太陽がひそんだら

来るたび思うけど、このグレートアーチは本当に人が多いわね。
海で泳げる季節だけじゃなくて、寒さしのぎにもいい土地だから、いつ来ても人だらけ。

海を荒らし回っていた海賊団を討伐したあと、観光地としての発展のため、いろんな努力がなされたらしいの。
大きな国のような、石畳やレンガの建物はめったにないけど、それに似合わず下水設備は世界でも高水準。
なにより海がとてもきれい。
昔は、沈没船やごみがあふれて、下水も垂れ流されていたけど、それを全部片付けちゃったんだって。



5歳くらいの小さな女の子が、いっちょまえにビキニを着て、トロピカルドリンクのグラスを持って、あたしとすれ違った。
まるで恋人との待ち合わせのように、お父さんと合流すると手をつないで、ビーチのほうへ。
「ママー、はやくー」
その後にお母さんがお財布を持ってお店から出てきたから、きっとあの子は水着を買ってもらって、そのまま着て出てきたのね。

それを見送ったあたしも、水着を買いに来たわけだけど。
毎年のようにこの地を訪れていても、その都度、水着は処分して帰るのよね。
世界を旅するにあたって、滅多に使わないものはいつまでも持ち歩かない!が、決まりごと。
荷物を軽くするためだとか、金に換えて持っておく利点なんかを、ハリードに云い聞かせられたの。
「〜♪」
…なんて云っても、こうして水着を選ぶのを楽しみにしてるのが、本音かな。
あたしにはよく分からないけど、その年の流行の色や柄、形があるみたいで、品揃えがけっこう変わるの。
今年は、ビキニの上下をあえて同じ柄で揃えていないものがトレンドかしら?

お会計に向かう途中であたしの目にとまったのは、男性物のシャツのコーナー。
「………」
今、コテージであたしを待ってるハリード。グーグー昼寝してるかしらね。
それなりの身分の人だから(あたしに対しては無効だけど)、人前で見すぼらしい恰好はしない。
でも、海水や砂がつくことを考えているのか、海ではいつも、持ちあわせの服ですませてる感じなのよね。
「オレに似合うかな〜?」
「私、ずっとこの色が似合うんじゃないかって思ってたのよ」
カップルの様子を横目で眺めていると、男の人が派手めなものを着るのも、この地でならアリね。
男の店員さんをつかまえて、ハリードの背丈や体格を身振り手振りで説明して、サイズが判明。
グレートアーチにいる間くらいしか着ないだろうから、あたしのセンスで色と柄もさっさと決定。
プレゼント用の包装を申し出てくれたのをお断りして、軽い足取りで帰り道へ。



あたしが水着を買ってコテージへ帰ったら、近くのレストランへお昼を食べに出る予定。海はそのあと。
けど、やっぱり、着たところをすぐに見たいな。
昼寝はしてなかったけど、ソファでぐうたらしていたハリードは、不思議そうな顔をして、あたしを見上げた。
「俺に?」
「そうよ。いつも地味じゃない」
無地のシャツを着てるのを、強引にひっぺがす。
「わ…わかった、エレン、自分で着…」
「あっ、これ、裾の糸がほつれてるわ。こんなの着てちゃだめよ!」
「はいはい…」
「返事は一回!」
ハリードは赤系の色をいつも差し色にしてるからと思って、色は深みのある赤。
柄は…なんていう名前の柄か知らないけど、派手すぎないやつ。
「やっぱり、あたしが選んだだけあるわ」
あきれたみたいに笑ってるけど、本当に似合ってるのよ。
「髪もあたしがやっていい?」
「今日は俺をどうする気だ」
「どうもしないけど」
もう諦めてるのかしら、なんにも抵抗しないけど。
上の方でまとめて、お団子みたいに。男の人があまり綺麗にしすぎちゃうと違和感があるから、手ぐしで、多少のおくれ髪は垂らして…。
あたし、こだわってるわね。
男の人でも、このくらいしたら、ちょっと雰囲気が変わるはずよ。
「できた」
あ、すごく、素敵かも。
照れくさそうにあたしを見て、ちょっと笑って、ハリードはソファを立った。
「じゃ、行くか」
「うん」




レストランに入ったら、思ったほど混んでないみたい。
そういえば、海遊びの時期はビーチ沿いの出店のほうが混むんだって、地元の人が教えてくれたわね。
すぐにウエイトレスさんがあたしを案内しようとこちらへやってきて…
「おひとりさまですか?」
「え?」
振り向いたら、あたしは実際、ひとりでお店に入っていたらしいわ。
入口の向こうで、ハリードは両腕をそれぞれ女の人にとられていた。
「お食事だけでもしましょうよぉ」
「え〜、おひとりじゃないんですかぁ?」
女の人たちは水着姿。無理やりトーンを上げたような声で、顔や体を近づけて…、つまり、女性としてのアピールよね。
連れに行くのがなんとなく癪で、ハリードが戻ってくるまで待った。

食事をすませて、ビーチへ。
天気がよくて、風も気持ちよくて、食べ物もおいしい。やっぱりグレートアーチはいいところだわ。
「ハリード、あたし泳いでくるから」
上着に手をかけながら、そう云って振り向いたら…
「私たち、サンオイルを塗ってくれる人を探してて〜」
「すごくいい場所をとってあるの!おねがい〜」
今日は、ツキのない日かしら。さっきも見たような光景がそこにあった。
「さっきから、何なのよ…」
ハリードは体つきがガッチリしてて、見るからに強そうなんだけど…
あたしの分析では、なんとなく、隙があるの。戦いの隙じゃないわ。
見ず知らずの人が声をかけてみても大丈夫そうだと思えるような、ふところの隙間があるのよ。

それから、女の人を乱暴に振り払ったりなんてしない。そんなところも尊敬するわ。だけど…。
それが災いしたというか、相手がすごく強引で、ハリードはサンオイルのボトルをとうとう手に握らされてしまう。

なんだろう。腹立たしいのは確かだけど。
「きゃっ…」
自分で、頭に血がのぼったのを自覚したのと同時に、女の人の手を振り払う動きを、あたしがしたの。

女の人の手を叩いた感触と、砂の上に転がるボトル。
次の瞬間には、後悔をしたけど、性格上、あとに引けないで。
「エレン」
「もたもた歩いてるからよ!」
女の人たちは恐怖に怯えたような顔で退散。
「カリカリするなよ」
きつめの香水の香りが辺りに残って、今度はあたしは顔をしかめていた。



うつむいて黙ってたら、ハリードが目の前へ歩み寄ってきた。
「少し、散歩でもするか」
「!」
手を握られて、ちょっとだけ強引に、ビーチ沿いの方向へ。
「これなら寄りつかんだろ」
見ず知らずの女の人にひどいことをしたあたしを、普段の調子で扱う。
姿を消してしまった女の人は仕方がないけど、せめてハリードには謝らなくちゃいけないって、分かっていても、唇が震えて。
何も言葉が出てこない。


いつもハリードは、あたしの後ろを歩くの。旅のあいだ、危険なことも起こるから、背後への警戒を請け負ってくれてるんだと思う。
でも、平和なリゾート地でこうして手をつなぐと、自然とハリードのほうが前になる。
たまにこちらを振り返って、目が合ったら微笑ってくれた。

武術の腕にはそれなりに自信があるから、旅の相棒としては、それなりにやって行けると思ってるの。
でも、手をとって歩く相手が、どうしてあたしなんだろう?

急にそんなことを考え始めて、手をひかれるまま、黙って歩いた。






陽射しが暑いな、と感じていたところで、ハリードが木陰で足を止めた。
見上げたら、大きな葉をつけた木。
羽織っていた上着をとると、乾いた風は木陰で冷やされて、汗が引いていく。
「泳ぎに行かないのか?」
「今日はもう、いい…」
「そうか」
ずっと苦しかった喉の奥から、ようやく、あたしは言葉を吐き出す。
「…ごめんなさい、さっき…」
「3人の女が俺を奪い合う体験は、なかなかのものだった」
「なによ、謝ってるのに!」
謝るのがばかばかしい、なんて思わされちゃうのも、あたしに対する配慮ね。
今度は、不敵な笑みのハリード。
「女の水着ってのは、泳ぐだけが目当てじゃないんだな」
「え?」
「今年もなかなかだぜ」
去年の水着の柄なんか、ぜったいに覚えてないくせに。

「俺もいいものを着せていただいているし、夕方、ふたりでまた海へ出よう」


優しい声で、きざなお誘い。
どうして、あたしなの?

嫉妬で苛立って、笑顔で取り繕うこともできない。
ハリードがいつもと違ってて素敵だとか、手をつなぐのがうれしいとか、
そういうことも素直に云えない、つまらない女。

どうして?


「分かってるよ、エレン」
「……?」
「いい匂いだ。焼き鳥でも食うか」
さては、陽射しじゃなくて、焼き鳥の屋台から漂う匂いで足を止めたのね。
暑さであたしを気遣ってくれたのかも、なんて、買いかぶりすぎたわ。
ハリードが買って持ってきたのは、焼き鳥10本入りの紙トレー…ちょっと、多すぎでしょ。
食べるけど。
「いただきまーす」
「これでお前の機嫌も直る」
「なによっ!」








夕方、もう一度ビーチへやってきた。
陽が落ちかけて、空の色が変わる時間…

手はつないでいないけど、あたしは、ハリードの後ろを歩いた。
振り返って、微笑ってほしいの。
昼間みたいに。

だから、歩く速度を落としてみる。
足音が自分から離れたことに気づいたら、ハリードは、あたしのことを振り返る。
そして、微笑って、こちらに手を差し伸べる。


「分かってるよ」
「さっきから、なに?それ」



END

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