Ruf in Den Gold

職業斡旋所にて、貼り紙を見比べて回るふたり。
職種ごとにコーナーを分けてあるが、エレンは力仕事、ハリードは傭兵や護衛のエリアに。
随分と分かりやすくまとめてあることに感心する。職員の工夫か、もしかすると国が就労支援を推進しているのかも知れない。
侯爵殿下の、一国の主としての手腕はもちろん、容姿に憧れて移住を決断する女性たちもいるとかいないとかで。

ここはロアーヌ侯国。
ハリードには、侯爵より直々に軍師としてスカウトされたのを辞退した経緯があり、
そのせいか、ロアーヌ軍が出している傭兵募集の貼り紙は、何やら考えながら見送っている。


「!」
そのハリードの脇腹に、何か突き付けられた。

短刀の鞘…だろうか?刃身そのものではない。
この状況になるまで気配を感じ取れなかったということは、只者でないのではないか、
いや、それほどの人物ならば街中で騒ぎを起こすとは考えにくい。
呼吸で心拍を鎮め、あらゆる展開を頭の中に並べる。
「………」
分かりやすく声を上げ、襲撃していただく方がどれほど対処がしやすいか。
腰に提げた曲刀カムシーンでなく、隠し持ったダガーを取り出せるよう身構える。

背後の人物が、小さく息を吸った。
空気の流れが変われば合図だ。

「トルネードよ、とうとう我が軍へ参じてくれる決心がついたか」


声と、台詞の内容。ハリードは間抜けな顔で、背後を振り返った。
「脅かし方が悪趣味だぜ」
「ククク。私もまだ捨てたものではないな、お前の命を取れるとあらば」
長い金髪を束ね、目深に着けたヘッドバンドからのぞく蒼い瞳。
ヘッドバンドに縫いとめられた飾り布は輪郭を覆っている。
要するに変装で、ハリードはそのあたりに配慮をと考えながら、握手だけ求めた。
「ロアーヌ軍は殿下への忠誠心から洗練された一団であると伝え聞く。俺のような放浪者は輪を乱すだけだろう」
「お前を筆頭に小隊を組ませても良いぞ」
「数年は遊んで暮らせる報酬が得られそうだ」
ハリードが誰かと喋るのを聞きつけたエレンがこちらへ寄ってくる。
「お知り合い?」
「まあな」
「こんにち…は…??」
挨拶をしたエレンの笑顔がみるみる真顔になりやがて固まって、ハリードが吹き出した。



変装をして城下へおりていたロアーヌ侯爵ミカエルは、流れ者の男女を伴って街外れの小さな小屋へ。看板も何も出ていなかったが、中は小奇麗なカフェだ。
入店するなりヘッドバンドを取ったので、ここはミカエル候のお忍びの居場所なのだろう。
“ハリードが知人と談笑していると思えば、その相手は故郷の領主様だった”という衝撃の冷めやらぬまま、エレンはギクシャクして椅子につまづいていた。

「で、話ってのは本当に軍へ加われということなのか?」
「お前にそのつもりがあるのなら膝をついてでも迎える覚悟だが、張り合いのない話でな…」
洒落たカップでエスプレッソが出てくる。エレンは存在感を消しながら、シュガーを入れてやり過ごしている。
「婚礼の儀を執り行うのだ。40日ほど先のことだが」
「おっ、遂にか」
領主様のおめでたい話を唐突に耳に入れ、エレンはひとりで瞳を輝かせたり、背筋を伸ばしたりとせわしない。
「しかし、国外ならまだしも私は相も変わらず身内に敵が多い。城内では警備の強化に躍起になるばかりだ」
「おちおち眠ってもいられないか」
「自室はさながら武器庫のようだ」
正室に子がなく、側室の子であるミカエルに帝王学が施されたが、正室の子が後継となるべきと考える者がおり、彼は幼少期から度々命を狙われた。
また父フランツの暗殺後、順当に国の主となった彼に対し、反逆を企図する者がいた。
「警護をしろと?」
「それも兼ねてだが、正式に賓客として迎えたい」
「俺はそのような身分にはない。守衛の列に紛れるのがせいぜいだろう」
「決めるのは私だ」
気軽に喋っているがミカエルは目上であり、断言されてしまったハリードは観念するしかない状況。
「ゴドウィンのあの暴挙に対し尽力してくれた、名のある剣士だ。それは身分などという飾りよりも確かな勲章である」
「褒賞を頂戴しておいて申し上げることではないが、そいつは表向きだろう?殿下」
反逆を企図したのが、かつてロアーヌに仕えていたゴドウィン男爵。彼はミカエル不在の機に城の乗っ取りを実行したが…。
これはミカエルの方の企みで、機を与えてやり、まんまと出て来たゴドウィンが締め出された、というのが真相である。
「その表向きが事実として通っている。案ずるな」
どこかで辿る道が違っていて、その末にもし敵対していたら…と想像すると恐ろしい男だ。

それなりの身分であることを感じさせる店主が、エレンにだけケーキかスコーンかを訊ね、オレンジティーと一緒に小さなチョコレートケーキを出してくれた。
エレンは緊張がほぐれたのかおいしそうに頬張っている。あとの2人はスコーンに手をつけず会議を続行中だ。
「昨日、城下でお前を見たと報告を受けたのでな」
「殿下が直々に張り込みか。いい仕事にありつけたものだ」
「衣裳は誂えさせよう。一週間前に城を訪ねてくれ」
「…い、衣裳なぁ… 儀礼用の鎧を一領貸与してくださればそれで…」
にやにやするエレンをハリードがひと睨み。
「こいつは?こう見えて腕は立つ」
「同伴してもらって構わん。謝礼も2人分出そう」
「えっ?」
「じゃ、こいつの衣裳だけお願いしておくぜ」
「えっ!」
エレンは、侯爵殿下の婚礼の儀(の後に開催されるパーティー)にお呼ばれするのはハリードだけで、自分は領主様とお后様のパレードを野次馬するつもりでいたらしい。
運悪く、呑み込もうとしていたのはケーキのスポンジだ。喉につかえ、オレンジティーをがぶ飲みする羽目に。
「あ、あたしは本当の本当に田舎の人間ですから、ゲホ、とんでもないです、ゲホ」
「列席者を装った近接警護任務に適しているのはむしろ、女であるお前の方だろ」
「それらしいこと云って!」
「婚約者ということにでもしておけ。正式に招待状を作成せねばならん。そのように手配する」
「こん…」
「忘れてくれるでないぞ」














それからひと月と少し。
まずふたりは、エレンの衣裳の誂えという用件でロアーヌ城へ。
4人の門番の前へ進めば、4本のハルバードがクロスを作り、ふたりの足を止めさせた。
ミカエルより直々に託されていた招待状という最強の武器を差し出すと、1人の門番が扉の向こうへ。
普段から警備の厳しい城である。鋭い視線とハルバードの刃はふたりを向いたままだ。
注文したランチが出来上がって運ばれてくるまでにかかるほどの時間が過ぎた後、ようやく城内へ。

更に5日後。
一度城内へ通していただいていたのに、衣裳の試着の日、また門番のハルバードに阻まれたふたり。
今度は豆から挽くコーヒーが出来上がって運ばれてくるまでにかかるほどの時間で済んだ。
「ハリードはどんな立派な衣裳を着るのかしら!楽しみ〜」
「儀礼用の鎧だけでいいと云ったはずなんだがな…ブツブツ」
案の定、ハリードにも衣裳を仕立てるよう命じていたミカエル候。ふたりは男女それぞれの係の先導で別の部屋へと。
警護任務の話は通っており、動きやすさなどの相談もさせていただいていた。
試着と武器を持っての動作を確認し、問題なし。さすがは宮仕えの仕立て屋といったところ。
「エレン様、婚約者様にお見せしなくてよろしいかしら?」
「え゛っ!?」
「当日までのお楽しみということがいいかしらね、ウフフ」
婚約者という話もきっちり通っている。


そして、当日。
いよいよ、侯爵殿下の婚礼パーティーにお呼ばれ…という名目での、近接警護任務の時刻だ。
身支度のためエレンはパウダールームへと案内された。
他の参加者たちの姿にいきなり圧倒される。どう見ても身分の高い人たちである。
「ごきげんよう」
「こ…こんにちは〜」
髪をまとめていただいて、化粧もしていただいて、歓談に及ぶご婦人方を尻目にとっとと退散。
ゲストルームへ戻るとハリードの姿がない。勝手に城内を散歩、くらいのことはやりかねないため、気にせず待つことに。
扉をノックする音。
係の女性から時間になれば呼びにくると云われていたので、そのつもりで一度鏡を覗きこんでから、扉を開けた。
「!」
目線の高さに顔がなく、後ずさりしたエレンは、反射的に見慣れた高さを見上げる。
「よう」
ハリードの顔と、お召し物を確認。ゴールドの飾り刺繍を施したブラウンとレッドの柄生地の、丈の長い衣裳。
エレンもそんなハリードの視線を浴びた。ペールブルー、ゴールドの薄い素材が重なるマーメイドドレス。
ブラウン系の柄に金の糸がちらちらと光る織物のストールなど羽織っている。
「そういうの、着られてるって云うのよ!」
「お互い様だ」
「珍しくちゃんと扉をノックして入ってきたわね」
「衣裳に着られて調子が狂った」
そんな挨拶を交わすと、ハリードは室内へ。
「一足早く、ミカエル候のお呼び立てで謁見してきた」
警護のための重要情報を聞かされるのかと、エレンが凛々しい顔をした。
「酔っぱらってレイピアを振り回すような客がいたら頼むぞ、ということだ」
「…ええ?」
「さすがに随分と前から調査を繰り返していて、大きな騒ぎにつながる要素は総て潰してあると」
「うーん、ミカエル様なら確かに…」
ドレスに武器を忍ばせた近接警護というかっこいい仕事のつもりでいたのに、これでは単なるパブの用心棒である。
ファッションの一環で飾り彫刻の施されたレイピアを提げるのがブームであり、パブではそのような騒ぎが少なくない。
しかし、侯国の城内で、パブのような騒ぎが起こるだろうか。
「まあ、要するに飯でも食って帰ってくれといったところだろう」
「本当に招待してくれただけ?」
「おそらく」



はじめはミカエル候、続けて后となるカタリナからの挨拶。祝いの書簡の読み上げなどが続く。
ハリードに云わせるとかなり簡素化されているらしい。
それらが済めば、あっという間に夫妻の周囲に人だかりが出来た。

「なに?」
ハリードの無言の合図。
「………」
腕を組めと。
「今のお前はドレスのお陰で逞しい体つきが分からん。知らずに声を掛けてくる男が被害に遭うと大変だ」
「何ですって!?」
相変わらず口が悪い男だが、実際、貴族の社交場で声を掛けられでもしたら面倒どころではなく、内心ありがたく従うエレンであった。
「謝礼もいただくことだ。それなりにやらんとな」
ただし、じっとして辺りを伺っていればこちら側が不審人物と捉えられかねない。
クラッカーやらフルーツやらをつまんで、ボーイに水をオーダーしたり(一応、乾杯のワイン以降は禁酒と決めている)。
大広間を見渡し、帯刀する賓客には目を留めておく。

薄く流れるヴァイオリンとピアノの音色。
淡々と時間は過ぎゆき、ふたりは近接警護が板についてきた。…というのに。
凄腕と評判のミカエル候は、ハリードに語ったように、婚礼パーティーに悪がまんまと付け込むような隙は米粒ほども作らせない。
もしや、酒癖の悪さまで調査して選りすぐった客なのではないかというほど。
「こら」
「ごめんなひゃい…」
エレンの大あくびがそれを物語っていた。


何かが起こるとすれば最も可能性の高そうなチークタイムも、何事もなく終えられた頃。
「ハリード殿!」
ロアーヌ軍の人間がふたりのもとへ。
「これはこれは」
「殿下から貴方を招いていると伺いましてな」
エレンは相変わらずうまく気配を消す。王族の出であるハリードがそれらしい受け答えや雑談を交わすのを、傍らで聞き流していた。
酒や食事で腹が膨れたのか、或いは遠方から来ているのか、広間を後にする者もちらほら。
そろそろ終わりかな、とエレンが考えているが、残念ながら、クライマックスはこれからだった。
「──それではハリード殿、お出まし願えますかな?」
「?」
「殿下の命でありますぞ」
「なにっ?」

ハリードは強引に広間の奥、侯爵夫妻のもとへ連行。
エレンはそれを見送ってから、適当な場所でいつの間にやらシャンパングラスなど手にしている。
禁酒と決めていたはずなのに、しかも『おもしろそう♪』と顔に書いてあり、これを見つけたハリードは既に諦め顔である。
主役であるミカエル候が、立ち上がってまで出迎えにやってくる。
警護という役目を与えたかに見せかけて、ハリードもまたゴドウィンのごとく、おびき出されてしまったとでもいうのだろうか。



「えー、宴も幕引きの頃合いであるが、ぜひ諸君のお目にかけたい人物がいる。時間を頂戴いたすぞ」
エレンは声を出して笑いたいところを、自慢の腹筋に堪えさせている。吹き出してはいけないのでシャンパンを口に含むことは控えた。
「名の知れた男だが改めて耳に入れて欲しい。私が玉座について間もない頃、ロアーヌを救うため血を流してくれた“トルネード”だ」
歓声と拍手が上がる。
王族の戦士であり、国では軍師という立場も任されていた“トルネード”は、もはや慌てず騒がず。
割と堂々とした立ち方でいる。
「本日の宴に正式に招かんとすれば辞退するが、護衛の名目であらばと引き受ける男である。
 しかし、幾度となくロアーヌに仕えてくれるよう頭を下げても、それらは今のところ全て辞退されてしまっている」
含み笑いを交わす2人。広間からも笑いが起こった。
無礼講というのはお城の中でも通用するのか…と感心しつつ、エレンも一緒になって笑う。

「ご紹介にあずかった、ハリードだ。
 本来ならば守衛の列に紛れているべきところを、殿下より直々にこのようなもてなしを賜り、身に余るほどの光栄である」
ヴァイオリンとピアノの演奏はいつの間にやら止んでいる。
食器が片づけられる音だけが鳴る大広間で、緊張を自覚するエレン。
「私はゲッシアの王族という身分を忘れ、旅暮らしに喜びを見出すようになり、世を流れている。
 殿下からのお申し出を辞退させていただくのは心苦しくあるが、今の私には定住の地は不要と考えている。
 しかし、このロアーヌ侯国にまた危機が及ぶのならば、身を削ぐことは惜しまない」
広間全体から、再びの拍手と歓声。
エレンが毎日見ているマイペースで大雑把な男は、この場にそれなりに釣り合う振る舞いで、なんだか遠い人のよう。
「やがてお前が老いてゆき、旅暮らしに苦慮する頃、軍事参謀として仕えてくれるよう申し入れよう」
「それは前向きに検討させていただきましょう」

二度目に笑いが起こったいい流れで、これにてパーティーを終了すると係の者が伝えた。
結局、酔ってレイピアを振り回す者はおらず、ふたりは腹六分目といったところ。



注目を浴びながらハリードが戻ってきて、エレンの腰を抱いた。
わざわざ時間を割いて紹介してくださったミカエル候の顔に泥を塗るようなことがあってはならない。ふたりは最後に演技力を求められることに。
「とっとと戻るぞ」
「お疲れさま」
ボーイにシャンパングラスを手渡す手つき。エレンが精いっぱい、この場にふさわしく見られるよう、指先まで気を遣う。
先ほどの演説よろしく、そこそこ場馴れしているハリードがその手をとり、出口の方向へエスコート。
「グラスの1つや2つ落として割るかと思っていたが」
「なんか云った!?」
「しーっ」
どうにか出口まで公爵殿下のお客人を演じ切ると、今度はハリードが別のボーイを呼びつけ、何やら注文した。

ゲストルームへ戻ると間もなく、ワインボトルが1本と、ワイングラスが2つ届けられた。
「堅苦しいところは疲れる。飲み直しだ」
せっかくの衣裳をベッドへ放り投げ、ドレスシャツのボタンを3つ外す。
雑にワインの封を切り、承諾もなく注いで、エレンを急かす。
「いつものハリードに戻っちゃった」
「こっちの方が好きだろ」
さらりとそんな問いかけをされて、答えかねたままストールをとると、ハリードの手が取り上げた。
これまたベッドに放り投げられてしまった。

「…うん」



END

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