Holding On

旅暮らしだと話せば、その街に定住する人々に羨まれる。
身分もなく、行く先を気まぐれに変え、路銀の尽きるようなことさえなければ確かに。
様々な風景、名物、時に興味を引かれる土地どちの歴史。

ただし、夜行性の魔物の棲む一帯に、そうとは知らず野営の支度をし、うっかり身を横たえると
その夜は一睡も出来ずに戦い、息を切らして逃亡するだとか。
悪漢が集うような街の宿では、客室の扉の向こうで、夜通し男どもの声や足音がしていたとか。
チェックインしてすぐ屋根裏に気配を感じ、男をとっ捕まえたこともあった。
あまり無責任に勧められるものでもないのが実情ではある。

そんな旅暮らしの性質を良くも悪くも変えるものがあるとすれば、連れの人間だろう。
危険を退けるためには人は多い方がいい、かといって大所帯では揉め事も起きる…
俺は?
こいつ一人で充分だ。





「あ!」
エレンが突然、足を止めて振り返った。
「忘れ物か?」
「ピーナツバターを買い忘れたわ」
「………」
「戻ってもいい?」
実家は小麦農家で、もちろんパンを焼く竈があるそうで、パンへのこだわりはかなり深い。
昨日、マーマレードジャムの瓶の底をスプーンで掻いていた姿が今になって焼き付く。
「やれやれ」
「ごめんなさい、ハリード」
街へ戻り、ベーカリーへ。
俺が独りなら、街へ戻ることの面倒臭さに負けて、味気ないパンを食うことになるだろうな。
「〜♪」
買うものは決まっているはずが、ラズベリージャムの瓶を手に取って眺めている。
「きれいな色、おいしそう…けど、甘酸っぱい味が続いちゃうのよね」
「さすが、食い物にかける情熱は大したものだ」
「でしょ?瓶をいくつも持ち歩くのは気を遣うから、いつも厳選してるの」
その瓶を、エレンの両手から取り上げた。
「俺の荷袋に入れておいてやるから、これも買え」
途端に分かりやすく、にんまり笑う。
隣の棚からピーナツバターの瓶をひとつ取り、真っ直ぐに店員のもとへ。
その途中、ベーグルを二つかっさらう手つきはまるでスリのようだ。

ベーカリー併設のカフェで、買ったばかりのピーナツバターの封が切られた。
宿屋で朝食をとってからそれほど経たないし、買ってすぐ旅路に戻るつもりでいたが、どうして俺はここに…。
「いただきます♪」
観察していると、どうやら付ける量にもこだわっている。
「ハリード、気づいた?ちょっと塩味の効いたベーグルにしたのよ。ピーナツバターをつけるならこれが一番合うの」
云われるまま、ベーグルにピーナツバターを付けていただく。
さすが、プロのセレクトに間違いはない。
「それとねハリード、あんたは荷袋の中身がぐちゃぐちゃなんだから、きちんと瓶を布で保護しておいてね」
「はいはい」
「返事は一回!」
俺は戦士の家系に生まれ、剣術の師匠がつき、戦に出て、流れの傭兵となり…、一辺倒な道を歩んできた。
エレンがこうして家業で身に着けた知識を披露してくれることは、俺の脳の白紙の部分に勝手に文字を書き込まれるような、むずがゆい感覚になる。
季節と作物、荒天による被害、いい土の作り方、あれこれ聞かされた。
俺もそろそろニンジンくらいは育てて収穫までこぎつけられるかも知れない。
「お腹いっぱいになっちゃったわ」
「そりゃそうだ」
ラズベリージャムの瓶はエレンの手によって布に包まれ、俺に預けられる。
割れると大変な目に遭うのは俺の方だな、そういえば。
「ハリードは?」
俺の腹をぽんぽんと叩く。
「お前よりは許容量が多い」
「消化はあたしの方が早いわよ」
この近辺はしばらく人里が続く。ゴブリンも山賊も現れそうになく、遅刻をしておきながらますます俺たちは呑気だ。



道中、人通りが多いばかりか飲食物や土産物を売るテントも点在しており、旅というよりは観光気分。
行商人が馬車を停め、道端に品物を広げていた。
「旅の人〜、良かったら見てってよ!」
若い女性の声だ。
こいつは興味を示すぞ…と考えていたら案の定、エレンが吸い寄せられて行った。
「こんにちは。何を売ってるの?」
「うちは何でも屋だよ!ネズミ捕り、強化ブーツ、陶器のブローチに花の種、超軽量の仕込み杖、ランプ用オイルとマッチのセット!」
滑らかな口上を聴きながら俺もそちらへ。
稀に、足がつきにくい職業であることを利用し、がらくた同然の物を売りつけるような詐欺もあるとか聞くが…。
「おすすめはこのオイル!純度が高くていい品だよ」
「ハリード、オイルがそろそろなくなるんじゃなかった?」
「しかし、しばらく野宿の予定はないぞ」
エレンの後ろから値札を確認してみると、マッチもついてくるなら安い方か。
女性が持ち上げたのは『オイル見本』と貼り紙をしたランプ。透明なのは精製度が高い証拠である。
ついでに他の品物にも目を移しておくが、信頼しても良さそうだな。
「恋人?ステキな人だね!お似合いよ」
客商売の人間は口が上手い。気持ちよく金を払わせるよう乗せるためであったりする。まあ、悪いものではない。
さてエレンは、『恋人じゃなくてただのおっさん!』…とでも喚くだろうか。
楽しみに待っていると、エレンは小首を傾げ、照れ笑いを。
「…そう?」
「砂漠地帯の人でしょ?かっこいい!」
「ありがと」
俺もエレンも上手く乗せられ、ランプ用オイルとマッチのセットを購入した。

急に口数が減ったエレンの顔をわざとらしく覗き込んでいると、睨まれる。
「たまに良く云ってあげたら、そうやって調子に乗るんだから!」
おだてられて舞い上がる俺の方が、上手く操られているのか?
しかし、恋人と云われて否定をしないなんて、前代未聞じゃないか。
素直に喜ぶほかない。
「俺もおっさんから昇格だ。長かった」
エレンは、否定すればよかった…という顔をして呆れている。
「初めの頃は、お前は怖い顔しかしなかったからな」
「遠い地方から来た流れ者が、いきなり偉そうに喋りだしたら、警戒するでしょ!」
初対面の時の話だ。お互いよく覚えている。
侯爵殿下の妹君がずぶ濡れで田舎の村に飛び込んでくるという、緊迫した場面。
あの時は俺が、戸惑う田舎の若者たちを仕切らせていただいた。
「俺はモニカ姫の置かれた状況を的確に説明してみせたんだぜ?」
「今ここにあんたよりも図体のでかい男が現れて、この国はこういう状況だからこうだって、いきなり喋ったらどう?」
その緊迫した場面を頭の中に呼び起こし、エレンの云う通りに想像をしてみる。
「…まずは自己紹介を促すだろうな」
「ほら〜」
俺が自己紹介をしたのは、『モニカ姫の置かれた状況を的確に説明してみせた』後だった。
どうも、このエレンには口では勝てない。





ピーナツバター(と、ラズベリージャム)のために出発が予定より遅れ、行商人に乗せられて買う予定のないランプ用オイルを買い、
ついでにちょっとした会話で云い負かされた。
…と、いうような後ろ向きな解釈は、このエレンと一緒に旅をするのなら、厳禁だ。
「ジャムも2種類買ったし、いいオイルも手に入ったし、今日はついてるわね」
「あのベーカリーのコーヒーも美味かった」
オイルに付いてきたマッチの木箱には、『山男の唄』というどこかの民謡らしきタイトルと、楽譜が描かれている。
それを手にして眺めているエレンの、鼻歌が聴こえてきた。
楽譜を読むのは不得手なようで、途切れ途切れの妙なメロディに、俺は思わず笑いを漏らしてしまう。
「もう!笑わないでよ、自分が歌が得意だからって」
旅の間、道を歩く際には、俺がエレンの後ろを歩くことにしている。
「俺に歌って欲しかったら2オーラムな」
「誰が払うもんですかっ!」
ふくれっ面でこちらを振り返る。俺の好きな光景だ。

旅暮らしを勧めはしないが、俺自身はよその旅人よりも得をしているんだと思っている。



END

web拍手
[一覧へ]
[TOP]