ナジュ砂漠とは砂の色が違い、粒子も粗い。
気温は日の高さに比例し、まるで蒸し風呂のように釣り上がる。岩場では流れる河の飛沫が気温を下げていたらしい。
モンスターの姿もあり、生身の人間にあまりに酷な状況を迎えていた。
ナジュ砂漠は、日中は暑く、日が落ちれば寒い。湿度が低いために極端な気温の変化がある。
ところが同じ砂漠地帯であっても、ナジュ砂漠の遥か南方では、地獄のような暑さが昼夜問わず続くのだそうだ。
日没を迎えても気温の下がらないこの地は、世界の南側なのだろうか。それとも、聖王が見捨てたほどの気候の変異に因るものか。
しかし、モンスターの棲息できる環境であるということは。
モンスターとて人間界の動物と同じく、肉体が水分や栄養分を必要とするものだ。
そうやって彼らが生きているのならば、聖王の時代には枯れ果てていた大地が、もしかすると…。
そんな期待を抱いて、砂漠を進む。
「お前な、俺を盾にするなよ」
盾とはモンスターの攻撃に対してではない。
「砂が目に入るんだもの」
絶えることのない砂風、度々起こる猛烈な砂嵐。砂除けのローブの内側にも砂が紛れ込む。
「俺にも目はついてるんだよ」
「あんたは目を瞑っても砂漠を歩けるわ」
手放しで“期待”をしているわけではないが、エレンは明るかった。
「お前、元気だな…」
「こーんな暑くて大変なのに、肩を落としてとぼとぼ歩いてたら、余計にへばりそうじゃない!」
「一理ある」
シャールがそんなエレンにつられ、微笑んで声をかけた。
「でしょう?」
「ああ」
3人の後ろでトーマスの目に映る光景が、シノンで暮らした頃と重なる。
エレンはこんな風に明るく奔放で、うじうじ悩むのは嫌いで。周囲を強引にでも引っ張って、エネルギーを振り撒く。
「お前は多少へばってくれた方が助かるんだが」
しかしそうは云っても今回の件、ここまで簡単に元の調子を取り戻せるものなのだろうか?
「そうなったらおぶってもらうからいいわ」
「しまいには俺が死ぬな〜」
どうやらあのハリードの存在が大きいらしい、と、トーマスには見て取れた。
数年前にロアーヌで別れたきり、シノンには帰らず実家への便りも無いといい、彼女がどこでどう過ごしていたのかは、再会するまで露知らず。
なるほど、その間に深まったものがこれか。
ハリードとエレンがあの潜水艇バンガードを動かし、西太洋のゲートにて、フォルネウスを破った…
そんなとんでもない話ばかり先立ち、肝心のふたりの関係性には意識が及ばなかったものだが。
「あのトルネードを尻に敷く女性が現れるとはな」
「シャール、それはないぜ」
「トルネードもフタを開けたらただのおっさんなのよ」
にぎやかな会話に気を取られていたトーマスがはたと気づいて、いつものように黙ったままの少年を見た。
表情は作らずにいるが、この喧しさを不快には感じていないと判断。
「体は大丈夫か?」
「はい…」
首を横に振って、普段よりも無防備で幼げな顔つきをした。
先ほどのエレンの発言をシャールが肯定したように、黙々と進むよりも気は紛れるのだろう。
「トーマスさん、僕…」
近辺にモンスターの気配がないことを改めて確認してから、耳を傾ける。
「エレンさんに、サラと友達になってあげて、って云われたんです」
彼は、トーマスにだけはこうして思いを洩らすことがあった。
「けど僕には、家族も、友達もいないから、どんな風にすればいいのか…、ずっと考えて…」
“普通”の暮らしを送っていたなら、人と出逢えば名を尋ね、会話を愉しんで、親しくなる…という手順を、当り前に身につけてゆく。
人との接触を自ら絶ってきた彼には、それを学ぶ術が無かったわけだ。
「そうだな、例えば、綺麗な花を見つけたら、2人で眺めて話の種にすればいい。
君が上手く話を出来なかったとしたら、下手な話し方をしても構わない。身振り手振りで表現することも出来るだろう?」
少年は少しずつ、自分の殻を破ろうとしている。
「人はお互いに気持ちを伝えようとするし、理解しようとする。お互いが半分ずつ補うから、君だけが全部の努力をする必要はないよ。
ここにいるみんなは、君が悪い人間じゃないということを、君を見ているだけで理解したんだ」
全く素性の知れない少年だが、すっかり情を移してしまった。
何やら考え込んでしまう横顔。話が難しかっただろうか?
前方で笑顔が交わされるのをまた眺めながら、足取りを強くした。
一刻も早く…、しかし自分たちが力尽きてしまってはならない。
見当違いな方向へ進んでいる可能性。
誰一人口には出さないが、それらは常に胸の片隅を突く。
ただ殺風景なだけの砂漠は、とうとう5人を黙らせた。
5人の足跡が付いたそばから掻き消されて、時によじ登るのが困難な崖に遭遇する。
このままずっと、こんな環境ばかりが続いたら?
切り詰めている食糧と水にも限りはある。
夜には岩陰を探し身を落ち着けるが、充分な休息とまではいかない。
経過した日数が曖昧な気すらしていた、そんな頃。
重い沈黙を破ったのはハリードだ。
「もうじき砂漠を抜けるかも知れんぞ」
彼の足は、地質の変化を敏感に察知した。
そして、地質はやがて、見た目にも変わり始める。
砂漠の乾燥した砂は、乾いてひび割れた硬い地面に移り変わってゆき…
5人が踏み締めたのは、湿気を帯びた土。当然その源は地中の水脈や雨である。
これなら微生物や虫が棲み、土を掘り混ぜ、大地が呼吸をすることができる。
トーマスがピッケルで土を突いてほぐすと、エレンがこれを手に取った。
「人がいないからかな。きれいな土よ」
「手を加えれば農耕もできそうだ」
そんな会話をして間もなく、雑草の生えているのが目につくように。
平坦な原野。
見渡せばひたすらに広大だ。
とりあえずは、今まで進んできた東の方角へと。
何時間費やしただろう、大岩がごろごろとしてはいるが、しっかりと根を張った芝生の大地。
遥か向こうに、人工物…建物らしき影も。滅ぼされた街の残骸なのだろうか…
あの砂漠の暑さが嘘のように、穏やかな気候。
5人はやがて疲労を忘れ、人工物が集まる場所へ、引き寄せられるようにして歩き続けた。
建物に見えたのは、テントに似た形状のものである。
砂漠で俄かに抱いた期待が叶おうとしている。
いざ直面すると信じ難く、全員が言葉を失っていた。
テント、と呼ぶには大掛かりなものだが、それがごく近い間に造られ、今まさに利用されているのが見て取れるのだ。
「村、か…」
「人が、いたなんて…」
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