アイリス
街外れを歩いていて、エレンが何かを発見した。
間抜けな顔で見送っているので、ハリードもその視線の先を追ってみた。
成犬(白)と仔猫(三毛)が2匹だけで歩いている。
仔猫はチョコチョコと犬の横について、まるで親子のよう。
周囲に飼い主らしき存在は見当たらない。
「あれ、なんだか変よね」
「変だな」
すると突然、ふたりと2匹の目が合った。
ピタッ!と立ち止まる犬。それを見上げて足を止める仔猫。
「ジロジロ見るなってこと?」
「かもな」
犬は控え目に尻尾を振っていて、やがて、ふたりの方へ控え目に接近してきた。
「こっち来たわよ」
「来たな」
芝生に膝をついたエレンが2匹を笑顔で待ち受ける。
犬の足を追い越した仔猫が、エレンの元へ一目散。
「わ、かわいいっ♪」
ひとしきり撫でてもらうと、ころんと仰向けに。これだけ愛らしいのだから出くわす人間にはもれなく構われ、慣れているらしい。
ハリードも傍らにしゃがみ込んで犬を待ち構えてみるものの、相変わらず控え目に人間の男を見つめるだけ。
手を伸ばして頭を撫でてやっても抵抗はしないが。
「怪しいおっさんを警戒してるのよ」
「2匹の『群れ』なんだろう。ボスのこいつはうっかり人間に甘えている場合じゃないと」
犬は生活や行動を共にするグループを『群れ』として認識し、上下関係を作り上げる。
この2匹が一緒にいる理由はさておき、犬はボスとして仔猫を護ってやらなくてはならないわけだ。
エレンも仔猫を抱えたままで犬の頭を撫でてみた。
“群れのボス”はちらりと仔猫の様子を見遣ってから、エレンに対して上目遣い。すり寄るそぶりは見せない。
「しっかりこの子を怪しいおっさんから護ってあげてね」
「うちの猫に気安く触るなって顔してるぜ」
ところで、2匹が寄って来たのは、単に構ってもらおうということではなさそうだ。
エレンが試しに荷袋を探ってみせると、犬がその動作に反応した。
「お腹が空いてるのね」
「こうしてねだって暮らしてるわけか。分かってるな」
器を2つ並べ、握り飯を乗せて、スープでほぐす。2匹の期待の眼差し。
召し上がれ、と人間の言葉で促すと何故か通じて、ボス権限かもしくは毒見か、先に犬が口をつけた。仔猫も続く。
綺麗に平らげてしまうまで、ほのぼのと見守ったのだった。
晩になり、エレンは宿で、街から延びる砂利道の方向を眺めていた。
窓際は寒く、すぐに暖炉のそばのテーブルへ。
「今夜は冷えるわ。凍えてないかしら」
「心配するな。人間よりよっぽど逞しい」
例の2匹は、別れ際にはまるで礼を云いたかのように、何度もふたりを振り返っていた。
「親猫とはぐれちゃったのかな…」
そして、この街中にでも適当に住み着いていればいいものを、2匹は街から離れて行った…。
「あたしたちもあんな風に見えるのかな」
「…お前が仔猫ちゃんか?」
「変な組み合わせってこと!」
エレンの頬を撫でた指先が前髪へ移って、さらりと掻き分ける。
「まあ、共通点はないか」
ヨルド海沿岸地方の小さな村に生まれ育ったエレンと、砂漠地帯出身のハリード。
年齢も離れているせいか、共に旅をしていると話すと驚かれたこともあった。
「お前、別の地方の血が交じってるだろ」
「すごい!分かるんだ」
「長年あらゆる人種を見てきたからな」
「代々ロアーヌの辺りで開拓と農業を続けてるけど、おじいちゃんが西の方から婿入りしてきた人なの。
だからほんのちょっとだけ、目と肌の色が薄いみたい」
云い当ててもらって嬉しそうに笑ったあと、今度は、エレンがハリードの瞳をじっと覗き込む。
「ハリードの瞳の色は、明るいところだと、ちょっとだけ碧いのよね。瞳孔のまわりだけ」
「そうだったのか」
「自分のことでしょ」
「鏡を見つめる機会は俺にはない」
そう聞いたエレンは、自分の手鏡を取り出して、ハリードの顔の前へかざした。
「………」
「なんで笑うの?」
「いや、懐かしいなと」
手鏡ごしにハリードが微笑みを向けてきた。
「国にいた頃、表に出る仕事の日、支度を済ませると従者がそうやって鏡を出した」
彼は王族の生まれだ。
急に違う世界の話をされて、エレンには、変な組み合わせ…という表現が、なんだか重い。
手鏡は仕舞って、話を始めた。
「あたし、本当にハリードとは釣り合っていなさそうね」
「釣り合い?」
「ちゃんとハリード様って呼ばなくちゃ」
「やめろよ、不気味だろ」
冗談は云うし、大雑把で、興味のない事柄には無頓着で…という男だと思っているけれど、
ちょっとした振る舞いがスマートで、どきりとさせられることがある。
「身分に縛られないで過ごす方が楽だ」
「それこそ、城下町に下りた王様の云い分だわ」
それと、ハリードは見知らぬ人間からたびたび声をかけられる。
彼が剣士として名の知れた人物であることの他に、夜の時間帯になると寄り付く存在があるのだ。
彼女たちは、横顔がステキね、とか、今夜暇なの…とか、恥ずかしげもなく云ってのける。
そのやりとりが、エレンの眼前でなされたことも一度や二度ではない。
「あたしは、生粋の田舎者よ。乱暴だし、口も悪いし」
「それは釣り合いの話か?」
話を遮られてエレンは黙った。
椅子を立ったハリードは、エレンの手をとる。
やはり整った仕種で、窓際まで連れていった。
「俺とお前が、この宿の一室の窓枠に収まる。外からこれを見る人間がいたとする」
たとえ話だが、思わずエレンが外を見ると、まだこの時間は通行人の姿が。
「武器を持つお前に俺が話をしていれば、修行の旅をしている武術の師弟だと思うだろう」
「たまにあるわね」
「もし俺がお前に頭を下げていたら、視察旅行にやってきた伯爵の娘と、その従者に見える」
「異性の従者を同じ部屋に入れるかしら?」
「そうだな。それなら、娘は父親に隠れて従者と愛を育んでいるのかも知れん」
手を持ち上げられ、キスをされる。
口ぶりがそれらしいだけで、なんだか強引な話。エレンは笑う。
「果たして釣り合いが取れているかどうか、外から見た人間はどうとでも考える。
悪いが、お前がいくら気にしても、何にもならん」
「………」
「俺が連れているのは、お前だ。エレン」
ほんの少し碧い色が潜んでいるらしい、男の瞳。
すかした微笑み方をして、エレンの腰を引き寄せた。
エレンは通行人がこの窓のほうを見上げたことに気づいたが構わずに、男の胸に額をつけた。
END
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