人里を離れてから、砂漠を南へ歩いて4日半。
祖先を奉る廟へと辿り着いた。

例のアビスゲートが口を開けてから、世界各地で強大なモンスターが姿を見せるようになった。
ハリードは目的地までの道程において、かなり消耗している。
「…姫…」
ファティーマがここにいたと、どこからそのような噂話が生まれたのだろう。
人間がいるとするなら、これだけの装備と、これだけの食糧と、人数も揃えなくては…
数ヵ月前の噂が事実で、ここを訪れていたとしても、今日まで滞在するわけもない。
…そう考えながらも、人間が身に着けていたと思われる布切れがちらほらと埋もれているのを、ひとつひとつ見定めた。
「………」
既に空になっていた荷袋を投げ捨て、大きく息をついた。

瓦礫を踏み越え、人骨が転がるのを視界の隅に入れ、只の巨大な廃墟と化した廟を見上げた。
灼熱の砂漠の中に在ってひやりとした空気を漂わせ、異空間のようでもある。
が、あちらこちらが朽ち果てながらも、建物自体は形状と機能を維持しており、試練に挑む者を拒まない。

正面の扉を眼前にすると、砂風が血の匂いを運んできた。
重い扉の向こうに、術の力で灯された、消えることのない光が点々と浮かぶ。
墓場だからなのか、アンデッドどもが肉を引き裂き喰らわんと、こちらへ引き寄せられてくる。
しかしそれはハリードの相手ではなく、一度死して蘇った彼等は再び、屍となり果てて行った。

薄暗闇を切り裂く刀身。
砥がれた表面が放つ光は鈍く、しかし力強かった。









建造中の巨大な塔の麓。今までに訪れた地とはまるで違う佇まいの街である。
しかし神王教徒が集まる場所という特殊さはなく、単に砂漠地帯の街と聞いていただけならば、それを疑わなかっただろう。

既に日没を過ぎており、何より昨晩までは峠にて野宿を続けてきた。宿を探し休養を取ることとする。
急ぎたいが、疲弊したまま夜の砂漠へ出るのは躊躇われる。
せめて明日、朝一番に街を出られるよう、晩のうちに情報を集めなければ。
「いらっしゃい!」
宿屋のカウンターで若い女性が景気良く出迎えてくれた。褐色の肌をしている。
「その大荷物、アクバー峠を越えてきたの?それに…もしかして一人で?」
「そうよ」
教団の本拠地を目指し、教徒たちは峠を越えて行くのだと、リブロフで聞いた。この宿屋にもそんな客が多いのだろう。
「野宿続きで大変だったでしょう。ゆっくり体を休めて行ってちょうだいね」
独りでいたエレンはずっと、喋りもせず、笑顔など浮かべることもなかった。
自然と笑顔になれば、顔の筋肉がほぐれる感覚。
「ありがとう。…お姉さん、あたし調べたいことがあるの。少しお話をさせてもらえないかしら?」
「喜んで!この時間は一人で暇なの」

喜んで、と応えてくれたのはどうやら本心で、すぐにティーを2人分準備すると、カウンターから出てきて、フロント前のテーブルへ。
女性は名前をエマといい、エレンよりも2つ年上。この宿屋の主人の一人娘だそうだ。
久々に人と話をするせいだろうか、峠を越える際の苦難などを語るエレンの口は滑らか。エマとはすぐ打ち解けてしまった。
「この近辺のことを知りたいんだけど…」
「街の?」
「ううん…、砂漠のほう…」
うって変わって、歯切れの悪くなるエレン。エマが表情を硬くする。
「あたし、砂漠の南のほうへ行きたいの。人に話を聞いて、王族のお墓があると知ったんだけど」
「確かに、ゲッシア王族を奉った廟はあるわ」
「そこへどうやって行くか、知らない?王族の人にしか分からないって云われて…」
エマは地図の砂漠の南、何もないあたりを指差して、円を描き、苦笑する。
「ハマール湖からまっすぐ南下したあたりだとは聞くわ。けど、正確な場所や距離は分からないの」
「まっすぐ…ね。ありがとう。それだけでも教えてもらえて助かるわ」
「私が王族の身分を隠して働いていたなら、良かったんだけれどね」
温かな手が、エレンの手をとる。
「宝が眠っているらしくて、場所を訊かれることがたまにあるんだけれど、あなたはそうじゃないみたい…」
乾燥地帯の人々は、その他の地域…少なくともエレンの生まれ育った近辺の人々よりも、体温が高い。
ハリードの手はいつも、エレンには温かかった。
それと同じ温度が今、エレンの手を包み込んでいる。
意識を現実から遠ざけてしまいそうになる感覚をこらえて、エレンは笑う。
「知り合いがひとりで砂漠へ行ってしまったの。心配だから、あたしが駆けつけてあげなくちゃと思って」
「きっと、あなたの大切な人なのね」
その言葉が含むニュアンスを感じ取り、エレンは赤面した。
しかし言葉通りに受け答えをするのならば否定は出来ず、結局、この言葉への返答はしなかった。
「明日、砂漠へ出るの?」
「そうね、日が昇ったらすぐに…」
「渡したいものがあるわ。ここで待ってるから、顔を見せて」
そして改めて礼を云い、エレンはあと少しの情報と必要な物を求め街へ出る。









どれほどの時間が経過したのだろう。
モンスターどもの、単体でなら苦もなく斬り捨てるが、束になって襲いくる者もいる。
また彼等はどこから沸いて出るのか、ハリードに息をつく暇は与えられない。
とはいえ、何もそこまでしてカムシーンに拘らなくとも、故意に手を抜いて、彼等の餌食となったとしても…
それを望むのではないのか?
危険を退けようとしてしまうのは…動物の本能か、剣士の誇りか、或いは、…


今、どうしているだろう。
笑っていてくれれば良いが、別れの日のあの表情が、眼に焼き付いている。


無心を貫こうとする自分自身を欺き、思考回路を支配する、迷い。
ここへ来て崩れ始めた心。
曲刀を振るって、そんな無様な自分を誤魔化した。

迷いを生むのは、最後に、この腕に抱きしめた…


アンデッドの、腹の底からの唸り声が背後を襲う。あからさまな気配は感じ取っていたため、振り向きざまに胴と首を斬り裂いた。
無心を取り戻し、建物の奥へと。
彼らは一度死に、様々な事由で再び生命(厳密には生命でなく、動力源)を得た存在だ。
自分もここで死ねば、彼等の仲間入りをするのだろうか。
贅沢を云えば成仏させて頂きたいものだが、この廟の中に渦巻くおどろおどろしい邪気からは逃れられそうにない。
永遠にこの地で、生きた肉塊として彷徨うこととなろう。
そんな結末が似合いかと思いながらも、アンデッドに成り果ててもこれを手にしていたのなら不恰好だと、曲刀の刀身を見下ろした。


──
見覚えのある広間へ出る。
ここにはモンスターの姿がないが、結界でも張られているのだろう。

中央の一際立派な石碑。アル・アワド王の墓だ。
石碑に埋め込まれているのは、曲刀カムシーン。

一歩を踏み出し、その前へ。
すると何処からか声が響いた。


 汝、カムシーンを受け継ぐ者か?


「そうだ」
躊躇無く答え、自らの曲刀に纏わり付く、モンスターの血液か体液か判らない汚れを振り落とす。


 証しを立てるか?


ハリードの瞳に、宿る光。
「──ああ」

その返答を受けた空間がひずむ。
風が巻き起こった。
目視は出来なかったが魔法陣が敷かれているようで、広間中央に円柱状に舞い上がる砂埃。
肯定の返答がキーワードとして組み込まれ、術法が発動する仕組みらしい。


魔法陣から召喚され現れたのは、
巨大なドラゴン。

鼓膜をつんざくように、ドラゴンの鳴管が地鳴りの如き轟音を立てる。
息を呑んだ。
ドラゴンの眼がハリードの姿を捉えたと、同じタイミングで、
鋭い爪を光らせるその腕が、唐突に振るわれた。


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