風の精霊が幾度目かの鎌鼬を起こした。
4人の体は、こちらの手には触れられないものにばかり傷つけられてゆく。
ハリードの右腕はトーマスが多少ましな状態にまで治癒させていたが、術法を遣う間にも攻撃は絶え間無く与えられるのである。
徐々に動きが鈍る。隙を作る。悪循環が始まっていた。

ある、小さな間合。
2体がそれぞれ、そして同時に、前方にいたハリードとエレンに突っ込んだ。
風は、鎧と衣服の隙間にでも通るもので──
ハリードは全身を無数に、エレンは胸を大きく、切り裂かれた。

2人が風圧に浮いて、硬い地面に身を打ち。
そのままぐったりとして動かなくなるまでを、トーマスと少年が、ひどく長い時間を要したと感じながら、目に映していた。
駆け寄って、トーマスは2人のそばへ膝をつき、少年がそれを背に大剣を構える。
2つの血溜まりが拡がる速さ。
まだ息はあるが…
「頼む…、エレン、ハリード…」
片手ずつを翳し、秘めた魔力を、箍を外して解放した。

術法を遣う者にとって、魔力、精神力、そして命は密接に関わる要素であり、自身で制約することが求められる。
5割から7割程度の力で扱うのが一般的とされ、後先を考慮すれば術士も自然とそれに倣うものである。
が、今、命の灯の立ち消えてしまいそうな2人を前に、トーマスは9割を超えた力を放とうとしている。

両掌が、光を帯び始めた。



精霊の牙が少年の左肩に突き立てられる。身をかわしはしたが、深い。
その痛みを超越した思考。
激しく脳を暴れ回る、生まれて初めて味わう激情。
(…こんな、こんなこと!!!)
怒りと悔しさに任せて大剣を薙ぎ払う。
傷を負うシャールが、涙に歪む視界に飛び込んだ。
(もう、みんなが傷つけられるのは、嫌だ…!)

「うああああああああああああッッッ!!!!!!!!!!」

無我夢中で、残る精霊のうち1体に、大剣を振りかぶった。
その時、少年の大剣に降りた紫色の輝き。刃を包むエネルギーの塊。
刀身が描く軌道はそのまま、輝きの残像を創る。
あれほど自分たちを翻弄していた精霊が、その一撃に消し飛んだ。

少年はすぐに、現象の根拠を理解した。
(これが僕の、力…)
シャールの言葉が蘇る。
魔王が、人々を屈服させて世界を支配するため、更には魔貴族を配下に置くために遣った力。
自分にはそれと同じ力があって…

最後の1体が3人のいる場所を狙うのに気づく。また体を武器にして突っ込むつもりだ。
駆け出して大剣に念じると、紫色に輝く刃。
(間に合わない!)
距離を置いたままで、精霊に向けて大剣を振り下ろした。
「飛べっ!!!」
輝きが衝撃波となり刃から飛び立つ。
白い精霊の姿を捕らえた紫のエネルギーは、3人の眼前の位置で、燃え尽きて消えた。



「トーマスさん!」
岩壁に身を寄せ、瞼を閉じていたトーマス。
少年の声で、自らに意識があることは確認したようだが。
「…どうにか」
指先がぴくりと動いただけで、それ以上体を動かすのはままならないようだった。
両側に横たわる2人、先に身動ぎをしたのはエレン。戦意は途切れておらず、構えを取った。
「エレンさん、精霊は片づきました」
少年の報告を聞くと、トーマスを見る。その衰弱した様子で、エレンは自分が気を失っていた間の出来事を掴んだ。
「俺は平気だ…」
力無く投げ出された手に手を重ね、昔から決して弱音は吐かない友人の台詞を、半分だけ受け取った。
やがてハリードが目を覚ます。3人の顔を見ると、何も訊かず状況を把握したらしい。
顔色の優れないトーマスを横目にし、カムシーンを握り、腰を上げて構えた。
その4人に時折、精霊同士の衝突する爆風と熱風が届く。






シャールとビューネイが向かい合い、交わすのは視線のみ。
その頭上の精霊に、魔力を吹き込み続ける。

僅かな差に犇めく中、不死鳥の嘴が龍の胴体を刺す。
それが2人の間の天秤を傾ける合図となる。
ビューネイが業火に灼かれた。
「…くっ…!」
眼力を強くした彼女、龍はそれを受け、不死鳥に冷気を浴びせる。
蒼い嵐が不死鳥を覆い隠し、そして、シャールの右脚に、氷のジャベリンが突き立った。
「──ッッ!!!」
声にならぬ声、氷の冷たさの次に、肉を割く痛みを熱感のように錯覚する。
畳み掛けたのは岩石弾。二度目までは喰らうまいと、身に纏う焔を盾に変えて打ち落とす。

「おのれ…人間どもよ…」
これだけの傷を負わせれば魔力を放つのにも影響する、ビューネイはそのつもりで攻撃を続けている。
それなのに人間の男は両脚で立ち、決して隙を作らぬままでこちらを見ている…。
更には手下が破られた。
「全員死ね!!!!」
新たに召喚した風の精霊を5体、あちらの4人へけしかけた。
シャールは無言で、ビューネイだけを意識の先へ入れている。






魔力がぶつかり合う闘いに、生身の人間は入り込めない。
例えば金属で出来た剣を振るったなら粉々に砕ける。指先が触れたなら腕ごと吹き飛ばされる。
そう語ったトーマスを囲む形で、ただ戦況を眺めるだけだった場所へ、再び飛来した白い影。
少年が立ち上がった。
同じく風の精霊を迎え撃とうと、ハリードがカムシーンを握り締めるが。
「僕が行きます」
少年の細い腕が、ハリードを制した。
「……、おい、1人でか?」
ハリードもエレンも万全ではない。未だ血を滲ませる傷、その表情は時折痛みに強張る。
そんな状況にあって、少年は確信に近い自信を持てていた。
「みなさんは、僕が護ります」
云い残し、3人に向けた背中。
そこに背負った宿命と、闇の力。

地面に力一杯大剣を叩き付けた。
ここはアビス。
闇の力を以て、この邪気を操ることが、自分にはできる。

刃が吸い上げるエネルギー。少年は、全身にもそれを漲らせ始めた。
大剣を地面から空の方向へ滑らせると、放射状に飛散した光が、3体を捕らえて焼き払った。
逃れた2体が光の間を縫い、無数の空気弾を放つが。
(この程度なら)
手に取るように判る。気を張ると、膨張するエネルギーが弾を吸収した。

高く跳び、集めた邪気に唸る大剣の一太刀が、衝撃波を生む。
それはアビスの地に満ちた邪気に連鎖反応を起こさせ、紫のエクスプロージョンが発生した。
精霊が、この状況で生き延びられるはずがない。

少年は強い瞳のままで、ビューネイの姿を見据える。
3人の盾となりながら。


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