the second chapter: strange land

ツヴァイクから、陸路キドラントまで。船を乗り継ぎ、雪の融け切らないランスへ。
昼間は寝てばかり…と評判の天文学者ヨハンネスの館を訪ねると、なんとその彼がひょっこり顔を出した。
「おや、これはこれは…」
「覚えていただけていましたか。先日はありがとうございました。実は、またお話を伺いたい事情がありまして」
アビスゲートに関して、世に発表するでもなく独自の研究を続けるヨハンネス。
どうやら真昼間から起きて活動しているのが偶然ではないらしい…ということは感じ取れた。
「あなたがたが訪ねてくださるのを待っていましたよ。さあ、中へ」
厳しい顔つきをして、5人を招き入れた。


2階の研究室。広さはあるが書斎部分の雑然たる状況に圧倒される。
その書斎の主は定位置につき、隣合せのテーブルに5人が座った。
彼は魔王殿のゲートを最後に、4つのアビスゲートが全て機能を喪失したと、天体観測の結果を以て把握していた。
「…ヨハンネス、あたしの妹が魔王殿のゲートの向こうへ消えてしまったの。まだ機能するゲートは残ってないの?」
トーマスが続けた。
「魔王殿のゲートは装置を破壊していないんです」
ヨハンネスは驚いた様子で、改めて5人を見回した。
単純に、ゲートの状態を訊きに来たものと考えていた。
「まさかとは思うが、アビスへ行くつもりで?」
「そうよ」
「………」
人間がゲートに侵入した経緯については問わなかったヨハンネス。目の前の女性の身内と聞き、遠慮してくださったのだろうか。
手元の書類やノートを代わる代わるに眺め、更に厳しい顔をする。
「装置が残存していたとしても、一旦閉じたゲートを再び開くには、それこそ死食のような、絶大なる負のエネルギーが必要です。
 残念ながら魔王殿のゲートを使うことは不可能に近いでしょう。 ですが…」
来訪を待っていた、と云った彼が、新たに掴んだ事実。
「アビスゲートが閉じるたび、星の位置のズレが元に戻ってゆきます。ズレの方向が各地のゲートの位置に呼応しているのです。
 それによりいつどこのゲートが閉じたかが分かるわけです」
天文図を指し、4つの方向へ指を滑らせてみせた。それぞれ4箇所のアビスゲートの方角だ。
「しかし、星の位置のズレが、まだ微かに残っているのです」
ヨハンネスの指は、東の方向へ。
「東…タフターン山ではないのか?」
「いいえ。少なくとも4箇所のゲートによるズレではありません。ずっと違和感があったのですが、おそらくもう1箇所…」
5人は息を呑んだ。
魔王のこと、聖王のこと、『4つ』のアビスゲートのこと。
どうやらヨハンネスの研究は、この世界の誰も知らないことにまで、手が届いてしまいそうだ。
「魔王殿のゲートが閉じた日から昼夜を徹して調べていますが、古い書物にも手掛かりが見つからない。
 5つ目のゲートが東の方角にあると、ただそれだけしか分かりません」



東の世界。
600年前、魔王軍に最後まで抵抗を続けた国が、現在のロアーヌよりも遥か東方にあった。
しかし、その戦況を西へ伝える者がいなかった。
東方へ進出した以降に魔王の行方も判らなくなっており、相討ちとなったのだと解釈されている。

300年前、聖王が東の復興を目論み視察へ出向いた。
ところが土は枯れ果て、緑が無く、気候も荒れていた。聖王は復興計画の作成に取りかかることもないまま断念するに至った。
その経緯から“見捨てられた地”と呼ばれ、西の人間が足を踏み入れる事は無く、永きに渡って断絶されていた。



「いい報せだわ、ヨハンネス。ありがとう」
「聖王ですらアビスへは身を投じていない。ゲートから流れ込みこの人間界を狂わせる邪気そのものが満ちている世界だとしたら、
 あなたがたの体が保つかどうかも分からないんだぞ!」
見るからに気難しそうで、観測と研究の成果を伝えることしかしなかった天文学者が、初めてそんな言葉をくれる。
エレンは笑った。
「泣いて暮らすより、当たって砕けてくるほうがましよ」
席を立ったエレン。続けて、4人もテーブルを離れる。
「そういうことだ、ヨハンネス。世話になったな」
そう声をかけたハリードが目配せをして、あれを引き留めても無駄だ…とヨハンネスに教えた。

「みなさん、どうかご無事で…」
道標を示してくれた変わり者の天文学者は、5人の行く先を唯一知る人間となる。




パブへ立ち寄り、地図を広げて東への進路を検討した。
かつては砂漠地帯がその玄関口であったと云い伝えられるが、数百年の時を経て気候や地形に変化をきたしているはずだ。
ナジュ砂漠出身のハリードに視線が集まる。
「砂漠の東側へ出かけて帰ってきた奴はいないぞ。途中からは河になっている。
 泥水、と云っても水の割合が極端に少ないらしいが、流されると戻れなくなると聞いた。乾いた大河と呼ばれている」
お次は、地図の東の終わりにあるシノン出身のエレンとトーマスに。
「シノンの東側はどうなってるんだ?」
「ずーっと森よ、多分」
魔王の時代に壊滅的打撃を受けたのなら、地図が存在しないばかりか、情報すら伝えられない。
するとトーマスが語り始めた。
「祖父に聞いたことがあるんだけど、あの森はひたすら広大で、どこかで空間のひずみが生じているらしい。
 なんでも、迷い込んだ人間の死体がまったく見当違いな場所で発見されて、“ねじれた森”と名づけられたとか」
「砂漠よりも森のあたりの方が気候は良さそうだけど…」
「敢えて過酷な砂漠地帯から往来していたことを考えると、あながちおとぎ話でもなさそうだ」
ひとまずの目的地はナジュ砂漠。この日のうちにランスを発った。



ナジュ砂漠にある神王教団の街。
ここが西で最後の人里となる。道具屋に長時間居座ってようやく持ち物を纏め、晩は宿をとる。

ハリードとエレンは、いつものように2人部屋。
窓際で雑談をしていたが、やがて途切れてしまい、しばらく黙って佇んでいた。
「ハリード…」
ずっと、エレンの顔色を気にかけている。少しずつやつれてゆく横顔を、ずっと見守っている。
頬を撫でてやると、涙を溜めて、うつむいた。
「あたしを、助けて」
あとの3人の前では、普段のように振る舞っているが、夜になればそれがぷつりと切れる。
ようやく眠りに就いてもうなされ、深夜に何度も目覚めているのを、ハリードだけが知っている。
ましてこれから、誰も知らない場所へ向かうのだ。

エレンの体を向かい合わせにさせた。
「怒るなよ」
ハリードの右掌が、エレンの胸、心臓の上へ触れた。
こんなことをすれば怒鳴り散らしてくるはずが、なすがままでいるのがまたハリードを不安にさせるが…。
右掌をエレンの胸に、左掌を自分の胸に当て、息を吸って、目を閉じる。
「立ちはだかる者が強大ならば武器を手に、その片腕となろう
 血を流すのならば盾となり、その次の深手を引き受けよう」
云い終えて瞼を開き、きょとんとするエレンに微笑う。
「ゲッシア軍へ加わる際の儀式だ。新入りが軍師に対して行う」
「……??」
「敵軍から寝返ってきた奴がスパイでないか、見極めるためにやらせたのが由来らしい」
相変わらず気の抜けきった顔のエレンを、構わずに抱きしめた。


「俺が、かつて祖先の墓であった廃墟へ向かった。その奥で過酷な試練を受け、死の淵をさまよった」
エレンは傷だらけの体にまた傷を増やして、この砂漠の街へと連れ戻してくれた。
「あの時、お前に救われた命だ。お前に預けるつもりでいる」
「………」
ようやく意思の見えた、エレンの眼差し。
綺麗な二重の瞳が瞬く回数を数えてしまうほど見つめていると、涙を落とした。
体も、痩せているだろうか。腕の中にいるエレンは月光にまぎれて消えてしまいそうだ。
キスをすると、乾いて冷えた唇。
「今夜は冷えるな。一緒に眠ろう」
額をつけ、ふたりで瞼を伏せた。


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