到着したピドナの港は被害を受けてはおらず、普段通りの活気を見せていた。
物流が滞ってしまえば各所に影響が出るのだから、機能するならば否が応でも活気を保たねばならないのだろう。
街中へ向かえば、生々しい混乱の爪痕。
家々の外壁が破壊され、それの片付けや改修を行う以外の人の姿が無い。


心構えの不十分そうなエレンの様子を見て、ハリードはまず、港からすぐのパブへ。
客が少なくがらりとした店内。店主は笑顔でふたりを迎えた。
「マスター、大変だったわね」
カウンター席へ座る前にそう声をかけると、笑顔と苦笑をすり替える。
「身近にこんな騒ぎが起こるとは思っていなかったよ」
「旧市街はここよりも酷かったんじゃないか?」
「そうなんだよ。犠牲者も出てしまってね…」
魔王殿周辺はピドナ旧市街。『ピドナスラム』という通称の通り、貧困層や訳ありの者が住む。
「不幸中の幸いというか、襲撃は昼間でね。すぐに近衛隊が駆けつけて、こっちの新市街は建物の被害だけで済んだんだ」
トーマスとサラが暮らすのはピドナ北、王宮近くの一等地だそうだから、旧市街には縁はないはずだ。
注文したコーヒーに角砂糖を溶かしながら、サラとトーマスの顔を順に浮かべ、不安を撫でつける。

「魔王殿へ向かった2人っていうのは強い人たちなの?」
「お客さん、旅の人みたいだけど知ってるかい?シャール様さ」
初めて聞いた名前を念のため記憶の中に探ってみるエレンの一方、ハリードはすぐにマスターへ返答した。
「刑罰を受けたとは聞いていたが、生きていたんだな」
「噂では処刑されるところだったのを免れたそうだよ」
「民衆の支持があったからだろう」
「そうみたいだね」
このやりとりを横から覗き込んでいたエレン。
ハリードが解説をした。
「前ピドナ近衛隊長クレメンスの、第一の部下だった術戦士だ。クレメンス暗殺後、新たな主君ルートヴィッヒに忠誠を誓わなかった。
 反逆の咎に問われたが、今の話の通り、刑罰を受けて近衛隊から追い出されるだけで済んだようだな」
「へえ…」
「兵士として一流で人格者だったものだから、ピドナ市民からも人気があったらしい。やがてはクレメンスの後継にとまで云われていた。
 そこまでの人物が処刑となれば、市民があらぬ疑念を抱きかねんと判断したんだろう」
情報収集に長けるハリードの詳細な説明文は、エレンの頭には『すごい人』と集約された。
「あんたは会ったことはあるの?」
「いや、顔は知らん」
「マスター、もう1人は?」
続けて尋ねるも、はっきりとした答えは返って来なかった。
「若いお兄ちゃんみたいだけどね。シャール様のお知り合いかな」
「そう…。無事だといいわね」
魔王殿の奥に何があるかは判らないが、フォルネウス討伐の際に出向いた海底宮の恐ろしさと重ね合わせれば、道中の苦難は想像に難くない。
「10日も戻らないままなのか?」
「実は一度乗り込んだあと、街へ戻って来られたんだ。北へ向かったらしいけど、1週間経ってまた魔王殿へ行かれたよ」
「なにか探し物があったのかしら」
「俺たちもそうだったしな」
「しーっ」

それから宿屋で荷物を下ろし、目的の館へ。
ピドナ到着が日の傾き始めた時刻であったため、そろそろ日が暮れる。
「ここかしら?」
王宮の側。モンスターがこの近辺で暴れた形跡は無い。
久々だからなのか、ピドナ王宮をしげしげと眺めるハリードを尻目に、エレンは館を前にして背筋を伸ばし、深呼吸。
しかし叩き金を鳴らした扉は開かず、男性の声だけがその向こうから聞こえてきた。
「どちら様かね?」
街がモンスターに襲撃された直後、来訪者を警戒するのには充分なほど納得が行く。
「遅い時間にごめんなさい。トーマス・ベントを探しているんですが」
少々の間を置いて、ようやく老人が顔を出した。
「トーマス様のお知り合いの方かい?」
「はい。あたしはシノンの小麦農家の娘です。エレン・カーソン。実家のカーソン農場はトーマスの会社の傘下にあるの」
すると、老人は黙り込んだ。
信用されていないのだろうかとエレンが表情を曇らせるが、どちらともが言葉を発しないまま、ふたりは館へ招き入れられた。




老人と、その息子夫婦だ。
ふたりは促されてテーブルにつき、向かい合うのだが、なにか云い淀むようなそぶりのまま、何も聞かせては頂けない。
「…あの…、」
堪らずエレンが声をかけると、老人が口を開いた。
「…トーマス様は、シャール様と共に魔王殿へ行っているよ」
「! そうなんですか…」
ハリードから略歴を聞かされたシャールという人物が、トーマスとは知った仲だというのだろうか。
様々に疑問は生まれたが、エレンには何より先に訊かねばならないことがあった。

「…サラは?」
「………」
「あたしの妹なんです、トムと一緒にここでお世話になっているんでしょう?」
今、この場にいない。
不気味に静まり返った館の空気が、肌を刺すような、奇妙な冷やかさを持っているように感じながら。
「教えて…」
エレンの声が震えた。
隣に座っていた息子夫人が、寄り添い肩を抱いた。
主人と息子が顔つきを変えたのが判る。
「エレンさん、どうか落ち着いて聞いておくれ」



サラは、魔王殿からやって来たモンスターに連れ去られた。


10日前、館の裏手で植木の世話をしていたサラの悲鳴に、館にいた夫人とトーマスが飛び出した。
翼を持つ下等の悪魔ガーゴイルが、ぐったりとしたサラを腕に捕らえている。
鎧を身に着けないまま立ち向かったトーマスは、胸と左脚に深手を負い、倒れ込んだ。
ガーゴイルはその隙に飛び去ってしまった。
トーマスは自らが心得ていた術法を施して傷を軽くし、すぐにそれを追った。
シャールとは、クラウディウス家との繋がりから顔を合わせる機会を持ち、それ以来付き合いがあったのだという。
彼を伴い、魔王殿へ。
そしてこれらは、旧市街がモンスターに襲撃されるより前の出来事であった。



エレンは静かなままで、話を耳に容れていた。
目の前に一枚の壁が在るような、自分だけがこの空間から孤立しているような感覚がしていた。
事実を受け止めれば正気を保っていられないと脳が判断したか、それ以前に、事実であることを理解できていないのかも知れない。

夫人がハンカチを取り出し、涙を拭う。
この仕草でようやく、エレンが表情を作った。
「すまないね、エレンさん…、私には何もできずに…」
「…そんなこと、云わないで。おばさんに怪我がなくてよかったわ」
ここでサラが暮らしている。
「私たち夫婦には子供がなくてな。まるで兄妹が来てくれたようだと、妻と話していたんだ」
「早く…、戻ってきて、顔を見せて欲しいよ…」
この人たちは、サラを想い、こんなにも落胆を見せる。
今、そのサラの姉を名乗る自分に顛末を語ることが、更なる苦痛となっただろう。

エレンは席を立った。音を立てないようにそっと椅子をテーブルへ入れる。
「トムを待つしかなさそうね」
「エレン」
「こんな夜遅くに入り浸っちゃ悪いわ。ハリード、戻りましょ」
更に詳細な情報を求めるようなことは、あまりに非情だ。状況だけ知ることができたのだから充分だ。
自分にそう云い聞かせた。
「教えてくれて、ありがとう」
3人に笑顔を残し、ハリードにも、その笑顔を向けた。

館を出ると、再び雨が降り出していた。
夜の肌寒さに冷やされた雨粒。
人影の無い街に、ただ降り注いだ。


[前] [次]
[目次]
[一覧へ]
[TOP]