この世界は今、光と闇が交差する、不安定さの中にある。
伝承の通りの位置に、アビスゲートを開かせるための装置が稼働しているのを、人々は知りはじめた。

西太洋のゲート、魔海候フォルネウス
タフターン山のゲート、魔龍公ビューネイ
南方ジャングルのゲート、魔炎長アウナス

アビスから送り込まれた力が具現化し、人々を襲い、いくつもの命を奪った。
それらの野望は名もなき戦士たちに打ち破られたが、

残る一つのゲート、ピドナ西の魔王殿にあり。
待ち構えるは、魔戦士公アラケス。


人々は世界の行く末を、ただ見守るほかない。






the first chapter: encounter

西太洋の海の底、海底宮のゲートが最初に破壊されたという。
しかし、これを成し遂げた人物の行方は誰も知らぬといい、彼らの顔も名も、数少ない人間にしか分からない。

ふたりは各地を転々としている。あまり、人々に騒ぎ立てられることが得意ではないらしい。
現在の居場所はミュルスだ。
武器を携え、鎧を身に着け、大きな荷袋を抱えて。
そこいらじゅうにいる旅人の出で立ちで、まして多くの人の行き交う港町でなら、目立つ心配はない。



夕刻、宿をとって落ち着くと、エレンが何やら神妙な顔をしてハリードのそばへやってきた。
「ちょっと、話をしてもいい?」
「どうした、好きな男でもできたのか」
「なに、それ」
ハリードはベッドに腰掛けて荷物を広げているところで、話をしにきたエレンに構わず上着を脱ぎだすが、取り上げられてしまう。
“きちんと聞く姿勢をとってちょうだい”の意味を込めて畳んでくれるので、手を休めた。
「あたし、サラと会って、話をしようと思ってるんだけど…」
いつも後ろに置いて、面倒をみて、護ってきた大切な妹。

祖父の命でピドナに住む親族を訪ねることとなった幼馴染のトーマスに、ついて行きたいのだと云い出したサラ。
自分の妹は自分の思い通りになるものだと考え、疑う余地のなかった十数年間。
邪魔になるからと引き留めると、強い眼をして、声を荒げて自分を拒んだサラを、生まれて初めて目の当たりにした。
そして互いに違う行く先へと、離れ離れになって…、2年もの歳月が過ぎてしまった。

「里帰りはサラに会うためじゃなかったのか?」
故郷の村に近いところへやってきた機会に、眠れぬほど悩んで決心をして、里帰りをしてみたけれど。
「…いなかったの。ピドナで生活してるんですって。ハリードはピドナへは近づきたくないんでしょ?」
過去、ハリードはルートヴィッヒという男(現ピドナ近衛隊長)との関わりを拗らせている。
詳しい事情までは聞かせていないが、エレンはいつもこのことを気にかけ、港を使う程度に留めていた。
「だから云えなかったんだけど…、ピドナにもあたし1人で行こうと思ってて」
当時、姉妹喧嘩を目撃していたハリード。
その後エレンとふたりで旅をする流れとなり、気落ちする彼女の話を聞いてやった覚えもあった。
「そう簡単に見たくない顔に出くわすものでもない。お前の用事の妨げにはならないさ」
腰に提げた曲刀を外して、エレンに笑いかけた。




故郷の村、シノンへひとりで向かったエレン。
サラには逢えなかったが、久方ぶりに両親と祖母の顔を見た。
ちなみにサラは、会社経営を始めたトーマスの元で、仕事とまでは行かないものの、身の回りの手伝いをしているそうである。
妹はこうして近況を伝えているのに、あんたは音沙汰も無く…と、母親の苦言が耳に痛かった。

それでも、生家で家族と過ごす時間は特別なものだ。
旅の話をして、懐かしい手料理をいただいて。3日の間、畑仕事にも精を出した。
ロアーヌのパブで待ち合わせたハリードにそんな出来事を話し、エレンはまた、各地を旅する日々へと。


「会社経営ってどんなことをしてるのかしら?ピドナは都会だから、農場の経営とはわけが違うわよね」
「椅子に座って頭を働かせて、取引先を回って、お偉方と会って…」
「ぞっとするわ」
手斧の刃こぼれを見つけながら、サラを想った。
トーマスの元で上手くやれているだろうか。再会したら、始めは当たり障りなく近況でも語るのがいいだろうか。
ずっと彼女の自尊心を軽んじてきたことを、どんな言葉で詫びれば良いだろう…。
ピドナ行きのお許しが出た途端、不安が形になってゆく。
「きちんと仲直りしろよ」
顔に『不安』と書いてあったため、ハリードがそんな言い草をした。
ふくれっ面のエレンから手斧を取り上げ、砥石で刃こぼれのあたりを擦る。
「あんたに云われなくたって!」
ちなみにハリードはサラと言葉を交わしたことがないが、大人しい、物静かな印象を持っている。
エレンの口から最愛の妹の話題が出ることもしばしばあり、花へ水やりをしたり読書をしたりして過ごすのだとかで。
「それにしても、お前の妹にしては…」
「どうせあたしは手と足と口が乱暴よ!」
「おっと」
肩を叩こうとしたエレンの拳を掴まえる。
「俺は嫌いじゃないぜ」
「悪趣味ね!」
故郷で穏やかに家族と過ごした時間、それに落ち着きたいとは考えず、旅をして暮らす生活に戻って。
「お前もな?」
更にその相棒がこの男というのは、云う通り、悪趣味に違いない。






夜が明け、ミュルスの港へ。
エレンにとっては、生まれ育った土地を初めて離れた港。利用する度に感慨深い。
サラとの喧嘩も、ハリードに旅へ強引に連れ出されたことも、一緒になって思い出される。
「お土産を買うのを忘れたわね」
「現地調達だ」
「住んでるところの品物をあげてどうするのよ」
船へ乗り込み、甲板でいつものような他愛のない話をしていたふたり。

ふと、近くにいた船員の交わしていた会話が耳を掠めた。
魔王殿、アビスゲート、モンスター…
穏やかでない単語の羅列に耳を疑い、船員に尋ねて、ふたりが知ったのは…、

10日前、魔王殿からやって来たモンスターが街へ降り、人々を襲撃した…ということ。

魔王殿はその名の通り魔王が圧政を敷いた拠点である。ピドナ西に廃墟としてその形を残す。
600年前に魔貴族が姿を現したアビスゲートが、その地下にあったのだということは、伝説には伝えられていた。
それが機能しているのではないかと、人々の間で噂され始めている。
騒動のあと、2人の男が魔王殿へ向かい、未だ戻らないのだそうだ。


繰り返された魔貴族のやり口。海底宮近くのバンガード、タフターン山近くのロアーヌも同様、モンスターが街へ現れ人々を襲った。
ミュルスからピドナへの航路は半日弱だが、エレンは客室へは戻ろうとせず、舳先に立ち尽くす。
犠牲者が出たらしい。
エレンの心境を映したかのような曇り空。
やがて雨音が甲板に落ち始め、ハリードに船内へと促されるまで、それを浴びていた。


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