プライベイト・シーサイド

海は見えず、繁華街は遠く。
二人の旅人はコテージに落ち着いてから窓の外を確認、“せめてもの、パパイヤの木が見える風景”に南国らしさを見出しておく。


ここは南国・グレートアーチ。
からりと澄んだ空気、肌を焦がす陽射し、そして海…。
宿泊先には、海に近いとか眺望がいいとかの条件を求めたいところだが、どこを訪ねても満員御礼。古びたコテージへ追いやられてしまった。
「でも、ブラックのぼろ小屋が近いわね。さっそく会いに行こうかしら」
「遠いほうが良かったような…」
「一緒にお酒でも呑めたら楽しそうじゃない?」
「………(邪魔だ)」
足取りの軽いエレンについて行くハリードは、ヤツがもしこのコテージに押しかけてきたらかなわん、と顔に書いたままである。

「よーう!元気そうじゃねぇかエレン!カッカッカ!」
元海賊という肩書きは、時に人々が遠退いてしまいそうでもあるが、例えば目が合えばナイフで刺されそうだとかいう印象にはまるで縁がないブラック。
「お互いにね」
「んー?後ろの中年は誰だっけか?」
「毎度毎度同じすっとぼけ方を」
彼の場合、強奪した紙幣の束を積み上げたり、部下を奴隷同然に扱ってふんぞり返ったりということはなかったようだ。
名高き宝を奪うという、いわば『男のロマン』に生きたタイプだ。
そんな解説はどうでもいい!とハリードの顔に書いてあるのを察知した…かどうかは分からないが、エレンはブラックに切り出した。
「ブラック、たまには一緒に遊びに行きたいわ。いいところをたくさん知ってそうだし」
「おし!わかった」
即承諾。何も予定はないのか、と口を出したいのを抑えるハリードである。
実際特に予定もなく、ぼろ小屋(自宅)で何かしていたわけでもなかったようで、ブラックはそのまま二人に同行。
「面白くなさそうだな、ハリード」
「なんの話だ」
「すっとぼけてんのはオメーだろ、ウシシシ!」

明日の海遊びのために水着を選びにかかるエレン。こんな時、男性陣は眺めるだけ…と、思いきや。
「エレン、お前もうちっと女らしいのを着てみろよ」
ブラックの、派手なタトゥの入った腕が伸びて、女性ものの丈の長い衣服をとる。
アンバランスに映るも、それなりに女性関係が派手?であった本人に違和感はないのだろう。
「こういう…こういうのは何てーんだ?」
「ワンピース?」
「そうそうそれだ。海賊王になるヤツ」
「違うんじゃないかな…」
熱帯地方ではポピュラーな、よく風を通しそうな素材。大きな花の柄。武闘派のエレンには縁遠いが。
「せっかくこんなべっぴんに生まれたんだからよ。損だぜ」
「もう、ブラックったら…」
ちょっぴりその気になりかけたところで、ちらりと視線を移すのは、ハリードのいる方向。
すると彼は、なんとも表現しがたいがとりあえず凛々しくはない、もぞもぞしい表情をしていた。
「よーしここは、俺様が支払ってやる」
「いいの?でも、一緒に出かけるのを誘ったのはあたしだわ」
「へっへっへ、見たいだけだよ!」
それならばこの場で着て行くのが礼儀だろうと、好みを一着選んだエレンは試着室へ…。


「スースーする…」
足首までの丈、白地に紺色の葉の模様。ワンピースはベアトップに肩紐をつけたタイプ。
風がなくとも歩くだけでひらひらとなびく裾が気になって、エレンは足元を見下ろしてばかり。
すると…
「いいなぁーおい」
「………」
二人のおっさんは、エレンのうなじに釘づけになっていた。肩甲骨が見えるほど露出した背中からのラインは、とにかく綺麗だった。
もちろん水着でも着ればもっと露出度はアップするが、ここは見慣れないワンピース姿というのがポイントだ。
「やらしい!」
怒った顔も普段以上に可愛く見えて、ギャップ萌えというものの確かさを再認識する二人のおっさんである。
「もう…。あたし、これで暴漢に襲われでもしたら戦えないわ」
「まーまー。今日ばっかりは俺様とコイツが護衛だ!な!ハリード」
「うむ」
「だから安心しときな」
「じゃあ、こぉーんなでっかいドラゴンが出てもあたし、焼き鳥食べながら見てるから」
もちろんでっかいドラゴンが街中に現れるわけもなし、観光地ゆえ治安も悪くないし。
それでもハリードにとっては『護衛』という役目に就くことはまんざらでもなく、いや、真面目に取り組むつもりですらいるようだった。



その後、ブラックの行きつけだという定食屋へ。がらの悪そうな男衆の集う、小汚い店内。
はじめは警戒心を露にしたハリードだが、彼らはブラックの元部下や、古くからの友人であるという。
話の輪に入ってみれば気のいいやつらで、料理も充分に美味であったし、酒も進む。

丸太のような腕をした店員は、甘い酒しか呑めない…というエレンの注文を受けると、何とも美しい色合いのカクテルを出してくれた。
上半分がゴールド、下半分はブルー。ブラッドオレンジの輪切りを飲み口に挿してある。グレートアーチのサンセットをイメージしているとのこと。
「お兄さんが持ってると、マドラーがつまようじみたいね」
「ハッハッハ!いっつも客に変な顔をされちまうんだ。俺みたいな奴がこんなのを出すモンだからよ」
「女の人はそういうの、弱いと思うわ。ギャップっていうのかな」
「お嬢ちゃんはどうだい?」
「そうね、強い人は好きよ」
そんなやりとりのあと、エレンがなんとなくハリードを気にするが…、いつの間にか自分とのあいだに座席が二つぶん空いている。
彼はブラックと何やら話し込んでいる。エレンは一人。

(護衛だって云ってたくせに!)
コルクのコースターに水分が染みる前に、タンブラーを持ち上げ傾けた。
カクテルを味わうにしては若干、勢いをつけすぎたか。味よりも先に、アルコールの熱が喉と食道を刺激する。
「ふう…」
改めて、綺麗なグラデーションが混ざってなくなってしまわないよう、ゆっくりと二口めを。
下に沈むブルーの方にはとろみがある。シロップを混ぜて沈ませてあるようだ。微かな炭酸との甘みのバランスは絶妙。
ハリードとブラックの会話は聴こえて来ないが、割に真面目そうな表情が見える…というところだけ把握しておいて、エレンは店員と一対一に。
「お兄さんは、ずっとこのお店で働いてるの?」
「いいや。10年ちょっと前にツテで雇っていただいたんだ。昔は悪かったんだぜ。こう見えても」
「申し訳ないけど、そう見えるわ」
「クククク。刺青は一生モンだからしょうがねぇな」
一緒になって笑いながらブラッドオレンジの輪切りをかじる。
旅先で出逢う人とすぐ打ち解けるのはエレンの特技のようなもの。悪かったという当時の話など聞きながら、タンブラーをすぐに空にした。
二杯目、三杯目…、酒には強いがアルコールの回る感覚はあって、火照りを感じる。心地よい潮風。
会話の隙間、店員が深鍋のフタを開け、円い器に中身を移す。
カクテルグラスを下げるのと入れ替えに、フルーツポンチが出てきた。
「サービスだ」
「わぁ、ありがと!」
色味の強いフルーツがクリアブルーの器とマッチしている。よくよく眺めれば、器の縁にはイルカが連なった形の彫り込みが。
美味しくいただいた例のカクテル同様この屈強な男のセンスなのだろうか、と想像しながら、チェリーをつまんだ。
「お嬢ちゃんはリゾートで来てるんだろ?こんなべっぴんさんがこの辺住んでたら、とっくにグレートアーチ中の噂んなってるはずだもんな」
「さすが、客商売の人は上手ね」
「また来てくれるかい?今度は一人でさ」
男から声をかけられることはそれなりにあるが、ただ、今夜は不慣れなワンピースを身に着けているためか、エレンは気が大きくなっていた。
「サービスしてくれるかしら?」
「もちろんさ」
店員とのやりとりはまるで、まんざらでもなさそうな、思わせぶりな…。
ハリードへの当てつけ…も、嘘ではないのかも知れない?
「お店の名前と場所、覚えたから。またいつかね」
ウインクなどしてみせて、後味よく会話を切り上げておく。
いつもなら器を持ち上げてフルーツポンチのシロップまで飲み干すところを、それを我慢することがエレンには実はつらかったのだが。




随分と長居をしてしまった。この店の常連は夜遊びがお好きなようだが、泥酔した男のいびきも耳に入ってくる。
「おーおー大海賊ブラック様がお帰りだぜ!!どけどけ!!」
「声がでかい」
「送ってやるよ酔っ払い」
「あんただろ」
御代はハリードとブラックが大雑把に出し合って、店を出るとすっかり深夜の時間帯。人の姿はない。
店主がブラックの元部下、つまり海賊団の一員であったために繁華街には土地を借りられず、この寂しい場所に店を構えることになったという。
林を抜ければビーチに出られる好立地だからむしろ幸運だ、と笑い合っていたのが、エレンの印象に残っていた。
「ブラックとは何の話をしてたの?」
「海賊ジャッカルが、いつの間にやら神王教団のトップに立っていたという過去の話だ。あいつと俺の唯一の共通項だな」
「あたしはそのあいだ、店員さんに口説き落とされそうになってたのよ」
「食い物で釣ろうという手法はなかなか鋭いと思ったが、あれはお前の好みじゃない」
…確かにそう。
と、いうことより彼は、一人あぶれていたエレンがどう過ごしているかを把握していたわけだ。
“当てつけ”とかいう単語がエレンの脳裏をよぎって、うつむく。

林を抜けて視界に拡がる海。
「あ〜ちょっとちょっと!ブラック!」
ブラックはだいぶ呑んだ様子だ。逆方向へ行こうとする腕をエレンが引っ掴む。
「んん〜?」
「こっちよ」
「あぁー… アレなんだよ、俺様がたま〜に真面目な話すると、酔うの早えーんだよ…」
「送ってくから、しっかりして」
「エレン、ほっといて悪かったなぁ…」
朦朧としていそうに見えるのに、しっかりそんな言葉をかけてくれるものだから、エレンは吹き出した。
背中をさすってやりながら顔を覗き込む。
「いいのよ。どうせあたし、おっさんの話にはついて行けないもの」
「キレーなカッコしてくれてんのにな」
「ブラック…」
いや…、朦朧としているらしい。
ふらふらと自分のほうを向く彼がこのまま倒れこんでしまいそうに思えて、エレンは避けるのを躊躇った。
身動きを取らず、支えてやるつもりでブラックの腕も掴んだままに。
それが、彼のとろうとする行動に上手く働いてしまうなんて、考えもしなかったのだ。

「え……、  !?」

急接近したブラックの、顔はよくよく見慣れていても、唇にふれた感触はまったく未知のものであり、脳に混乱を生じる。
誰がどんな行為に及んでいるのか? が、理解できないのだ。
「……………」
エレンは引き続き身動きを取らないままでいて、そんな状況を打開しうる男はこの場に一人しかいなかった。

パキャッ!!!!!

気持ちのいい音が、夜のビーチにこだました。
スローモーションで倒れこむブラック。それはそれは美しいハイキックが決まったのである。
「あ、あ、ブラック…」
「おいっ」
「…は、はい…」
「拒絶しろ、バカ」
ハリードも酒は呑んでいるから、多少、言動が普段と違っているらしいが。
それにしても珍しく、怒りというか苛立ちというか…、そんな感情をエレンにみせた。
突然のキスに対する戸惑いも絡まって、エレンはオロオロ。
「ご、ごめんなさい…、えーと、ブラック、起きて…」
「う〜ん、死ぬ…」
「ほっとけ。帰るぞ」
「あ……」
手首を掴んだ手は、少し力が強くて、エレンは口を噤んだ。







ビーチ沿いを歩く。
エレンはあれから急激に酔いが醒め、無言で先を行くハリードの背中に視線を向けることも出来ずにいる。
「………」
風がなくとも、歩くだけでひらひらとなびく、ワンピースの裾。
自分が進んで選ばないものを着てみて、悪くないなと思っていたけれど、それが今、疎ましく感じられるのは何故だろう。
(ボスッ)
「うっぷ」
突然立ち止まったハリードの背中に衝突。
筋肉質なせいで鼻が痛かったが、彼がとうとうこちらを振り向くと分かれば、エレンの痛覚は麻痺させられた。
「エレン」
まさか平手打ちでも…、そうやって最悪の展開を想定して、ショックを和らげようとする。
実際ハリードが腕を上げるのが視界に入る。エレンが目を瞑る。
「……?」
そっ、と右手を握り、気まずそうな顔で見つめてくるけれど…?



僅かな時間だけ、何かに迷ったハリードは、右手をとったまま、片膝をついた。
「…先ほどは、すまなかった」
暗闇においても月光を受けて白く浮かぶ、手の甲へのキスは、流れるような所作で。
「………」
「あれは護衛の振舞いではなかった。貴女をコテージまで送り届ける任務に戻ることとする」
彼が元は王族の出であるということ、
騎士がレディに忠誠を誓うときのキスであること。
どこかのホテルのロビーで、レディの前に跪く騎士を描いた絵画を見た覚えはあった。



彼は刀を腰に提げてはいるが、身なりがあまりにもラフで、絵にはならなかった。
要するにこれは仰々しい演出で、単に、険悪になりかけた空気を澄ますためのもの。
膝についた砂を払うハリードに、エレンは表情を緩めた。
「そう。わかってくれたのならいいわ」
お返しにそれらしい云い回しで、レディを気取る。
ハリードは微笑って、もう一度エレンの右手をとり、足元の不安定な砂浜へエスコート。
身に着けたワンピースが、裾を風にはずませて、より一層、エレンをその気にさせる。
「護衛が、寄り道をさせちゃいけないんじゃない?」
「することがあるだろ」
「?」
“すること”をしたくて堪らなかったハリードには、波打ち際までの距離はもどかしく。
エレンが待ち構える前に唇を奪って、
今日はやたらと男に絡まれていた彼女の瞳を、自分のものにした。



海は、いつでも空を映す鏡である。
黒い色の上に月光を散らして、細波の音色をバック・グラウンド・ミュージックに添える演出も。

どうせ宿泊するコテージからは海は見えないのだからと、二人はゆっくりとビーチを歩いてゆく。



END

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