VIEW

ハリードは元来の大雑把な性格で、エレンがそれを正してやる構図が日常なのだが、
エレンは直感に突き動かされるまま行動する無鉄砲さを持ち合わせており
それがハリードの性格とうまくマッチングすることがしばしばあった。

「ここ、どこなのかしら?」
「さあな」
「近くに人は住んでいそうね」
ハリードにとって地図は、困った時に見るもの。
見晴らしのよいこの場所からは、遠くに畑、牛や羊の放牧も見られるし、危険地帯ではないという判断をしている。
「本当にきれい!」
サク、サク、と音のなる、広大な草原。確かに恐ろしい魔物や、旅人を狙う山賊は現れそうにないが、
ちゃんと地図を見ないと変なところに迷い込んじゃうわよ!と戒めるのがエレンの役割となるはずである。
美しい風景にどうしても心を惹かれていて、それどころではない様子。
気ままな旅暮らし。何のあてもなく、何にも追われず、何も追わず…


そうして、ふたりは高台の街に辿り着いていた。
到着してはじめて地図を広げる。太陽の位置から進んだ方角は把握しており、おおよその居場所は特定できた。
「ここだろ、この街は」
ずっとなだらかな傾斜をのぼり、途中からは小さな古城がそびえる丘の方向を目指してきた。
城下町にも関わらず、地図には小さく街の名が記されているだけで、これまで気に留めなかったはずである。
苔と蔦の這う城壁。古びてはいるが戦に遭った形跡は見られない。
「国だったの?」
「図書館で歴史の本を片っ端から読み漁ってみろ。それで判るはずだ」
「あたしは3行以上読むと頭痛で倒れちゃうの、知ってるでしょ!?」
行き交う人々を見ていると質素な暮らしをしていそうな雰囲気。小さな子供が、鎧を着て武器を提げているふたりを、珍しそうに凝視していた。
赤土で造られた建造物が夕焼けの赤い光を纏って、燃えるような色合い。

情報収集ならまずはパブへ。
店主にあれこれ訊ねると、古城はかつて、とある伯爵の住居であったが、現在は空き家なのだそう。
赤土が採れる地で、塗料や絵具が生産され、色合いの美しさから広く流通しているとか。
「ここは昔から平和ですよ。あの城についてはよく訊かれるけど、何のしがらみもないところです」
「景色もきれいだし、最高じゃない」
「でしょう?ただ、下の街からものが運ばれてくるのが月に一度だけで、そこが不便といえば不便かな」
「そうね、下りるのには丸一日かかるものね」
こういった辺境の地へ足を運ぶと、このふたりはもれなく注目の的となる。
一人の青年が、おそるおそるハリードのもとへやってきた。
「あのー、旅の方ですか?」
「ああ」
「珍しいなあ…、こんな何もないところに。もしや、画家の方でしょうか」
「?」
いくらこの地が絵具の生産地とはいっても、この図体の大きな男に、画家なのかと訊ねることは不可解に思えたが…
「ああ、そうか、俺みたいな図体の画家がいるらしいな」
ブロンドの長髪・筋骨隆々とした出で立ちながら、海やイルカの絵を描く画家が人気らしいと、ハリードも噂には聞いていた。
画家といえば気難しそうな宮廷画家か、ひょろひょろに痩せた貧乏画家か…という印象を覆した人物で、なんでも、いつも違う女性を連れてビーチに出ているらしい。
「残念ながら俺は、文字を書くのも億劫だ」
青年は、鎧の鉄製プレートの鈍い輝きを注視する。
武具を必要とするのは軍隊を抱えた国家くらいのもので、このような街にはそもそも武具工房が存在しないのだ。
「あちらの女性の護衛をされているんですか?」
「………」
戦斧を所持している、あの乱暴な小娘に、護衛が必要なわけがあるまい…
…という事実をこの青年が知るはずはなく、ハリードは一人で笑いをこらえた。


5室しかない宿屋で、窓の外に拡がる一面の星空が、ふたりの気を引いた。
視界を遮るもののない、高台ならではの景色。
とはいえ観光のできる場所もなさそうなこの地ではおそらく、明日には街を出ることとなるだろう。
「来てよかったわね」
この星空を売りにすれば、観光客を呼び込めそうな気もするのだが。
あるいは近ごろ、かつて王侯貴族が使った城をホテルに改装するのが流行っているというし。
「このあいだなんて、ひどかったじゃない。窓を開けたら隣の建物の壁しかなかったもの」
「お前も贅沢を云うようになったか。まずいな」
「今度、一泊50オーラムの超高級コテージに連れて行ってもらおうっと!」







翌朝、朝食をとりにカフェへ。
この日もよく晴れて、エレンは当然のごとくテラス席を確保。
芝生や木々の瑞々しさは気候が良い証拠だが、開墾がされていないのは傾斜のおかげか。
「いただきます♪」
カフェオレに口をつける横顔へ、視線が注がれている。
「なに?」
「来てよかったな」
「あたしの台詞をとらないでくれる?」
ハリードは、何もなさそうな地にあえて足を向ける発想は自分にはないと、眠りに就く前に考えたところだった。
育ちというか、生きてきた環境に違いがあるからだろう。
今までよく、意見の食い違いもなくやってこられたものである。
もう一度エレンの方を見ると目が合った。
「カフェオレがおいしくて、景色がきれいだったら、それで幸せね」
「………」
「あ、スコーンもおいしいわ」
幸せ、という単語に引っかかって、ハリードはひとつ大きく息を吸った。

幸福というのはとても貴いもので、何かを必死に切り抜けて初めて、感ずるものではないのか…
あるいは、たとえ掴みかけても、いつしか手を離れていってしまうような…

“幸福の定義”を、持ち合わせの知識の中から探し出そうとした。


「ねえってば、ハリード」
突然、考え事を始めて、意識を宙に飛ばす癖。いやというほど自認しているから、呼びかけられればすぐに戻ることはできる。
「俺もスコーンを注文すれば良かったな〜っていう顔してるわよ。分けてあげるから」
「いや、俺はプレーンを好む」
「ココア風味のもおいしいのよ」
そう云うとひとかけら千切って、サンドイッチの皿の隅に置いてくれた。
“幸福の定義”はこれ以上出てきそうにはなく、諦めてココア風味のスコーンをいただいた。
なるほど、ほろ苦い風味は確かに、一味違って旨いものだ。
ブラックコーヒーで流し込むとまたよく合う。
感心しているとエレンの手が伸びてきた。
「あたしもサンドイッチを分けてもらわなくちゃ」
「三切れしかないのは分かってるな?一口だぞ」
「ケチ!」
スクランブルエッグのサンドをぱくり。おいしい、という感想は口に出してもらわなくとも、目の輝きだけでよくわかる。
「よし、半分まで許可する」
「むふふ」
きっちり半分を頬張って、食べかけでごめんなさいね、と云って皿へ置いた。
持ち金や食い物に困るようなことはないので、別に一切れ全部食べてもらっても構わなかったが
彼女の表情を見ていると自分も食べてみなくてはと、ハリードは思ったのだ。
「また来られたらいいなぁ」
なぜ、幸福を定義づけようとしていたのかを忘れていた。
「俺は頭が固いんだな」
「そうよ。ココア風味のスコーンも食べてみたらおいしいでしょ?」
「うまかったな」


エレンのとりとめのない話を、取りこぼさず聞いてやりながら、
つやつやと風が撫でる草原を、また丸一日かけて下る。
少し丈が長く、土が見えないほど密集している草の上で、駆け降りる勢いだったエレンが足を滑らせ尻餅をついた。
ハリードはさんざん笑ったあと、エレンの手をとって、速度を落として歩きだす。



END

web拍手
[一覧へ]
[TOP]