ユーステルム到着は日の落ちた後だった。この街はキドラントよりも更に寒さが厳しい。
港で天候を尋ねると、今から悪化しそうだとの返答。

その通りに、夜には雪が降り始めた。
「明日の天候はどうかしら」
人の姿がなくなり、街に散らばっていた足跡をあっという間に埋めてしまった降雪。
ランスまでは陸路になるため、下手をすれば足止めを食らう。
しかし、ベッドでくつろいでいるハリードにとっては、想定内のことだ。
「まあ、そのうち晴れるさ」
窓際で舞い落ちる雪を目で追っていたエレンは、それを聞いてハリードのそばへやってくる。
「ハリード、あのね…」
何やらもじもじしながら、ハリードの顔も見ずに、エレンがなにやら切り出した。
「武術のこと、いくつか話を聞かせてもらったけど、もっと知りたいことがあるの。それと…」
寝そべったまま聞いていたハリードは身を起こし、脚を下ろして座る姿勢に。
きちんと会話に応えようという態度を見せたつもりが、エレンは緊張を深めてしまった様子。
「エレン、俺はそんな大層な人物じゃないから、気軽に話をしてくれ」
自分の横をぽんぽん叩いて、隣へ座ってくれるよう促した。
これに従ったエレンは、やっとハリードの顔を見た。
「もう少し、旅をしてみたいの。だから、ランスで聖王廟を見たあとも、どこかへ一緒に連れて行って」

旅の道連れというものが、今までいなかったわけでもない。
目的地が同じとか、意気投合したとかで、ほんの数日、数週間程度を共にした人物が、過去に幾人か。
顔や名前はよく憶えていない。唯一、戦で死に別れてしまった青年だけを記憶に遺している。

「強引に連れ出したのは俺だからな。喜んで聞き入れよう」



積雪による足止めは3日間に及んだ。
ろくに外出もできない状況だったため、エレンのお願いごとの一つ目は宿の客室で実行された。
アドバイス一つで見違えるほど身のこなしが良くなる場面があり、ハリードは真面目な口ぶりで賛辞を贈る。
照れくさそうに笑う姿は年相応の娘のものだ。
汗を流したエレンが浴室へ向かうと、ハリードはその間、そのエレンのことばかり考えた。

喜怒哀楽を隠さない人物で、時に文句も飛んではくるが、その素直さは魅力だ。
冗談を云って笑ったり、武術のことには真剣になり、とにかく目まぐるしく変わる表情。
馬が合うという表現をしても良いものだろうか、雑談を交わしていて、声を出して笑うことも増えた。
これまで独りでいたから、一方的に温度が上がっているだけなのかも知れないが…。






「足の指の感覚がない〜」
「お前のブーツは穴でも開いてるのか」
極寒の地でありながら、聖王生誕の地として人々の関心を集め栄えた街、ランス。
宿で手続きをとるが、エレンは室内を暖炉で暖めるまで防寒具を外さないつもりらしく、そのままの恰好で階段へ。
「聖王様はきっと寒さに強かったでしょうね」
客室には聖王記が置いてあった。観光客向けだろう。
エレンがそれを手に取りぱらぱらと開いて眺めるが、文字が並んでいるのを見ると反射的に閉じてしまう。

“死食”を迎えてから15年が経った。
600余年前と、300余年前にも、“死の星が太陽を覆い隠す”現象は起こった。
これは単なる天体の動きではない。その年に生まれた生命がすべて死に絶えてしまう。
死の定めなのだ。

しかし、この死食が起きたとき、たったひとつだけ、生き延びる生命がある。
歴史に残る最初の死食ではその存在が魔王となり、そして二度目の死食ではその存在が聖王となった。
“宿命の子”と呼ばれた。
魔王は異世界へ通じる『アビスゲート』を開き、魔族を導き入れ、世界を荒廃させた。
これを打ち破り、ゲートを封じたのが聖王である。

このアビスゲートが、15年前に開いたという噂、砂漠地帯に興った“神王教団”…
「宿命の子っていうのは、本当にどこかにいるのかしら」
「さあな」
「何年か前、シノンに怪しいローブ姿の一団がやって来たの。神王教団の者だと名乗ったわ。
 勝手に演説をしてどこかに去って行ったけど、あれはあれで気味が悪いわね」
15年前の死食で生き残った宿命の子は、聖王を超えた神王になるのだと信じ、崇める宗教団体だ。
教徒は徐々に増えつつあるという。


ハリードは、窓の外へ視線を逃がし、厳しい表情をしていた。
「寒いけど、聖王廟を見に行くのは楽しみだわ。明日は晴れるって聞いたし」
エレンは話しながら荷物をあれこれ広げていたのだが、突然、背後から肩を抱かれ、動きを止めた。
「エレン、少し、俺の話を聞いてくれるか」
「うん…」
促されるままに窓際へ。
恐る恐る見たハリードの横顔は、普段の穏やかさを失くしていた。


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