顔つきを変えたハリードの、曲刀が鞘から抜かれてぎらりと光った。
それと同時に、野盗団が大挙して武器を振るった。

ほんの一呼吸、3人が血飛沫を吹き上げて倒れた。
それを目の当たりにし、怯んだ者もいたが、多勢だということが後押しをする。次々とハリードへ向けられる武器。
エレンも手斧を構えているが、団員どもは彼女に刃を向けることをしない。
売り物になるのはその肉体だからだ。
手斧がひと振りだけでは、複数の手が伸びてくる状況に太刀打ちできず、エレンの体は地面に打ち付けられた。
男が2人、馬乗りになる。

「エレン!!」
ハリードは自分の置かれた状況を投げうって駆け寄ろうとした。
次の瞬間、その眼前に現れたのは、剣。
「!!」
咄嗟に左腕で防御をとる。その隙にまた、別の方向からの攻撃がやってくる。
エレンが動きを封じられた時点で、残りの人員はすべてハリードへ動員されているのだ。
「死ねっ!」
「っ!!」
体のどこかを斬られた。ハリードがそれを冷静に認識する余裕はない。
肉体の反応だけで他の剣を弾き、しかしまた、別の箇所を斬られる。
砂利に染み込む血の色はすぐに、団員のブーツが踏みしめて消してしまう。


エレンのそばにしゃがみこんだ男が、懐から何かを取り出した。
首筋にチクリと痛みが走る。奪い取られた手斧はもはや見当たらない。エレンは悔しさに勝る恐怖を覚えた。
「…っ、この…」
抵抗をしたいのに、急速な脱力感に襲われ、視界が霞んでゆく。
思い出されるのはキドラントの町での出来事。ニーナという少女が、同じように針で首筋を刺され、連れ去られた。
意識を手放すようなことになるのでは、という絶望感に、歯を食い縛る。
「き…気安く触るんじゃないよっ!!」
気勢を搾り出した彼女を、3人がかりであっという間に、後ろ手に縛ってしまった。

刃の擦れる金属音の、数は減っている。
中心にいるのはハリード。
ずっと、戦に出てきた男だから、多勢を相手にすることはどちらかといえば得手である、が。
「とっとと馬車を出しちまえ!!」
女を連れ去ることと、連れの男を止めておくこと。始めから分担を決めてあったようだ。
エレンは抵抗をしないまま男の肩に担がれる。指示に従い、馬の手綱を取る団員。

馬車の方向を、目を剥いて視ているハリードが、手綱を狙って駆け出した。
しかし、やはりどこかから衣服を引っ掴む腕が伸びてきた。
「!」
それでバランスを崩しかけると、リーダーの男の剣が、喉元にあてがわれる。
刃はほんの少し皮膚に喰い込んだところでぴたりと止められて、
激しい戦いも、ぴたりと止んだ。


「殺してやってもいいが、うちの用心棒に欲しいな、その腕前」
ハリードは背後から羽交い締めにされた。男の言葉を受け、敢えてそれを受け容れたのだった。
「お前ら!馬車を出すのは待っとけ!」
「………」
ハリードの首に浅い切り傷を作らせただけで、男は剣を下ろし、笑った。
「命を助ける代わりに引き受けてくれよ。給料も弾むぜ。もちろん、断るんならここで首を刎ねちまうけどな」
この条件ではなく、エレンを乱暴に馬車へ放り込む光景が、ハリードの曲刀を収めさせる。
「いいだろう」
「武器はこっちへよこせ。契約を済ませるまでは捕虜の身分だぜ」
黙って曲刀を渡し、両手を縛られると、馬車の荷台へ。

その奥には、エレンが倒れ込んでいた。
見る限りでは、世に広く出回っている毒薬。毒蛇から採ったもので、毒性は軽度。
毒の成分に対する防御反応によって高熱を患う。彼らは効力に個人差のある麻酔薬の上位互換品として使っているのだろう。
彼女を売り物にするつもりならば、アジトへ着いて解毒剤を与えられるのだろうが…。
荷台には団員が3人、監視を兼ねて乗り込んでいる。毛皮の値踏みに忙しそうだ。
ハリードは、何も云わずエレンを見守った。
馬車はヤーマスへのルートを逸れ、南へ向かった。





森の奥でぽっかりと口を開ける洞窟。野盗団のアジトである。ふたりはその中の一室に連行された。
後ろ手に縛られていたが、ふたりともここで更に両足まで縛りつけられてしまう。
「しっかり見張っておけよ。それから女にはこいつを飲ませるんだ。売り物にならなくなると困るからな。いいな」
「はい」
洞窟内は静かで、エレンの苦しげな息遣いが耳につく。『売り物にならなくなると…』という発言があったように、厚手の毛布の上へ横たえられてはいる。
ハリードは目で情報をかき集めた。同室へ連行するということは、そう広くはないのだろう。
時刻は夜にさしかかるが、他に人間の行き交う物音は聴こえて来ず、団員たちは休んでいるのか、出払っているのか…

ふと、見張りを任された団員がふたりのそばへ。
エレンへ解毒剤を飲ませるのだろうと思えば、その青年はハリードへ声をかけた。
「お兄さん、自分の手でナイフを持って、縄を切れるか?」
「……?」
ハリードは団員をじっと睨むだけだ。
「俺がナイフを持って、お兄さんの背後に回るわけに行かないからさ」
「何のつもりだ」
団員はナイフを端切れに包み、ハリードの方へ投げた。
「お兄さんたちの荷物を持ってくるよ。それと、解毒剤だ。こいつは間違いなく本物だから、安心して飲ませてやってくれ」
「おい…」
「詳しい話はあとで!」
小瓶を置いて、団員は姿を消した。
まさか助けるつもりなのか、別の企みがあるのか…、全く読めずにいたが、今はエレンを回復させてやることが先だ。


ナイフに手が届く位置へ。
数分かかったが、自分で縄を切ることができた。
続けてエレンの腕と足の縄も切り、一室の出口の方向への警戒は緩めずに、半身を抱き起こす。
「エレン」
咳込みながら、相変わらず浅い呼吸を繰り返す。息苦しさか、または体が痛むのだろうか、意識を失うこともできないわけだ。
衣服の胸元を締めている紐を解くと、毒針を打たれた首筋が真っ赤に腫れ上がっていることに気づく。

判断を誤った。
3〜4人のグループで行動しているという彼らが、しばらく獲物のやってこない日々にあって、
多勢でやってくる可能性は、考慮すべきだった。
野盗団の規模は不明とされていたが、それでもだ。

間近で見れば、汗が滑り落ちる頬は陶器のように滑らかで。
そのような女性が苦痛に表情を歪める光景は、男の胸を刺す。
「…すまない、エレン…」
エレンを護ってやるのは、聖王ではない。
自分の役割だと思っていたのに。


団員同士が受け渡しをしていた小瓶を眺める。店で販売されている解毒剤そのものの形状とラベルだ。
一舐めして中身も本物であると確認し、すぐにエレンの口へ流し込むが、呑み込むことは難しいか、ほとんどの量が吐き出されてしまった。
ハリードは小瓶の中身を口に含み、エレンの顎を持ち上げて、唇をふさいだ。
「…ん、っ」
ただでさえ苦しい呼吸を止められ、その手がハリードの腕に縋りつく。
息苦しいのを承知で、飲み込んでくれるまで、じっと待つ。
「…ぅ…」
エレンの指が、ハリードの腕に爪を立てると、ようやく口の中の液体が喉の奥へ送られた。
これで半刻ほど過ぎれば回復に向かうはずだが、数時間も浅い呼吸を続けたことで、かなり体力を削り取っただろう。
エレンの身体を胸に引き寄せ、ハリードはひとときだけ、瞼を伏せた。


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