ひとり、ゲート装置の隅に佇むエレン。
世界の側から流れ込む生の力は、温かく、闘いが嘘のようにすべてを癒す。
しかし、本来であれば時間をかけて消えてゆく傷だけが先に消えて無くなってしまうためなのか、
同じように時間をかけて消すはずの、耳にこびりつく仲間の声、魔貴族が命を落とす記憶、というものが印象を強くする。
心身のバランスは、崩れている。

それでも、サラを救うためなのだから。
仲間が皆無事でここにいること、魔貴族を破ったこと、物事はすべて良い方向へ導くことができているのだから。
エレンの頭の中で、ひとつひとつ、無駄な思考が排除されて行った。

そして肉体だけが癒えたなら、またすぐに、行かなくてはならない、でも、

こちらのほうへ、やってきてくれる人の声と、体温を欲しているから。
涙の跡も隠さずに振り向いた。

ハリードは特別、驚いた表情だとか、心配そうなそぶりだとかは見せなかった。
なんだって受け止めてくれる人だから。
「腹でも減ったのか?食糧はいくらかあるぜ」
優しい声に涙腺を突かれて、また涙を零して、
抱き締めてくれる腕に甘えて。
泣いた。

「…辛いか?」
髪にキスをした唇に訊かれても、肯定するわけにはいかない。
整理はついたはずだ。
「どうして泣くのか、自分でもわからないの」
そう答えて苦笑いを作ってみると、情けなくて、余計に堪えられなくなる。
「今だけ、な」
耳許で甘やかす囁きが、今は毒になる。
その首の後ろへ腕を回して、体重に任せて引き寄せた。
「おい…」
こんな行為に逃げること、闘いの最中に、こんな…。
「今だけ、でしょ? お願い…」
大胆に求めれば、向かい合う瞳は、観念するしかなくなって…。
一度だけ触れた唇、エレンは二度目も三度目も欲しがった。

キスの終わりに、ハリードはどうにか微笑みを浮かべるが、困惑しきりだ。
「参ったな。本格的に不調のようだな」
その言葉の続きを待つエレンの瞳は、揺れている。
「緊張を切らしただけだろう。エレン、お前がこれしきのことで挫けるか?」
優しい声、のはずが、頭に響く。

サラが、この中の誰かが、とうとう命を落としてしまう…
そんな架空の物語を描いた。

何があっても前を見て、俯かないで、立ち止まらないで、と。
自分に云い聴かせてきたのに。

ずっと、引きずり込まれそうな深淵にいる。




鋭利な痛みがこめかみを刺した。




あれほど溢れてきた涙は、どういうわけかあっという間に乾いて。
「サラとあの子を、助けてあげなくちゃ」
突如、腹の底にずしりと落ちた想いが、口をつく。
「アウナスが語っていたわ。宿命から背くことは許されないって」
「………」
「それを、あたしが破る…」
エレンは自分で吐いたこの台詞の内容を、疑っていなかった。
再び頭痛が一刺しするが、表情は動かさない。
「宿命は、この手で壊す」


ハリードは言葉を失った。
何か語りだしたエレンがまるで別人に見えて、緩めていた腕に力を込めた。
「エレン」
名を呼んで、呼び戻そうとした。
エレンはこちらの顔を覗き込み、小首を傾げて笑う。
「もう、平気。ありがとう」
腕をすり抜けようとするから、…もう一度引き寄せて、離さない。
触れられる位置に、居てくれないと。
見知らぬどこかへ消えて、いなくなってしまいそうで。



「ハリードこそ、お腹が空いてるんじゃないの?」
3人のもとへ戻ると、話をしているシャールとトーマスの傍らにいた少年が、こちらと顔を見合わせた。
するとその顔を赤くして、慌ててそっぽを向いてしまう。
「お前、見てたな?」
「ご、ごめんなさい…」
会話の内容が聴こえてこない位置から見れば、恋人同士の触れ合いでしかない。
「ま、お前も大人になればだな…」
「こら、ハリードっ!」
あとの2人もその輪の中へ。
「みんな元気になったみたいだね。行こうか」
そして各々が武具を手に取り支度を始めるが、シャールが笑顔で一言。
「元気になるのはいいが、我々の目につかない場所でお願いしたいぞ、お二方」
「…ごめんなさい…」

エレンは、これまでと変わらない様子で会話をするし、笑っている。
ひとつ息をついたハリードは、焦りを収めて、5人の最後尾を歩いた。


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