魔族の寿命は人間の数十倍から数百倍である。そして、あらゆる能力に於いて、人間を遥かに凌ぐとされる。
ハリードよりも小柄で筋肉も薄いフォルネウスが、ほぼ互角に渡り合えている…ということからもそれは窺える。

しかし、厳密には差があるのだろうか。
それとも…、フォルネウスが、何かに気を取られたか。
カムシーンが脇腹へ潜り込んだ。
「う…っっ!!」
寸手で浅い傷に留めるが、逃げを打った瞬間、シャールの三叉槍の穂先から放たれた炎の刃がフォルネウスを捕らえていた。
左脚に深い裂傷を作り、体の重心を微かに傾けた。
当然ハリードがこの隙を狙うのだが、水の飛沫が吹きつけると、視界を遮るばかりか右肩に裂傷が走る。
「トーマス、来い!!」
フォルネウスは、またも渦巻く激流を発しようとしている。
口の動きでシャールがそれを察知した。エレンと少年の回復に当たっていたトーマスを呼び寄せる。
術士2人が、同じ呪文を口にした。

が…、5人は渦に呑まれた。
合成術は紡ぐワードが長くなるということ、一度この手段でメイル・シュトロームを破られているということとが、フォルネウスには有利に働いた。




悲鳴は轟音の中に紛れたが、エレンと少年が気を失い倒れ込んだ。
実体のない水が血液の色をぼかし、手放された戦斧と大剣を沈める。
ハリードも膝をついた。

月光が降り注ぎ、5人を包む。
シャールの遣う月系統の回復術で、玄武系統のそれよりも回復力は高い。
しかし、それを以ってしても、致命的なまでの打撃には不足。同じ呪文を繰り返す。
その間トーマスは槍を構え、その穂先に雷の魔力を与えた。
「させるか!!」
逆手に持ち替えた三叉槍が、ハリードに突き立てられようとするのを薙ぎ払う。同時に電撃を解放。
閃光を伴いフォルネウスの体を駆け巡る。
それでも未だ、紅の瞳は鋭い。
槍を叩き合いながら、フォルネウスは玄武術の魔力を高め始めた。
トーマスも呼応し、玄武術士としての力での抵抗に出る。
「……、もう1人の宿命の子は…、サラはどこだ!!」
上回るのはやはり、術法の原点からを知る魔貴族か。トーマスの身体が軋む。
「ここには居ない」
「ぅあ…」
人間の玄武術士が苦痛に呻く。水の珠が、腕を、頬を切る。
みるみるうちにトーマスの体が血の色に染まる。
「戦いに邪念を持ち込むな!!!」
美しい風貌の少年だが、その形相は壮絶ですらあった。
気迫だけで強まったフォルネウスの魔力にトーマスがよろめき、交差させていた柄が離れようとする。

回復術を受けたハリードが身を起こした。
フォルネウスの槍の穂の叉に曲刀を噛ませ、トーマスの腹を貫かせるのを防いだ。
「借りは返したぜ、トーマス!」
そのまま槍を地面の方向へ打ち下ろし、柄を踏み付けた勢いで突っ込む。
フォルネウスは、身を翻し刃から逃れた後の立ち回りを、瞬時に頭で組み上げた。しかし、
実行に移せない。
紅い瞳が視覚では捉えられない、ただ、風を切った音だけ聴いて、

フォルネウスの胸を、刃が裂いた。
血がカムシーンの舞を彩るように、宙に散る。


術法を遣われれば手が出ないが、肉弾戦ならば…
トルネードは、少年時代を戦に捧げてきた。
白い衣服を紅く染めた魔貴族の戦士は、何度目かに、この曲刀使いに目を奪われた。






エレンと少年が意識を取り戻すまでになると、シャールとトーマスはまた合成術を発動させる。
次に激流が襲う時は、恐らく誰かが命を奪われる…
「まさかこんな場所で未完成品をお披露目することになるとはな」
「充分ですよ」
2人の指先から黒い光が散り散りになった。
一時的なものだが、魔力を吸収する人工エレメントを発生させたのだ。つまり、術法が遣えなくなる。
目指す完成形は『対象の術法を封じる』効果。現時点では対象を絞れず、シャールもトーマスも魔力を奪われる形となった。


フォルネウスの纏っていた水が滴となり、足下に零れ落ちる。
胸の傷は深い。

張り詰める呼吸。水の音に割り込む金属音。
一太刀に見えた軌道が、フォルネウスの肩と腕に2本の直線を走らせた。
その代わりに、穂先がハリードの脚を抉る。

極限まで研ぎ澄ます、戦いの勘。
脳からの伝令を待たず的確に反応する肉体。

槍が薙ぎ払われ、ハリードは首と耳朶の肉を僅かに掠め取られる。
フォルネウスはこの一手と引き換えに、曲刀の切っ先で肩口を引き裂かれた。
互いに決定的な間合を掴み切れず、少しずつ、同じ数の傷を負ってゆく。
そんな遣り合いが随分と長く、続けられた。
隙のない一騎討ちに、誰も手出しをできない。




とうとう、曲刀の刃と、槍の柄とで噛み合い、2人の動きが停止した。
武器を外す機を探り合う。
その次に待つのは、致命傷を与えるのか与えられるのかの二択だ。




時が止まったかのような静寂の後に訪れる、息を短く吸う瞬間。
契機となる。

三叉の穂先のうち2本がハリードの左腕を貫通、残る1本は鎧のプレートの剥がれた部分を的確に縫い、胸を刺した。
武器の長さからそれが先手にはなったが、ハリードは始めからこの傷を負うつもりでいた。
瞬間、人間の男は左腕を後方に投げ出した。穂先の返しが胸の傷の、肉を横に削ぎながら引き抜かれた。
曲刀を握りしめた右腕が伸びる。
勝利しか見ていなかった深紅の瞳は、相討ちを覚悟していた男の眼差しに、揺れた。
この一刺しで終わらせられなかったなら、槍を引き抜くのか、手放すのか、
迷いという名の絶望がそこにあった。

曲刀の刃は、フォルネウスの首を、斬った。

深紅に塗り変わる水面へと、躯が倒れ込む。
美しかったエメラルドグリーン色の髪が、水に浮かべた血の色に濁る。
四肢を投げ出したまま、魔貴族の少年は口を開いた。
「何にも勝る強さを…、僕だけのものに、してきた… ずっと…」
その瞳は、最期に、人間の曲刀使いの姿を捉えた。

「…僕は、間違っていたのか…」



フォルネウスはそれきり、瞳を閉じて、呼吸をしなくなった。






三叉槍を無理矢理に腕から引き抜いたハリード。
胸の傷を抱え、膝をついた。
シャールがそれを見て駆け寄るが、まだ合成術の効果が切れてくれず、自分の衣服を裂いて止血をするにとどまる。
「この場所から離れれば術が使える。急ごう」
心臓の位置ではないが、それなりの深さまで抉られ、かつ、そこから傷口を横へ引き裂いている。
すぐに端切れが血の色に染まってゆく。
「…間違っていたとは云わない」
「………」
ハリードの肩を抱え上げようとしたシャールは、動きを止めた。
「お前が負けを知らなかっただけだ」


三叉槍をとり、ハリードは、魔貴族の少年の亡骸のそばへ突き立てた。


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