fade in the rain

雨が石畳に弾む
街灯を水溜りに浮かべる。

肌寒いロアーヌの城下町は、それでも活気があって
きっとこの立派な王宮に見守られる心強さが根拠なんだろう。



「よりによって雨の時に呼び出さなくてもいいんじゃない?」
少し尖ったエレンの声。
彼女の整った顔立ちでは、喜怒哀楽の印象を余計、深くさせる。
「ごめん。俺もまさか降り出すと思わなくて」
ランチタイムを終えて『準備中』のプレートを掲げるレストラン。エレンは折りたたまれたサンシェードの下で辛うじての雨宿りをしていた。
ユリアンが傘を差し出した。
「しかも慌てて買ったから、この傘、小さかったんだ」
やけに可愛らしい水玉模様。ぱっと見て女性用か子供用だと分かりそうなものだが。
二人が入るには狭く、しかもエレンの方へ柄を傾けるものだから、ユリアンは肩先を濡らした。
微笑ったエレンは傘を握る彼の手を取って、ちょうど真ん中へ押し退ける。
「変に紳士ぶらなくてもいいのよ」
「へへ。一応ね」

手が触れても、二人には自然な事だった。
兄弟か家族かのようにしてずっと過ごして来たから。瞳の奥を見つめるのだって、自然で。
けれど今のエレンには、隣にいる彼の瞳の奥が淀んで視えていた。

「まだ日が落ちる前なのに真っ暗だな」
「でもこれは夕立ちじゃない?すぐ晴れるわ」
二人と、エレンの妹サラと、幼馴染のトーマス。ロアーヌで起こった『反乱騒ぎ』に立ち向かった後、数日間の観光をという話になって滞在している。
ロアーヌ侯爵は彼らの故郷シノンの領主だ。若き血と正義感を揺さぶられ、お上の騒動に首を突っ込んでしまったのだった。
「今日さ、道具屋に立ち寄ったらハリードとばったり会ったんだ。明日ここを出るって」
ハリードというのは旅の傭兵。彼も反乱騒ぎに巻き込まれた。
それはそれは腕の立つ男で、しかも有名人らしく、侯爵に謁見するなり直々に戦力として見立てられたりも。
「…ふーん」
「夜はパブに行くから、あのエレンを連れて来い、だって」
「…あたしに恨みでもあるのかしら」
いつも活発で強気な彼女の、どこか戸惑っていそうなしぐさ。
シノンの自警団に於けるエレンは前線のパワーファイター。ハリードの桁違いの強さを大きな瞳で追いかけていた。
そのハリードからの名指しが嬉しいような気恥ずかしいような、という表情をする。
「エレン、ハリードを見る目が尊敬の眼差しだったもんなぁ」
「何それっ」
「すごい!こんな強い人!みたいな」
「そりゃあ…強いは強いだろうけど、あんな説教臭いおっさんなんて尊敬に値しないわ!」
ジョークと思えないジョークに、ユリアンが笑う。
雨足が強まったのを感じていたが、それが気にならない程、そう、自然…





「…話があるんじゃないの?」
「ん…、話、っていうか…」
傘は結局エレンの側に傾いている。
ユリアンは小さく息を吸って、ひとつ、声を呑み込んだ。
「…あとで、話すよ。君と、サラと、トーマスにも云わなくちゃ…」
「じゃあ、…どうして、あたしだけ呼んだの?」
「…ごめん、」
嘘をつけない、誤魔化すのが下手な奴。
“話”はそれではない。たった今呑み込んだ方の…
性格や振舞い方は全部知っている。だから、無理に聞き出そうと思わない。
エレンは黙った。


ユリアンのジャケットの内ポケットには、ワッペンが一つ仕舞われていた。ロアーヌ侯爵ミカエルより賜ったものだ。
これを提示すれば王宮への出入りを許可される。
ロアーヌ紋章でない無関係なデザインのエンブレムをかたちどるのは、紛失時に許可証と分からぬよう配慮した為。

一介の平民であるユリアンは、反乱騒ぎの後、侯爵の妹君の護衛隊員に抜擢されていた。
侯爵の妹…モニカ姫が推薦したという話、いや、玉座の間でモニカから直接懇願されてしまった。
なかなか例のない大出世だが、故郷を離れ、仲間とも滅多には逢えない、異世界での生活が始まる。

一時モンスターの手に落ちた王宮から離れる事になったモニカを護衛した数日前、
頼りにしてくれたモニカの笑顔に、今後も応えて行けるのなら、そうしたいとも想う。しかし、
実のところユリアンはまだ、揺らいでいた。
エレンの横顔に、伝えたい想いを呑み込んでしまって、二度と口にする事は出来そうになくて。


厚い雲が分かれた。
橙色の夕陽が、没する前にと顔を出した。
「あたしの方こそ…、ごめんなさい、別にこうやって責める事じゃないわよね」
「ううん…」
雨が一本一本、細く、落ちてくる。
そこへ橙色が差して、煌めいた。
顔を上げたエレンの輪郭が綺麗に、際立った。





‘先に宿に戻ってるから’
彼女はそう云い残して、狭い傘の下を抜け、駆け足で去って行った。

ずっと憧れた彼女の瞳の奥は、淀んでいた。だから、
呼び止めて傘を預けるという行動を起こせずに、ユリアンはただ立ち尽くしていた。






この後足を向けたパブで、ユリアンは、これからのことを打ち明けた。
聞けばトーマスも祖父の命で、大国メッサーナの中心ピドナへ行くのだという。
こうも一気に環境が変わってしまうものなんだな、と、トーマスは穏やかに笑う。

エレンはどんな顔をしていただろう?
ほとんど見られなかった。

最後、エレンと笑顔を交わせたかどうかも分からないまま、ひとりパブを飛び出す。

雨上がり、城下町の街灯だけが淡々と、ユリアンを見送る。



END

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