買い込んだ荷物を抱えて宿へ戻ったのは、夜の遅い時刻。
ゲッシア王族の廟はその名を『諸王の都』という。
そこには貴重な武具やオーラム、そして…、ゲッシア王朝を興した人物が手にしていた、曲刀カムシーンがある。
今では人々に忘れ去られているが、かつてはカムシーンを求め、試練に挑み、命を落とす者が後を絶たなかったと…。
これを聞かせてくれたパブの主人に対しては、簡単な相槌で済ませた。
しかしエレンにとっては、何もかもが結びついて、ハリードが身を投じた状況を思い描いてしまうような話だ。
ベッドに潜り、気が焦るのを必死に鎮めた。
そして空が白み始めた頃、浅い眠りを、邪魔なものであるかのように振り払う。
居ても立ってもいられずに身仕度を始めた。
階段を駆け下りフロントへ出ると、エマは既にカウンターにいた。
「エマ、おはよう!」
「おはよう、エレン!やっぱり早かったわね」
未だ日の昇らぬ、薄暗い窓の外。エレンが慌てて出てくる姿の想像がついていて、エマは早々に待ち構えていたのだった。
「…あまり寝られなかったの。お見通しだったみたいね」
「ハマール湖の畔は気候もいいし、寝足りなくても平気よ」
そう話しながらエレンに手渡したのは、グリーンの石が嵌め込まれたバングル。
「渡したいものって、これ?」
「そうよ。以前、うちに泊まった旅の人が、オーラムが足りないからって代わりに置いていった物なの。
父さんが鑑定士に見せに行ったら、魔力が込められていて、破壊すると回復術の効果が得られる道具なんですって」
同様の効果を持つロッドの存在を耳にしたことのあるエレンは、その説明をすぐに呑み込めたのだが。
「でもね、父さんが思いつきで売り払わずに持ち帰って、私にくれたの」
そう聞くと、バングルを返そうとする。
エマはそんなエレンの手をバングルごと包み、微笑んだ。
「私が持っていても飾りにしかならない。あなたのために本来の役目を果たせるなら絶対にその方がいいもの。
もちろん、これを使わずに済むことが一番だから、そうなるよう願っているわ」
「それじゃあ、せめて、お金を払う、から…」
バングルを受け取った手が震えると思えば、エレンは自分でもきっかけの分からないまま、涙を零していた。
エマは黙って、バングルをエレンの腕に嵌めてやった。
「お金もいらない。きっとこれは巡り合わせよ」
お礼の言葉を云いたくても、涙が止まらず、エマの肩に顔を埋めた。
ずっと抱え込んでいた恐怖、哀しさ、絶望…
そんなものをなぞってしまい、唇をふるわせ、泣いた。
「絶対に帰ってきてね」
街で駱駝を一頭買い、荷物を載せた。
エレンの瞳は朝陽を左に、南の方角だけを見る。
不充分な明るさの中においても、はっきりと分かる血溜まり。
ほんの少しの間合いで動きを止めた、自分の足下に広がってゆく。
ドラゴンにも傷を負わせたがやや劣勢かと、冷静に分析をする。
ハリードの中に、もう一つの思考が生まれていた。
何をしている?
手を緩めれば望みが叶うはずではないか…
「!」
空気を切り裂く音。
目にも留まらぬ速さで叩き付けられた尾を、後方へ飛び退けて避けた。
まともに喰らえば、内臓破裂でもして命を落としそうだ。
次にハリードを襲うのはドラゴンの右脚。踏み潰そうということだろうが、好機だ。
接近して死角に潜り込み、その右脚に曲刀を突き立て、払い抜けた。
それは深い傷となり、人間のものと同じ赤い血が噴き出した。
ドラゴンが鳴き声をあげる。
──何をしている!
「う…ぐっ!!」
この巨体だから筋力は相当なものなのだろう、動作は素早く、その手の甲に殴り飛ばされ、壁に体を打ちつけた。
咄嗟に腕でガードしたがその腕へのダメージすら大きく、着実に体力を削り取られる。
「ふ…」
肉を斬らせて骨を断つ、身に染みついた戦法なのは確かだ。
しかし、べっとりと体を伝うのは、一体どこの傷から滴る血なのか判らない。
痛みというよりは重い感覚。
意識も動きも今の時点では、戦えるだけの水準を保っているが。
こんなはずではない…
じわりじわりとこちらへ向かって来るドラゴンの、動きを奪う…果ては致命傷を与える手段を考えていた。
なぜ、戦う?
血が滲むほど唇を噛みしめ、ドラゴンの懐へ飛び込む。腹を十字に掻き斬ると、反撃の爪を眼前にしながら逃れた。
同時に、ハリードの束ねた髪が切り落とされる。千切られた形に近かったが。
この一瞬、左脚の関節を裏から狙い、曲刀を払う。
終焉を求めたこの地に持ち込んでしまったのは、
最後に、この腕に抱きしめた…
大きな亀裂の走った広間の柱。その近くまでおびき寄せ、陽動して、ドラゴンの尾で、その柱を破壊させた。
これを足場として、ハリードは遥か上方に見えるドラゴンの頭部を目がけ、跳び上がった。
この巨体が相手では、表皮を斬る程度の攻撃に効果は期待できない。
眉間に狙いを定めた。
曲刀はその形状から刺突には適さないが、体ごとでなら、刺突攻撃に似たことは不可能ではない。
最後はドラゴンの巨体を足掛かりにしてからの一跳び。
曲刀を垂直に構え、重力に任せる。
接近した刹那、大きく開かれようとしたドラゴンの口。
最終的には喰うつもりなのだろうか。今この機にハリードの肉体を牙にかけようとする。
それは見越していた。背後から回り込むようなかたちで、ドラゴンが構えるよりほんの少しだけ早いタイミングで。
眉間に突き刺さった刀は、ハリードの体の重みと落下の勢いで、深々と沈み込んだ。
それを払いたがるのか、ドラゴンが頭を振り上げる。
抜き去ることができなくなった刀を手放したハリードが、体勢を崩した。
牙を剥いた口が、断末魔の咆哮と共に迫る。
「───!!!」
ハリードの腹部を深く、その牙が貫いた。
ドラゴンはそれ限りで力尽き、巨体がぐらりと傾く。
牙から抜け落ちてそのまま、ハリードは地面に体を叩きつけた。
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