「ハマール湖の戦いのことは知っているか」
「…ええ」
ナジュ砂漠のオアシス、ハマール湖。
その畔に600年栄えたゲッシア王朝が、一度は弾圧した神王教団に滅ぼされた。10年前に遡る。
辺境の村シノンにももちろん、その詳細は云い伝わっていた。
「俺はゲッシア王朝の生まれでな。教団を相手に数年間戦っていたんだが、知っての通り敗れてしまった」
エレンが視線を伏せた。
「金と人を集めて教団へ一太刀浴びせることと、国を復興させることが目的で、俺は旅に出た。
 しかし、あの時の戦いで仲間は皆あの世へ行ってしまって、それも難しい」

ハマール湖の戦いのことは、伝聞で認知していただけであって…、
それを味わった人間の口から直接語られると、まるで違う話のように、ずしりと響いた。
彼が砂漠地帯の生まれだというのは、褐色の肌の色からも、エレンには判っていたことだ。
しかしそれを、滅びた国と結びつける発想が、今までなかった。

「ゲッシアのあった土地には、教団が塔を建造しているらしい。教徒が集まった結果、周辺には街も興っている。
 ハマール湖の戦いを知らない人間を巻き込むことが、俺にはできない。俺の望みではない」
それは自分自身に云い聴かせているかにも思えて。
エレンは息が詰まる錯覚に陥り、顔を上げられない。
「国を追われた王朝の者はリブロフに移り住んで落ち着いて暮らしている。それでもういいんだろうと思うんだ。
 戦はもう懲りたと、誰もが嘆くに違いない」

他人の過去のことを、不必要ならばわざわざ訊かないのだと話していたエレン。
それなのに過去を押しつけるような真似をして、なおかつ、泣かせてしまっては、どうしようもない。
「ごめんなさい。あたしが変な話をしたから」

もちろん、エレンが教団の話題を持ち出したせいではない。自分の意思だ。
なぜ、打ち明けようと思い立ったのだろう?

体を抱き寄せ、エレンが息を殺すのを聴く。
まだ毛糸の帽子を被ったままの頭に唇をそっと寄せた。
「要らぬ話を聞かせてしまった。悪かった」
腕の中で、首を横に振る。
「あたしがうっかり、昔のことを質問しちゃってたら気まずかったから、よかった」
胸に頬をつけ、少しだけ微笑いながら、小さく呟く。
ハリードはしばらく、そんなエレンを離さなかった。


ランスの西に建造された聖王廟。
階段を上ると、王宮とも呼べそうな佇まいの建物が現れた。
観光客も多いが、さすがにここで騒ぎ立てる者はおらず、まるで外の世界と違う時間が流れているかのよう。
入口からの通路を抜け、その正面、吹き抜けになった階下に見える柩。
「聖王様がここに眠ってるなんて、なんだか不思議ね」
「そうか?墓っていうのはそういうものだろ」
「こらっ」
柩の間近までやってくると、黄金色の繊細な彫刻がふたりの目を奪う。
正面側の床には、人々の手向ける花が並んでいた。
緑の香りが心地よく、開け放たれた窓から吹き抜ける風も優しい。
数分間、ふたりはそこでじっと立ちつくして、それぞれに何か想っているようだったが。
「あたし、もう少し旅をしてみたいの」
「?」
「だから、聖王様、変なモンスターが出ませんように…お願いします…」
エレンは両手を合わせて拝んでいた。
聖王様は偉人ではあるが、お願いごとを聞き入れる存在ではないはずだ。ハリードは必死で笑いをこらえるのだった。






翌日ハリードが道具屋へ立ち寄ると、荷物運びの人員を募っているという男に声をかけられた。
最近、野盗団がこの近辺で追い剥ぎや誘拐を繰り返しており、腕の立つ者を集める必要があるのだという。
行き先は西のヤーマス。破格の報酬を提示された。
宿へ戻ってエレンと相談をしたが、ハリードの予想通り、彼女は仕事の内容や報酬のことよりも、野盗団への怒りを先立たせた。
懲らしめてやりたいとまで云うので、この仕事を請けると決定をした。

「お前が聖王様にお願いをしていたから、護っていただけるだろ」
「聞いてたの!?」
馬車と馬が2頭、積荷は毛皮。2名分の食糧と、厚手のブランケットを数枚つけていただいた。
ヤーマスまでに通過する町に業者の事務所があるので、追加の食糧と宿代をそこで受け取るようにと書類を渡される。
ふたりはすぐに馬車でランスを出た。
「最初の町までの距離が一番長いわ」
「そこを乗り切れればな」
本来の運搬業者や旅人が往来するはずの道は、ランスを離れればすぐに静かになってしまった。
野盗団は3〜4人の少数グループで動くと聞かされているが、武器を持たない人間にとってはそれだけでも大きな障害になる。
武器を扱うふたりでも、報酬の額から危険な仕事であるだろうということは理解していた。
馬は早足にさせ、気を張りながら、平坦な道を進む。


午前中の出発から、昼過ぎを迎えた頃、気配がした。

所詮は生身の人間、気配を消せるほどにまで達した者はそうそういない。
…それとも、気配を消す必要がない“条件”を揃えているのか。
草むらや木の枝をごそごそと揺らす音まで漏らす。
「多いな」
「………」
最悪の場合、馬車も積荷も捨てて良いと云われていたのだが…。
「飛び道具があるのなら、生身で逃げるよりは、馬の足と馬車による防護があった方がいい」
弓矢を引く音に気づいたハリードが、静かにエレンに告げる。
「もう囲まれてるわ…」
「さて、どうするか」


「!!!」
馬車の側壁に矢が突き刺さった。
直後、ふたりの進行方向の茂みの中から、数人の男の姿。
揃いのローブを身に纏っている。運搬業者からの説明の通りの、野盗団のユニフォームだ。
馬を興奮させてしまわぬよう静かに手綱を引いて歩みを止めさせると、団員どもはゆっくりと馬車へ接近してくる。
そしてそれに続いて次々と、ローブを着た人間が四方から現れた。ざっと20人超か。

「へへへ」
リーダーらしき男が、腕組みをしてふたりの前へ。
腰に提げた武器には触れてもいない。人数が多く有利なのだと誇示しているわけだ。
ふたりは馬車を降りた。
「ここんとこ金になるお客さんが来てくれねぇモンで、俺らみ〜んな暇なんだ。揃ってお出迎えするぜ」
「光栄なことだ」
「大人しく縛られてくれりゃ怪我はさせねぇぜ。どうする?」
「あいにく捕まるわけには行かん。この馬車の積荷で手を打ってくれないか?」
男はエレンの頭から爪先までを舐めるように眺めて、口の端を吊り上げた。
「いい女だな。あんちゃんのかい?」
「今それに答える必要があるか?」
「逆にその女だけで手を打ってやってもいいぜ。なぁ!」

男が大きな声をあげると、あちらこちらで砂利を踏む音が同時に鳴った。
始めから何かと引き換えに見逃すつもりなどないのだと、ふたりも分かりきっていた。


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