすっかり減っている。夕暮れに浮かぶ町の灯りを目にすればいくつかのため息がもれた。
「ここで一泊しますか?」
旅の日程を几帳面に管理してくれるのはパトリシア。
「いいさ。疲れてるついでにナングーンまで行っちゃおうよ。日付が変わるまでには着くでしょう」
「はぁ〜?」
ため息、にしては語尾が上がって、アーサーが後ろを一睨み。
「一番若いくせに疲れて動けないとでも云うつもりかい。アイザック」
「ちっ」
ふだんは柔和な振る舞いをするアーサー、彼にとってアイザックは手足のように使える“下っ端”らしいが、いつも当たりが強い。
かといってアイザックも反抗的な態度は隠さないのだ。
マリオンが横から口を出した。
「ナングーンにあたしの知り合いの店があるから、そこまで行こうよ。安くしてくれるよ」
心地の悪い緊張感はそれで無かったことになり、一行の足は西の方角へ。


アーサーの言葉のとおり、もうじき日付をまたぐというころ、ナングーンへ到着。
マリオンの知人の店へ行くグループと、宿へ大きな荷物を置きに向かうグループとに分かれたのち、店の個室で合流した。

好き好んで護衛稼業に身をやつすロバートは『護衛業はなんたるか』といった話をアイザックに聞かせている。
へえへえ、と空返事のアイザックだがお構いなしである。
「ねぇ〜パトリシア、今日はあたしと一緒のベッドで寝ようね」
「はいはい」
「お風呂も一緒に入ろう!」
アーサーがパトリシアをスカウトしたとき、彼女にくっついて来たのがマリオンで、酒が入るといっそう、彼女にべったりだ。
かっこいい、キレイ、すてき、といった賛辞を浴びせている。女性特有の華やかさのお陰もあってか、先ほどのような緊張感が取り付く隙は無い。
そのかたわらで、空になったグラスや皿をテーブルの隅へ片付けるクローバー。
それを見つけてバルマンテも同じように、空の食器を重ねてみるが。
「あたしがやるから、いい」
「そうか」
つっけんどんな云いかたをされて手を引っこめたバルマンテを、アーサーがけらけら笑う。
「クローバーは独りが好きなんだよ。放っておきなって」
「…」
それぞれ奇妙な長さの糸に結ばれた一団の、奇妙な飲みの席。
マリオンの知人だという、酒やけ声の女性店主が顔を出しにくると、処刑人として名の知れているバルマンテが握手を求められた。


「さてと。僕はお先に失礼しようかな」
一時間も経たないうち、アーサーがそう告げてグラスを置いた。
ほとんど反射的に立ち上がったのはロバート。ここまで当然のように禁酒を貫いているプロ意識たるや。
「あぁ、いいよ。今回の件でバルマンテと話がしたいんだ。護衛ついでに彼を連れて行くよ」
数枚の紙幣を取り出してテーブルへ押しつける。飲み代にしては高額で、アイザックが分かりやすく身を乗り出した。

「いいでしょ?バルマンテ。今夜は僕の護衛」
白い肌のその腕が、処刑人の丸太のような腕に絡みつく。
碧い瞳が処刑人のまなざしを吸い込んだ。

「え〜、やだ!バルちゃんも飲もうよ〜」
「シッ!いいじゃねーか、行かせろよ」
「処刑人、頼んだぞ」
ガヤガヤと喧しい個室から、ふたりの姿がなくなった。




ナングーンの街は栄えている、さらに具体的に云うと、ガラが悪い。
この深夜の時間帯でも人の往来があって、客を呼ぶ売春婦の甘い声も、酒に酔った男どもの口論の声も、にぎわいのうちだ。
「アーサー、話とは何だ?」
あれからずっと絡めていた腕がするりと抜けて、アーサーの足がバルマンテの行く手を遮ると、向かい合う顔の、その表情は不敵。
「あの場を抜ける口実だよ。あの人たちが僕の悪口で盛り上がる場も作ってやらないとね」
「そういうものか」
「バルマンテには分からなくていいんだよ♪」
「それにしても、パトリシアはいったい何者なのだ?」
シグフレイの居場所、行動、その周辺で起きていること。何もかも彼女が情報を持ってくる。それは今回のように帝国領の外にまで及んだ。
「さあね。僕は彼女のことを何も知らない。優秀だから雇っただけ」
「旅程の管理に野営の食事と、助けられてばかりだ」
「興味があるなら、直接パトリシアに訊けば?」
尖った声、に聴こえて、バルマンテが気にかけた。
かと思いきやアーサーは笑って振り向く。
「あの右肩の蝶のタトゥは、巨大組織の幹部クラスが入れるものだとか、裏社会の大物が自分の女に入れさせているんだとか。僕の耳に入った噂はこのくらい。
 でも、僕には無関係だ。いつでもあの人たちを捨てられるように、肩入れなんてすべきじゃない」
バルマンテは口を噤み、話の続きにも黙ったまま耳を傾ける。
「アイザックを牢屋へぶち込むときと、クローバーの両親の処刑のとき、僕が書類を担当したから、この二人の年齢と家族構成は一度見たけど、忘れたな。
 マリオンなんてどこの女なんだか、さっぱり。パトリシアの女ってことでいいのかな?ははっ」

パトリシアは何者なのかとアーサーに問うたバルマンテだが、そもそも、付き合いが長いわりにアーサーの素性もよく分かっていない。
「あーあ、これでまた仕事に追われる日々かぁ」
あちらこちらで女性を口説いて回り、しょっちゅう処刑部門の棟にさぼりに来ては、デートの感想を一方的に聞かせてくるような男。
裏稼業に手を回しており、護衛団のメンバーはそこで見つけてきたようだ。
「ろくに働いていないくせにな」
「バルマンテだって、今はヒマでしょ」
人間の命を絶つ処刑人という職業柄、積極的に人に寄り付くことをせず、また人から寄り付かれることもなく、静かに暮らしてきたバルマンテ。
それを騒がしくしてくれるアーサーに対しては、愛着のようなものが芽生えている。
素性が知れなくとも、冷淡な一面を垣間見ても、それは揺るがない。


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