翌朝。日が昇った頃に、ハリードは防寒着を着込んで甲板へ。
エレンの後ろ姿を見つけた。
「よう、早いな」
「おはよう。農家の朝はこのくらいよ」
実は少しエレンの様子を気にかけていたが(落ち込んでいたことと、自分が半ば強引に連れ出したこと)、横顔は明るい。

「あ!イルカ!」
エレンが手摺から半身を乗り出した。2頭のイルカが船について泳いでいる。
船の手摺はエレンの胸の高さほどはあるが、船の揺れが合致してしまうと落ちかねない。
それに目を配ってやる目的で、ハリードも隣で一緒になって海を覗き込んだ。
「毎日こうして船について回ってるのかしら?」
「いや、滅多に出ないらしいぜ」
「ほんと?」
するとイルカは助走(?)をつけ、まるでパフォーマンスをして見せるように、水面高く飛び跳ねた。
「うわーーっ」
水飛沫が朝陽の光をキラキラと散らす。
「すごーい!船の乗客が喜ぶってわかってるみたい」
若い娘がはしゃぐ姿は微笑ましいもので、ハリードも思わず頬を緩めたが。
いよいよ手摺を掴んで両足が浮いているので、流石に腰を抱えてやった。
「何よ!?」
変質者を見るような鋭い視線が返ってくる。
「落ちるぞ」
「………」
武術の腕前を見込んだのと、行く先に迷っている背中を押してやろうという世話焼きで、このエレンを旅へ連れ出した。
「そろそろ荷物を取りに戻るか」
「あ、あたしの分もお願い」
元気を取り戻したエレンと接してみると手を焼きそうな予感しかせず、ハリードは何だか日光に眩暈を覚えるような気すらしてくる。
せめて荷物担当に身を落とすことは避けようと、エレンの腕を引いて船内へ連行したのだった。





ツヴァイク城下町。
民家も商店も立派な煉瓦作りに統一され、ツヴァイクの紋章を織り込んだフラッグが規則的に並ぶ。
人々が裕福な暮らしをしているのもその姿から見て取れた。
「ツヴァイク公は相当な変わり者だというが、政治に関しての手腕は確からしい」
「ふーん」
軍事国家であることに加え、北方の窓口となる地であり、武具から土産物まで何でも手に入りそうだ。
エレンはきょろきょろと辺りを見回し、時折立ち止まってみたりと落ち着かない。
「なにが名物なの?」
「ビールだな」
「お酒ばっかりね!」
とりあえず食事を、ということでレストランへ。
そこでエレンが、ランスまでのルートについて聞かされた。
ツヴァイクから山脈を迂回して北上し、狩猟民の町キドラントからは西へ。
この地方の主要ルートであるため整備はなされているが、積雪などの天候に左右されるため日数ははっきり決定できないと。
「本当にちょっとした旅ね」
その割には…という顔で、ハリードの荷袋をじろじろ眺めた。
「必要なものはその都度入手するし、不必要になれば売り払うか処分する」
「なるべく軽くするってこと?」
「それももちろんあるが、急襲に遭って逃亡しようというときに置き去りにすることも考慮する。盗難もだな」
「へーっ」
寒がりらしいエレンは、ハリードに脅され、ダウンの防寒着の下に着る毛皮のジャケットもお買上げ。
そして正午、ツヴァイクを発つこととなった。

ツヴァイクを離れるとしばらく人里から遠ざかるため、貸し馬が使える。
馬の背に揺られながら話すうち、先日の騒動について話題が及んだ。
「ところでエレン、レオニード伯爵って奴はどうだった?」
ハリードはロアーヌ軍の宿営地でミカエルに戦力として見立てられ、シノンの4人とは別れて軍隊に加わった。
4人はモニカをかくまっていただくためにと、ポドールイ北の丘にそびえる、レオニード伯爵の城へと向かったのだ。
「そうね、良くしてくれたけど…冷たい印象だったわ。城も不気味だし、用事がなければもう行きたくないわね」
宿営地からモンスターの蔓延る森を抜け、雪に覆われたポドールイの街へ。
ポドールイは異質な雲が太陽を隠し、常に夜のままという特異な地であった。寒さに嘆いたのを思い出す。
更に伯爵の城は恐ろしく静まり返っており、一行はろくに体を休めることもできなかった。
「そうか。俺は会って話をしてみたい気もするが」
この世界で、500年以上は生きているというヴァンパイア。
分類的にはアンデッドになるそうだが、領地ポドールイの人々だけでなく、ロアーヌ候ミカエルにまでも厚い信頼を得ている。
単に不老不死の身とはどんなものかと尋ねてみたい好奇心も、無くはない。
「で、お前は咬みつかれなかったか?」
「…どういう意味?」
「物好きかも知れんだろ」
エレンは口を尖らせて、馬上から身を乗り出し、ハリードににじり寄る。
「それを連れてる物好きがここにいるじゃない」
この一言に、ハリードは彼女を見て何度か瞬きをした。
そして、不敵に微笑う。
「なに、その顔」
「ならお前は今晩、俺に咬みつかれないように気を張っておかなくてはならん」
そう云うとにこりと笑って見せ、手綱を引いてエレンよりも先に馬を歩かせた。

そんなハリードの背中を、固まったままで見送った。
ヴァンパイアという生き物へのイメージそのまま、首筋に咬みつかれるような想像をして、エレンは赤面した。
「エロオヤジ!!待ちなさいよっっ!!」
手綱が打ち鳴らされるのと蹄が土を蹴る音でエレンが馬を走らせたのが判り、ハリードもまた手綱を強く引いた。
「おい!ジョークを真に受けるなよ!」
「ジョークでも云っていいことと悪いことがあるわ!!」
砂煙を上げ、エレンがハリードを追う。
結局、予定よりも早く本日の宿へ辿り着いてしまったふたりであった。


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