血を流し続けても、未だ。
人間の術戦士が佇み、血に濡らした指先から放つ焔。
「あぁあっ!!!」
体を斬りつけるこの焔を、風で何度、掻き消してやっただろう。
それなのに…掻き消した数だけ、焔は蘇る。
「女の悲鳴は、あまり耳には良くないものだな」
不死鳥が、不死鳥と名を与えられていることのように。

「虫けらどもが!!!」
苦痛と憎悪、そして自らの血が美貌を損なわせる。
ビューネイには、理解ができなかった。
人間という生き物特有の、或る感情…
宿命の子を連れ戻す、そんな理由だけで、何処かから力を得ている。

「あの子供が一体何だと云うのだ!!あんなものがそんなに大事か!!」

片やシャールは眉一つ動かさず、寧ろ心情を悟らせない無の表情で、ビューネイを直視している。
「失ってはならない、何物にも代え難い、尊い存在だ」
淀み無く返答をする彼に、龍を直接差し向ける。
不死鳥が舞った。
翼同士が交錯すると、龍の方の翼が真二つに裂けた。
均衡は崩れ始めている。
ビューネイへ吹きつける焔。
「だから闘うのだと、云ったはずだろう」
「解せぬ!!」
憤怒の感情だけで鎌鼬を起こし、シャールの体を幾らか掠めた。
しかしそれは切れ味と勢いとを著しく欠く。現在の彼女の態勢を顕していた。

心の揺らぎを制御する事が叶わない…、それはつまり、敗北を意味する。
焔が瞬き、この場にいる者達の目の前を、紅く染めて。

不死鳥の嘴が龍の首を貫いた。
龍の姿をした精霊は蒼く溶け、風となる。

紅蓮の焔が地を這い、ビューネイの足下から突き上げた。
「──ひっ……」
女の姿は、瞬時に灰と化す。


風が主を乗せ、所在を黒い霧にしてばら撒いた。






数秒間、4人はシャールを見つめた。
この地点に循環していた風が止んでから、彼は、4人のいる方向へと。
氷が突き刺した右脚を庇いながらではあるが。
「大丈夫か?」
およそ、血液の色で塗りたくった肉体には似つかわしくない言葉を発する。
「その台詞、そのまま返すぜ」
出迎えたハリードに笑顔を見せた。

戦うことを職業にして来たと云いながら、腰蓑を裂いて右脚を縛る、シャールのその手つきは慣れたものだ。
「君が一番弱っているだろう」
次に少年の肩口を縛ってやりながら、座り込んだままのもう一人の術士に声をかけた。
「最初で最後の博打のあとに、また博打だ」
「すみません…」
他所見をするわけに行かず詳細は判らなかったが、数回、大きな魔力や気が発せられるのを感じ取っていた。
「あまり無茶はしないで、トム」
「前線の戦士が2人も欠けてしまったら、一大事だからね」
その前線の戦士は、トーマスのお陰で元気そうだ。
そう確認したシャールは、浅く上下する胸に手を翳す。
何をしようとしているか気づいたトーマスが、手を押し留めた。
「シャールさん、俺は大丈夫ですから…」
生命力を分け与える行為。
術法を操れる者は、自身の体内エネルギーをそれに適用し、動かすことが可能だ。
ゲートまでの距離はそう遠くないが、モンスターが徘徊する路である。
「立ち上がることもままならない身体でそう云われてもな」


主君クレメンス暗殺ののち、後継となったルートヴィッヒに背いた。
そのため兵士の身分を剥奪され、利き腕の腱を切断する刑に処されたシャール。
ルートヴィッヒがクレメンス暗殺の主導をした疑いが晴れないために選んだ結末だ。
亡き主君への忠誠心と、残された娘ミューズの存在が、彼にとって何より貴く、刑の内容と天秤に掛ける要素ではなかったということ。


掌から胸へと伝わる熱。身を委ねれば、指先爪先に滲み入って行く。
「案ずるな、私はまだ余力がある」
トーマスはほんの2年前にメッサーナへ来て、ピドナ近衛隊に在籍した当時のシャールを直接には知らないが、
彼が稀なほどの人格者であるというのは分かるし、個人的に術戦士としての手腕にも憧れを抱いている。
それらを改めて思い知らされたのが、たった今の闘いだ。
「…あれだけやって、まだ、ですか?」
「私の唯一の取り柄だからな、容易く力尽きるわけにも行くまい」

彼が填めている籠手は“銀の手”。聖王遺物の一つ。
ミューズの身に降りかかった、とある事件の際に巡り合わされた代物である。
利き腕でない方も利き腕同様に使える。封じてある魔力が神経系に作用するそうだ。詳しい仕組みは医学の領域を含むため、理解に至らないが。
右腕の腱を切断された彼が左腕で十二分に立ち回れるのは、この恩恵を受けてのことだ。
「もう動けるな?」
「はい…、ありがとうございます」
聖王遺物が主に選んだこと、そして。
美しく繊細な彫刻が施されたそれが似合ってしまうことに、何の疑問もない。
「前線の戦士も、君も欠いてはならない」

エレンとハリードを救う術法が、自分自身の命を奪う結果となっても構わないと想った、一時だけ。
それを省みた。
「光栄です、シャールさん」
「誰しも不幸は望まない。当然のことだ」
あちらではエレンとハリードが、少年の戦いぶりを囃し立て、3人で笑い合っている。
「さあ、戻ろう」
シャールの声に、軽くなった体を持ち上げた。


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