5日後、訪ねてきた医者からは、無理さえしなければ日常生活に支障はないと云っていただけた。
ただ、ふたりが旅人だと知ると、出発は最低でも一週間後に!と、最後に強く云い聞かせられた。
「この間からぐうたらしてばっかりね、あたしたち」
「まったくだ」
怪我の程度に加えハリードが迂闊に街をうろつけないという理由もあり、宿の客室で過ごすばかりの5日間。
エマが宿泊者名簿へ偽名での記入をさせてくれたばかりか、サービスだと云ってティーやパン、果物などの差し入れまでしてくれ、『ぐうたら』に拍車がかかっていたのだった。

などと云いつつ、旅の荷物は少しずつ整理し始めている。
「次はどこへ行く?」
「うーん、そうね、ロアーヌに行って、世界一周を達成するのはどう?」
ふたりの旅が始まったのはロアーヌのパブで、たまたまうまい具合に地図をぐるりと一周して来た。
「なるほどな。そうするか」
「やっぱりあたしに委ねるのね」
診察の後、ベッドに脚を投げ出して座り、腹以外の小傷の包帯を巻き直しているハリード。
定位置であるベッド横の椅子で、エレンが瞳を輝かせている。
「…明日にでも、っていう顔だな。俺のこの姿を見ていたわる気持ちを持てよ」
「あんたはあたしより頑丈なんだから平気なのよ!」
「!!」
背中を掌ではたかれてしまった。倒れて打撲した箇所なのにだ。
「勘弁してくれよ…」
「まさか痛いっていうんじゃないでしょうね」

3日後、倍額の宿泊料金をエマに押しつけ、ふたりは街を離れることに。
エマは引き留めることをせずに笑顔で見送ってくれた。別れの抱擁やら言葉やらで時間がかかってしまったが。

アクバー峠を越える際には、往路よりも日数を費やす。
体のこともあったが、何より美しい景色がふたりの足を止めさせるのだ。
目的地はあっても、急ぐ理由はない。






無事にリブロフへ到着。エレンが例の宿屋で女将との感動の再会を果たすと、苦笑いのハリード。
食事へ出たところ、何とミカエルが直々に魔龍公ビューネイを討ち破った!という情報を仕入れることとなり、エレンは食後のケーキを追加。
ハリードも酒のボトルを1本オーダーしようとしたが、エレンによってブランデー入りのパウンドケーキにすり替えられてしまったのだった。


窓枠に嵌まり込んだ夜空に、三日月が輝く。
今夜はいっそう美しく、絵画のようですらあった。

腹の晒を巻き直すのを手伝ってそのまま、ハリードの寝室に居座るエレン。
看病のため、という都合の良い云い分があるから、あれから毎晩そうしている。
だからといって、特段、踏み込んだ話をしない。砂漠の果てへ求めたものが何であったのか?
互いにそのような話題に及ぶことはなく、ただ、笑って、つまらない話ばかりした。

「あの時、歌ってくれた曲、あたし、好きよ」
「それは良かった」
「でも、どうして月の女神様なの?」
オイルランプの空気穴に栓をする、ハリードの手。
橙色の灯りが無くなると、銀色の月光があふれて、部屋の空気が塗り替わる。
「砂漠に生きる人々は、太陽よりも月を重んじる。ゲッシアを興した人物が曲刀使いだったことと、曲刀の形状にもかけてあるようだ」
「女の人なのはどうして?」
「さあな。女神といっても神として崇めるわけじゃない。おとぎ話みたいなものだからな」
「どこの土地にもあるのね。シノンには畑仕事の歌くらいしかないけど」
「はっはっは。今度聴かせろよ」
別れの前夜とは違う意味合いで、間近に触れ合っていたかった。
ふたりで窓際へ佇むと、そっと寄り添う。

「カムシーンのことも訊きたいんだったわ。調べて回るうちに、あの場所に本物があるって聞いたの」
ハリードはずっと、手持ちの曲刀に“カムシーン”の名を与えていた。
ハマール湖で水にくぐらせていたのを見て気づき、それ以降とても丁寧に扱っている様子を、エレンはずっと見ていた。
幼い頃から憧れている品だと、語ってくれたことがあったから。
「俺が手にしていいものかどうか迷ったが、使っていたものが途中で折れてしまっていてな、頂戴してきたんだ」
するとハリードは荷物棚へ。貴重な宝刀をエレンに差し出した。
「いいの?」
偉人が携えていたにしては凝った装飾の無い、シンプルな鞘。
刀身は、古いだけあって分厚い。血溝を引いていないのは重量をもたせるためなのだろうか。
じっくり見定めるエレンの横顔は、戦士のそれだ。
「曲刀を携えた女神か…」
「やめて。女神っていう柄じゃないわ」

カムシーンを返そうとする手をそのまま握って、キスをした。






星だなんてとんでもない、砂漠の砂粒は旅人の足をとる。
黄金のオーロラどころではない、砂嵐は旅人の目をくらませる。
太陽は世界中の宝石を集めても敵わぬほどぎらぎらと輝き、旅人の体力を奪い去る。

しかし、ハマール湖には確かに、鎧をつけた美しい女性がいた。
曲刀を携えた男がそばに立ち、互いの瞳を交わしていた。


誰かがそんな風に、フィドルで見知らぬ調べを奏でる。



END

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