ロッジで1泊したあとは、小さな町や村を通る。
馬の足でもここまで1週間。ようやく、今日にはキドラントに到着できそうだ。
「寒いなぁ」
エレンは毛皮の上にダウン、更に毛糸の帽子とマフラーを途中で入手。完全防備である。
既にこの近辺には積雪が見られる。
道の脇にそれると、体を折って雑草の生えたあたりをじっと観察。
「この時間でも霜柱が残ってるのね」
生まれ育ったシノンの冬はそれなりに寒いが、積雪は年に十数日、しかも雪合戦ができない程度の量だ。
「あたし、どんな作物が穫れるのかが気になっちゃう。職業病だわ」
今度は通りすがる商人や運搬業者の積荷をきょろきょろ見回すエレン。
「くくく」
「なに笑ってるの?」
「ひとりで落ち着かないな、お前」
「あたしの話に乗ってくれるくらいの優しさがあればよかったのにね!」
ふたりはすっかり打ち解けて、馬上でずっとこんな応酬を繰り返している。
なお、宿においてもふたりは同室だ。
単に一室ずつだと倍の額になるというのもあるが、エレンは『もう少し自覚しろ』と釘を刺してくれた男のことを信用している、らしい。
やがて、キドラントの町が近づいてくる。貸し馬の業者の厩舎が見えた。
馬を降り、手続きを済ませる。
「お別れなのね。寂しいわ」
1週間ともに過ごした馬の頬を撫でながら、エレンはしばらくこの場を動かなかった。
「お客さん、もし馬を気に入ってくれたんなら売ることもできるよ」
「でも、この子たち、この仕事が好きみたいなの」
「ははっ。そうだね。こいつらは優しくて人間によくなつく」
エレンの手にすり寄ってくる馬。エレンも名残惜しそうにしながらも、厩舎をあとにする。
長い旅の途中、馬を使うことは少なくないが、飽くまでも足として扱って来たハリード。売り払って金に換えることも多い。
彼女の言動を眼に映して、ふと、深い思考へ導かれた。
作物や家畜を育てる生活が、こうして生命を慈しむようにさせるのだろうか。
戦に明け暮れた日々。
他人の血と、自分の血とが、感情のどこかを塗りたくって、麻痺させた。
味方の屍が丁度良い足場となるのなら、踏みつけた。
戦意を喪失した敵が膝をついて震えていたら、とどめを刺した。
カムシーンと共に舞う、それが自分に架せられた生き方なのだと思う。
例え戦場で命を落とすとしても、それで良いのだと、
あの人を失ってからは、そう考えていた。
「ちょっとハリード!立ったまま寝ないでちょうだい」
覗き込んできた瞳が、強引に現実へと引き戻させる。
ぼうっとして考え事にふける。自分の性格というか、癖というか…。
エレンはあの晩答えてくれたように、何も訊かずにいてくれるのだろう。
奔放なようでいて、そんな優しさは持っている。接しているうち、彼女のことを深く理解するようになった。
「あたしこの町を見て回りたいんだけど、いい?」
「なら、1日ここへ滞在するか。出発は明日だ」
「そうこなくちゃ!あ、まずは腹ごしらえよ」
「はいはい」
「返事は一回!」
護衛のつもり、ほどのものでもないが、ハリードはエレンの斜め後方が定位置となっている。
束ねた髪を揺らして歩く、上機嫌そうな後ろ姿。
実家を離れてホームシックにかかる女性ではないとは考えているが、旅を随分と楽しんでくれている。
もし彼女が今回のことをきっかけに世界を旅する道を選んでも、うまくやれそうだ。
「で、何を見るんだ」
「…雪、かな」
「ランスまでは嫌というほど見るぞ」
振り返ったエレンが、ハリードを睨んだ。
雪見どころか、触って遊んでみたいというのが見え見えだ。
「子供だな〜って思ったでしょ、今!」
歩みを速めて先へ行ってしまうエレンの、肩を抱いて捕まえる。
「怒るなよ。付き合うよ」
「なにか企んでない?」
「たまに優しくしてやったらそれか」
「…ま、いいけど」
キドラントは小じんまりとした町だが、この近辺の拠点である。
人の往来が多く活気があって、1日滞在しても楽しめそうだ。
工芸品店の並ぶ通りは、世界的に有名なだけあって観光客で溢れていた。
ふたりはそれを尻目に、町外れを歩く。
日中、陽が高くても吐息は白い。
しかし、室内ではずっと寒い寒いと云って暖炉の前へ陣取っていたエレンは、足取りがすっかり軽くなっている。
「寒さも慣れちゃえば平気ね」
「若いと適応力があるんだろう」
エレンの指が、針葉樹の葉に小さく被さる雪を弾き飛ばす。
その振動で周囲の葉も、ぱらぱらと雪を落とした。
「おっさんは寒いんでしょ」
「俺は面の皮が厚いから大丈夫だ」
「自分で云ってる」
やがて家々も途切れ、小高い丘を目指して、まっさらな雪の上に足跡をつけて歩いた。
雪は音を吸い込むのだというが、辺りはすっかり静寂に包まれている。
すると、複数人の足跡が現れた。
「こっちに何かあるのかしら」
「狩猟小屋じゃないか?」
興味を示したエレンがその足跡を辿り始めた。
寒い季節は動物に脂がのって美味く、狩猟のシーズンであるが、毛革の方にはシーズンも何もなさそうだ…と、ハリードが考えていると、
エレンは大きな雪の窪みを見つけて覗き込んでいた。
誰か転びでもしたか、獲物を落としたか、というところか…と、ハリードはずっとエレンの斜め後方で考えているが。
これはエレンの勘だったのだろうか。
「…髪飾りが落ちてる」
レースのリボンに、花の形の刺繍。
違和感を感じたエレンは、これを拾って眉をひそめた。
更に足跡に沿って歩けば、小屋が見えてきた。
複数の男の声。怒声だ。
エレンは髪飾りと、外した手袋をポケットへ突っ込んだ。
女性の悲鳴のような声も交じって聴こえてくるのだ。
顔つきを変えたエレンが走り出した。ハリードも後を追う。
「離して!!!」
「誰も来ねぇよ!大人しくしてな!」
「いやっ!!」
それは間違いなく狩猟小屋であるのだが、今現在、悪行をはたらくために利用されている。
エレンは性格上、これを見過ごしはしない。
扉に手をかけると内側から施錠されていたが、ハリードが体で押し破った。
「なにっ!!?」
そのハリードの背後から飛び込んできたエレンが、少女を押さえ込もうとする男に目をつけ、腕を引っ掴んだ。
「この…」
エレンの顔を見た男は、相手が女性であると分かるとニヤリと笑ったが…
「ぐぼッ!!」
油断をした代償は大きく、腹を鋭い膝蹴りでえぐられ、うずくまって、そのまま動かなくなった。
男は4人いる。次の瞬間にはエレンの背後から、腕と上着を掴んで引き倒そうという男が。
ところが、それは実行されなかった。
「…ぎ…、」
「そいつに手出しすると痛い目に遭うぜ」
首の後ろで衣服を掴まれ、足が浮いていた。呼吸ができずに白目を剥いている。
「医者を呼んでやりなよ。あいつ、肋骨を折ってやったから」
横たわっている少女を背に、エレンは残りの2人に対峙した。
「ケッ!」
「そこの兄ちゃんよォ、5000でこの女売ってくれよ」
ハリードは、片腕で持ち上げていた男が抵抗する気力を失ったところで小屋の隅へ放り投げ、エレンの顔を見た。
無言で合図を交わすと、互いに口の端を吊り上げて笑う。
「5000か。いいだろう」
「ギャッハッハッハ!!」
「ひでぇ話だ!!」
ふたりで1人ずつ相手にしたことと、残る2人の立ち方から、武術の嗜みは無いと見たのだ。
ハリードはエレンの代わりに少女のそばへ。
声をかけると少女ははっきりと返事をし、衣服もきちんと身に着けているのも確認。
そうするとエレンの方へ向き直り、腕組みなどしてみせる。
2人の男は、エレンを手籠めにしようという動きだ。
そのうち1人が手に何か隠し持っているのに気がついて、それだけ警戒しておくこととした。
「5000も払うんだからしっかり相手してもらうぜ」
「もちろん。2人ともね」
男の手がエレンに伸びて空振ると、後頭部に肘を打ち下ろされ、崩れ落ちた。
あとの1人の方が、隠し持ったものをエレンへ向けてくる。針だ。
麻酔薬か毒薬か。少女を連れ去るための手段が分かると、エレンは更に眼光を鋭くした。
「怪我はしたくないだろ!」
「あたしの台詞だね」
「!!」
拳が喉を直撃した。
例の針が床にぽろりと落ちると、後頭部を打たれた方の男が向かって来る。
このエレンに対して、やけを起こして襲いかかろうとしても、それで事態が好転するはずはない。
胸をカウンターでまともに蹴られると、仰向けに倒れ込んだ。
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