アビスの地ではゲートが拠点となった。傷も疲労も完全にリセットされる。
ただしその力は、人間が活動するために必要な休養、エネルギーの摂取の領域までに及んだ。つまり眠くならず、腹も減らなかった。
加えて真暗な天空。5人はすっかり体内時計を狂わせている。
今はそれで闘い続けられるのだから構わないが、帰ってからリズムを立て直すのが何より辛いのではなかろうかと談笑した。




5人の足は迷いなく、次なるワープゲートへ。
立派な建造物であったアウナスの住処とは違い、無造作なままの洞窟が広がる。
しかし一本道はやがて、天井が途切れ、黒い空に見下ろされる地点へと5人を導いた。
洞窟ではなくトンネル状の通路になっていたわけだ。
「危ないっ!!」
突如、白い影が少年を目掛ける。
間際で跳び退けると、影は地面へ突っ込んだ。非常に硬い岩なのだが、いとも簡単に陥没した。
「風の精霊…」
岩を削ったのは、風圧。
それ以上の攻撃はして来ず、長い尾を翻し、5人の進行方向へ飛び去った。
「飼い主があちらにいるようだ」


先程の風の精霊を3体、身に纏った女。

魔龍公ビューネイである。


色素の薄い金髪は腰までの長さで、精霊と共に柔らかな風にたゆたい、美しい。
その顔立ちもまた端正で、尖った形の耳だけ除いてしまえば、魅力的な女性の姿そのものだった。
「あの2人を破るとは、なかなかの人間だね」
相槌を打つかにして精霊が鳴き立てる。
「私もまた、お前たちの手に掛からねばならぬとでも?」
「精霊を寄越したのはあんたが俺たちを手に掛けようとするからじゃないのか?」
ハリードが曲刀を鞘から抜く。そちらがそのつもりなら…という所作だ。
これに対しビューネイは髪を掻き上げるだけ。
「アラケスと同じだ、かいなの力で武器を振り回して、血みどろになって、喧しく暴れまわる。
 ああ、そうだ、あれを片付けてくれたことには感謝しているよ。野蛮で不潔で、愚かな男だった…
 お前たちもそうして力に溺れて、ただ戦をしていられれば幸せなのだろう、違うのか?」
精霊が5人を視た。
風が強まる。
「私たちには闘う理由がある」
シャールが先手を打ち、三叉槍に吹き込んだ朱鳥術を、刃に変えて飛ばす。
精霊が空中に体を這わせて魔力の壁を造ると、総てを防御。シャールはそれだけの時間で次の呪文の詠唱を済ませる。
龍の姿をした焔がビューネイへ放たれた。
「理由?」
彼女は一歩たりとも動かず、どうやら初めから張ってあったらしい結界が、焔を分ける。
薄い硝子板が割れるようにして、結界は粉砕された。

精霊3体がシャールの横をすり抜け、4人を襲う。トーマスの水の盾に衝突したがすぐに突き破り、鎌鼬を起こした。
ビューネイは、シャールを話し相手に選んだらしい。
「少女がこの地にいる。人間界へ連れ戻すため、立ち塞がるものと闘わねばならない」
「勿論知っているさ…、“宿命の子”…」
「貴方には居場所は判らないのか?」
「さあ?私は顔も見ちゃいない」
背後から風の音と、岩が砕かれる音。4人はそう容易には倒れまい…。
魔貴族の女の表情だけを視て、警戒をする。
武具を身に着けていない彼女は、攻撃の構えも見せず、破られた結界を新たに創る様子もない。
「あの子供は、自らの光の力を封じようとしているよ」
美貌に、邪悪そうな眼差しが交じる。
「封じる?」
「分からないふりか?」
「………」
「だから私たちはあの子供の邪魔をしないのさ…、当初は殺してやっても良いかと考えたけれどね」

サラが魔王殿のゲートに消える直前、
さよなら、と、唇が動くのを、シャールは見ていた。

握り締める拳の内側にじっとりと汗が滲む。
「ひとりでに死んでくれるのだから、私が手を下す必要はない」
「ばかを云うな」
「それが宿命の子の意思だ」
シャールは一瞬だけ、意識を現実から遠ざけた。
ずっと認めたくなかったことを言葉にされて、意識を掻き乱されたから。

「子供を救おうと思えば、犬死にをしにきただけだったなんてね」
ビューネイは、シャールの鍛え上げられた肉体の前へ。
「皮肉な話だね…」
甘く囁く声と、首筋を撫でる細い指。
磨かれたターコイズのような瞳が妖艶に瞬き、人間の男の輪郭をなぞる。柔らかい触れ方に、攻撃の気配はない。
「血を流すのは、可能ならば避けたいと思うだろう?」
女の躯がしなだれかかった。
形の良い唇が、鎖骨の上へ口づけた。
「命乞いなら、聞く耳を持ってやっても構わない…」
視線を直線上に繋いだ2人。
「………」
シャールの右手が、ビューネイの頬に添えられようとする。

その掌が魔力を集めるのを、魔貴族の女は当然、感じ取った。
焔と風が同等の威力で、互いを消し合う。
「哀れな人間ども…」
身を剥がしたビューネイは足下から銀色の暴風を舞い上げた。
「それはこちらの台詞だな。色仕掛けとは私も随分と舐められたものだ」
シャールは紅蓮の焔を纏う。
「ふふふ…、一撃で殺して貰えるところだったのにね、残念だこと」
2つの色が拮抗する。
風が弱ければ火を煽るが、強ければ吹き消してしまう。
その絶妙な関係性がバランスを保っていた。






4人がようやく精霊の1体を片づける。
実体を持たず、動力源である核の部分へダメージを与えなければならない。
それが出来ない限りはトーマスの術が頼りだが、精霊は元々、術攻撃への耐性が高い。
こちらの武器が触れても煙を掻き分けるように手応えがないのに、まるで全身が空気で出来た刃物。
「うあ…っっ!」
長い尾がエレンに絡みついたかと思うと、全身に裂傷を作らせた。血飛沫が散る。
そこへ、もう1体が急降下してくる。
飛行速度は到底、人間が追いつけるものではなく、全てが目まぐるしいうちに。
ハリードが割って入る。
曲刀を薙ぎ払ったが、しかし、刀身が切り裂いたのは空気だけ。
精霊が、カムシーンを握る右腕を、ずたずたにした。
「ハリード!!」
「……っ」
武器を扱う腕の判別をつけることができるのだろうか。
その手から滑り落ちたカムシーンは、岩に刀身を打ちつけ、甲高い音を立てた。






魔貴族と人間の術戦士は、魔力を摺り合わせている。
いつの機にこの静止を切り崩すか、一触即発の状態を続けていた、が。

シャールに聴こえた4人の声が、ごく僅かな精神のぶれを作った。
「!!!」
その瞬間、焔ごと、凄まじい風に捲かれる。
風は矢となり、また地面から鋭い岩石の破片が巻き上げられ、シャールの体を切り、貫き…、
一切の抵抗を許されないまま、背中を打ちつけた。
「……、ふっ、」
破片を散らしささくれ立つ地面に、焔よりも紅い血が染み込んでゆく。
攻撃の第二波は炎の壁でせき止めた。
数箇所の深い傷。重くなった体を無理矢理に立ち上がらせる。

「血に汚れているのは好まないが、終りの瞬間だけは美しくて、何度見ても見飽きないのさ。
 例えば腕が引き千切れて、頭がもげてもいいね。生き物が只の生ごみになってしまう…、命の儚さというものだろうね」
ビューネイの指先に灯りが発せられ、天空を指す。
黒く渦巻いたアビスの闇の中心から、鮮やかな蒼色の龍が降臨する。
「私が見届けてやろう、このアビスでお前たちが終りを迎えるその時を」
止まない風。
シャールが召喚術呪文を口にするのを、満足気に見つめる、魔龍公ビューネイ。

その向かい側、大地より爆炎が上がる。
鳥の姿へと形状を変化させた。

龍と不死鳥、魔力値は互角。


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