フリークアウト

あたしと一緒に旅をするようになってから、気にせず酒に酔えるようになったんだ、って、いつか云ってた。
ハリードはお酒に強いから、わけがわからなくなるまでにはならないけど、
自分の代わりにお金や貴重品を見ておく人間がいるっていうだけで、ずいぶんと違うみたい。
「その様子じゃ、明日の出発は無理ね」
「少し寝坊すれば問題ない」
あたしが酔っぱらって介抱してもらうときは、その逆。いつの間にかそういう習慣ができた。


肩や腕をぶつけ合いながら(あたしが一方的にぶつかられてたの)、宿屋へ帰還。
あたしが泥酔したときはもうちょっとだけひどいから、文句は云えないわね。
ランプをつけて、暖炉に火を入れて、グラスに水を注ぐ。
ひと通りすませたら、入口のすぐそばで壁に寄りかかったままだったハリードのところへ…
「あら?いない…。 あ!」
脱衣所に入って行く後ろ姿。もしかして奥のお手洗いでゲロゲロするのかしら。背中をさすってあげなくちゃ。
「ハリード!大丈夫?」
ゲロゲロどころか、振り向くとにこやかなハリード。
「ひゃっ!?」
突然、視界がぐるりと回転して、体が宙に浮いた。
隣のお風呂場の扉が開くと、あたしはタイルの上に立たされた…。

「背中を流してくれ」
「……へ?」
「俺が弱ってでもいないと引き受けていただけないだろうと思って」
「お風呂はご飯の前に入ったでしょ!酔っぱらってふらふらなんだからもう寝なさい!」
「やだよ」
「なんですって!?」
「俺のささやかな夢なんだぞ」
変なこと云ってるけど、顔は大真面目ね。
お酒のせいだとは思いつつ、こんなくだらないお願いごとをしてくるなんて、珍しいし。
「…わかったわ。弱ってるから特別よ」
満足そうに笑ってさっそく服を脱ぎだすから、慌ててお風呂場を出た。
男の人の裸なんて、見たことないもの…。
扉をちょっとだけ開けて、手だけ差し入れてバスタオルを一枚放り込むと、すぐに手だけ出てきて服を預けられる。
「………」
急にドキドキし始めて、後悔しそうだけど、覚悟を決めて扉を開けた。


温かいお湯と湯気、石鹸の香り。
寒い季節だからあたしも手足が温まって心地いいし、まあ、いいかな。なんて。
「やっぱり、背中には傷痕がないのね」
ハリードは笑って、その背中を丸くする。
「戦に出る仕事をしているからには、プライドがあるからな」
女のあたしよりもきめが粗い肌。こんな間近で見るのは初めてだな…。
背中に傷を負わないんだから、あたしが手当てをしてあげる機会もないのよね。
「広いから疲れちゃいそうよ」
「なんだ、云ってくれるな」
もっと強くていいぞ、とか、右とか左とか、あれこれ指図されながら、あたしもいつの間にか泡まみれ。
昔、父さんの背中をこうして洗ってあげたのを思い出すけど、父さんっていったらハリードは怒るかしら。

「一人旅だったら誰も背中を流してくれないものね。はい、これで終わり!」
最後にお湯で流して、もくもくと上がった湯気が晴れると、ハリードは相変わらずにこやかだった。
「次はお前だ」
「もういいから、寝なさいってば」
冗談かと思ったら、ハリードは手桶にお湯を汲んで、石鹸を手に取っている。
「本当に??」
「素っ裸になれとは云わん。なってくれるなら止めない」
「エロオヤジ!」
キンキン声で怒鳴りつつも、検討し始めちゃうあたし…。
ハリードが先に出て行ったらついでに浴びようかな、とは考えてたの。どうせ服も濡れちゃってるし。
そして、人に背中を洗ってもらうのは、確かに気持ちいいのよ。
最後に母さんがそうしてくれたのは、あたしが16か17のころ、落馬して腕を骨折した時だったわね。
嬉しかったな。
もし、ハリードに、そんなことしてもらえるなら…。
………。
「…お願いしようかな」




脱衣所で髪を上げると、下着を外した。…もちろんパンツだけは穿いておくけど。
胸にバスタオルを抱えて扉を開く。
ハリードと目が合うと、さっきとは違う風にドキドキして、顔から火が出そう。
椅子に座らされて、色んな意味で逃げ場がないな、なんて考えたりして…。

気まずくなるから喋ろうとしてたのにきっかけが掴めなくて、結局黙り込んじゃった。
あたしはしばらく髪を触ったり、バスタオルを直したり。
その間、腕の逞しさから想像できないくらい、柔らかい洗い方をしてくれる…。
ハリードらしいな、と思うと、笑えちゃった。
「ハリード、ちょっとくすぐったいんだけど」
「加減が難しいな」
「ふふっ」
「傷つけそうだ」
体を洗うための、ざらざらした手触りのタオルだけど、そんなわけないじゃない。
ハリードには、傷つきそうに見えるの?
あたし、ずっと武術をやってきて、女の子扱いは嫌だったはずなのにな。
ちょっとだけ嬉しくて…ちらっと後ろを見た。
「じゃあ、優しくして」
手が止まった。
背中から、体を包み込むような抱きしめ方をされた。
「悪い。思った以上だった」
「…なにが?」
「お前が」
無警戒で誘いに乗ったわけじゃない。
…そういうの、半分くらいは、わかってたつもりよ。

顔が近づいたら、パブにいた間に髪に移ったのか、誰かの煙草の匂いがした。
余裕がなさそうなハリードの眼。
「…、ん、」
まだ、強いお酒の匂いもして…
音を立てて舌を絡ませられたら、あたしも、酔いが戻ってきちゃいそう。
キスがやむと、首筋を這うやわらかい熱。
どうにか声をがまんするけど、…さっきから、泡のせいで、肌と肌が変なふうに擦れる。
「ん…っ」
腰に手が添えられると、それだけで体が跳ねた。
「…だめ…」
「エレン…」
耳のそばの、ほんの少し荒い呼吸。

ハリードはもう一度、あたしを背中からぎゅっと抱きしめた。
「…酔った勢いでは、まずいな」
「………」
「後悔…しそうだ…」
語尾が弱まって、首もとにぴったり頬をつけられて、胸がぎゅっとなる…
「ハリード、あたしは…、あの、いやじゃないわ…」
誘いに乗ったのがそもそも悪いんだと思って、とっさにそう云ってみる。
…それにしても、ずいぶんと背中に体重をかけてくれるけど。
「重い…」
ぱっ、と離れたかと思ったら、お風呂場の扉が開く音。
まさか…。




ハリードが駆け込んだのはお手洗い。
広い背中をさすってあげたあと、バスローブをかぶせてベッドまで連れて行く。
「……さむ……」
お風呂で温まって、お酒が回って具合が悪くなった挙句に体が冷えちゃうなんて、最悪じゃない。
白湯を入れたカップを手渡したら、両手で包み込んでいた。
「ごめんなさい。あたしが止めてあげなきゃいけなかったわ」
ハリードは、ゆっくりと首を横に振った。
「嬉しかったよ」
「…ほんと?」
「お前、綺麗になったな」

あっ、今、ボッ!!ていう音がしたわ。
あたしの頭から湯気が上がったはずよ。
大変だから、あたしもベッドで横にならなくちゃ…。

「お、おやすみなさい!!」



END

web拍手
[一覧へ]
[TOP]