十年前、ゲッシア王朝──






真夜中、街に火の手が上がったことを知らせる鐘の音と、あとは何の音か判らない轟音、人々の怒声、悲鳴。
只事ではない騒ぎに目を覚まし、飛び起きて窓際へ。

街のあちらこちらから炎と黒煙が噴き出している。
彼の住む館から見えるゲッシア王宮の庭の辺りからも、朱い炎が上がっているのを見た。




それで総てを把握した。
王朝内で勢力をつけていたが一度は弾圧した神王教団。
真夜中の奇襲。




曲刀だけを手に取り、鎧も身に着けず王宮を目指した。
街中には王宮突撃の道すがら火を放って行っただけのようで、教団の者らしき姿は見えない。
最初に落城させるため、王宮に総て動員されているわけだ。
彼と同様に、これまで教団を相手に戦って来た者たちが、武器を手に王宮へ向かうが…、

王宮内のあちらこちらには血溜まりと、横たわり動かない兵士たち。
夜中だから守衛の警備が手薄ということは決してないのだが、数が違っていた。
太刀打ちのできる状況にはなかった。


王宮を駆け抜け真先に向かったのは、ファティーマ姫の部屋。
途中、教団のシンボルを身に着けた者と遭遇し、それぞれと武器を交えた。
個々の腕前に大したことはなく、全員が曲刀の舞に命を落とした。

それを踏み越え辿り着いた部屋、
その扉は破壊され、入口がぽっかり口を開けている。
中にゲッシアの兵士の屍が5体…、
ベッドルームに続く扉も開け放たれたままで。


彼女のベッドのシーツに赤い染みができている。

それを目の当たりにした。
しかし彼女の、姿は見えない。


ベッドルームの絨毯の上では教団の者も1人、血を流し死んでいた。
これは一体何を意味するのか。
判断力を奪われ、暫し立ち尽くした後。
教団の者の死体を起こし、首を刎ねた。
既に血流を失っているため、じわりと湧き出る程度の血液。
それを眺めたところで何かが判るわけではなく、首無しとなった死体を床に落とした。


静かに、部屋を後にする。
国王と王妃の部屋へ向かおうとすると、王宮内にも火の手。
最早、落城同然であった。
顔見知りのゲッシアの兵士に出会すと、逃げるよう促された。
それを聞かず、王宮を彷徨う。
だが屍が転がるばかりで。
神王教団軍は既に王宮を後にし、街を破壊し始めていた。


その姿を捜した。
愛している人の。
何も考えられぬまま、走った。


やがて王宮は炎に包まれ、行く手を阻む。
焼けて崩れ落ちる天井や壁を避けて進んだが、…刻々と、人を捜し回れる状況ではなくなってゆく。
王宮の出口の方向は業火に覆われており、どうにかバルコニーへ出て、飛び降りた。
何かを振り切るように、ハリードも王宮を後にした。

街へ出て、神王教団軍と闘った。
それからは…よく覚えていない。
何十人、何百人を斬っただろう。
自分も体に傷を負った気がしたが、痛みを感じた記憶はなかった。




夜が明ける頃、放たれた火は総てを焼き尽くし、役目を終えた。
恐ろしく静まり返った荒れ地に、人が焼ける臭いだけが流れる。
たったの数時間で、こうも変わり果ててしまうものか。

生き延びた人間が落ち合い、安全な場所を探し、食料と水を集めた。
数日が経ち、数週間が経ち、この地を棄ててリブロフへ向かうという人々が、姿を消して行った。


ファティーマの姿を、いつまでも見つけ出せないまま、時にはオアシスを離れて砂漠にも出た。
誰かが助け出し、ここから離れた地にかくまっているのだろうか。
何一つ情報を得られず、彷徨い歩く日々。




そのうち感情を失くし、やけに澄んだ空を仰いでは、名前を呟いていた。









────

エレンの寝息が聞こえ戻した意識。
掌にじっとりと汗が滲んでいた。
体が自分の血と誰かの血にまみれた、あの時の感覚までもが蘇り、立ち上がってシャワールームへ。

そういえばあの日から、特に決心があったわけではないが、鋏を入れずにいる髪。
解いて背中に広がるそれを、重く感じた。
この髪のように、肉体に纏わりつく過去。
浴びた冷水で流してしまえるならばどんなに良いだろう。


自分の中のどこか、荒んでいる部分へエレンを取り込んで、埋め合わせてしまおうとしている。
彼女の笑顔と自分の過去は結びつかないからだ。

規則的な寝息に幸福を感じて、浸ってしまわないよう、客室を出た。


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