pickup picky girl

「ハリード」
風に溶け行くような、繊細な声に呼ばれる。
足音も聴こえてくるので、声の主がこちらへやってくるまで、振り向いて待ちかまえる、が…。
「きゃっ!」
草むらの途中で悲鳴があがる。
「サラ!」
彼女は足下を見てから両手で顔を覆った。何事かと駆けつけたハリードが見たものは?
「ヘビが死んでる…」
「…ヘビ?」
たかがそんなもので…、いやいや、この可憐な少女にとっては大いなる脅威だ。理解している。
手をとって、またいで歩かせた。
「よく見ろ、抜け殻だぞ。脅かすな、サラ」
「ごめんなさい…」
この可憐な少女の、姉のエレンというと対して勇敢な女性で、腕っ節も強い。悪魔の遣わした大蛇が現れようとも怯むことはないだろう。
この落差にはいつも振り回されるが、ハリードは案外、面倒見がよい男で、きちんと姉妹それぞれへの対応をとることはしている。

エレンから、サラは花を育てるのが趣味だったと聞いたおぼえがあった。
昆虫や爬虫類の現れそうな草むらからは離れて、小花の揺れる芝生へ移動。
「わぁ、こんなところがあったの?」
きらきらと瞳を輝かせる、このような言動は、姉とよく似ていた。
「サラ。俺に何か用件があって来たんじゃないのか?」
「うん。お姉ちゃんが、暗くなるからそろそろ連れてこいって」
「俺を何だと思ってるんだ、あいつは」
連れてこい、というエレンからのお達しに構わず座り込むハリード、サラも一緒に、隣にちょこんと腰を下ろした。
「夕焼け、きれいね」
「ああ」
「ハリードは夕焼け、好き?」
香りの強い花が近くに咲いているらしく、自然と呼吸を深くして、少女の問いかけを一度なぞる間を作った。
「そうだな。青空よりは哀愁があって、俺のイメージにもぴったりだろ」
「うん。きっと、夕焼けの中で一人で立ってたらすてきよ」
「お前は夕暮れ時に一人でいるんじゃないぞ。さらわれちまうぜ」
「お姉ちゃんが助けてくれるわ」

出逢ってからずっと二人旅を続けているハリードとエレン。
同じようにパートナーと共に世界を渡り歩いているこのサラは、三年に一度、姉妹で逢う約束を交わしている。今日で二日目だ。
「お姉ちゃん、すごく美人になっててびっくりしたの。昔から男の人には人気があったけど、なんだか雰囲気が違うの」
残念ながら、毎日顔を見ているハリードにはこれが分からない。ろくに化粧も、着飾りもしない…
「そうなる年頃だろうしな」
「ハリードがいるからよ」

この少女とは、言葉を交わすたび、不思議な空間へ導かれるような錯覚をする。
特別、話術に長けているという事でもない、大変な話題に及ぶわけでもないが、気を引かれる。
エレンとの血のつながりを感じる目元と輪郭、しかしその瞳はすべての風景を余さず吸い込むようで。

「ハリードといっしょにいて、たくさんの気持ちを抱えて、いっぱい悩んで、泣いたりしたはずよ」
蓮華の花を摘む繊細な仕種が、ハリードの視界の隅に入り込んだ。
「あ、悪い意味じゃないわ」
「お前は恋愛小説の読みすぎだ」
「ばれちゃった」
正直なところ、男を想って思い悩む習慣があるようには見えないが、血のつながった人物の考察とあっては聴き逃せない。
「ハリードはあんまり、女の人のことはわからないでしょ」
「図星だな」
「だからきっとちょうどいいのよ。お姉ちゃんがハリードを見るときの顔だけで、私にはなんでもわかるけど」
サラは蓮華の花の冠を編んでいる。とても手際がよく、姉妹の性質の違いがこんなところにも表れる。
「あのね、ひとつだけ教えるね。ハリードと年が離れてるのを、すごく気にしてるみたい」
花の隙間には三つ葉を差し入れていく。ちょっとしたアクセントらしい。
そんな仕種にすら引き込まれつつ、ハリードはサラの発言をすべて頭の中で反芻した。


木々が影を落とし、いい加減エレンが怒っていそうな予感をさせる。
蓮華の花の冠が完成しているのを目に留め、ハリードが腰を上げた。
「暗くなってきちゃった」
続けて立ち上がったサラは冠を自分でかぶって、足取りも軽い。
しかし、街へ戻り、連泊中の宿が見えてくると、建物の前に仁王立ちの人物が…。

サラは花の冠を外し、後ろ手に持った。
「どこ行ってたの!」
「ごめんなさい、夕焼けがきれいだったの」
「ちゃんとハリードを連れてこなかったあんたもだけど、ハリードもよ、ちゃんと責任もって暗くなる前に帰らせなさい!」
背後の通行人の視線を感じるが、何か発言すると彼女の怒りを煽ってしまうだろうし、そもそも二人に反論の余地はない。
「お姉ちゃん、これ、おみやげ」
蓮華の花に、三つ葉を飾りつけた冠。
「それを作って遊んでたわけね。しょうがないわね」
怒ると怖いエレンでもさすがにこれを無下にはしない。
受け取って宿の中へ引きさがってくれるのを見てから、二人で笑って顔を見合わせた。







夜になると、普段のようにハリードとエレンは同室へ。
蓮華の花の冠は窓際に吊るしてある。ドライフラワーにすると云っていた。

“ハリードと年が離れてるのを気にしてるみたい”という、サラからの情報。
確かに、エレンがこの世に生を受けたころ、ハリードは齢13であった。
王族に生まれたせいか、それが特別かけ離れているとは感じなかったが(側室に若い女性を選ぶことがむしろ必然的であるためか)。
「一つくれ」
「はい、どうぞ」
クッキーをかじりながら隣の椅子へお邪魔する。
サラの話が残した印象は意外なほど強く、エレンが悩める乙女に見えてきてしまう。
「さては、サラから変なこと聞いたわね?」
ずばりエレンが云い当てた。
何故それを見抜かれているのか分からないハリードだが、白を切っておくことにする。
「いや、好きな恋愛小説があるんだとか、そんな話を聞いたくらいだ」
「あんたにそんな話をしてもしょうがないのにね」
「お前がそういうのに無縁だろ。新鮮ではあったぜ」
口を尖らせるエレン。ちなみに彼女の愛読書は武術の教本である。
「どうせあたしは子供なのよ」
どうせあたしは…というこの口ぶりには覚えがあった。
「お前が恋愛小説を読みふけっていたら、俺は慌てて病院へ連れて行かなくてはならん」
「その前に逆さまに持ってないか確認してちょうだいね!」
2枚目のクッキーを手元に押しつけられる。

サラの発言をまた反芻しながら、食器を鳴らす音を聴いて、ぼんやりと考え事を続けた。
しかしコーヒーの香りに惑わされて、鈍ってしまう。
ティーポット、カップがふたつ、ミルクピッチャー、角砂糖のビン。
カップを不揃いなソーサーに乗せてきてしまう大雑把さはむしろ好きである。
「ハリード」
「ん?」
「コーヒーはなにも入れなかったらどんな味なの?」
ミルクと砂糖なしには飲めないというエレンの素朴な質問だ。
「…コーヒーの味だなあ」
「それがどんなのかって訊いてるのよっ」
「飲んでみろ」
エレンは云われるまま口をつけ、考え込む。
もうひと口味わったあと、結局ミルクと砂糖に手が伸びた。
「このバタークッキーは甘いだろ?だったらブラックで飲んで、逆に甘味のないパンにはカフェオレを合わせたりとかな」
「なるほどね…   ハリードってそこまでコーヒーにこだわってたかしら」
「国にいた頃の受け売りだ。俺は胃に入ればなんでもいい」
エレンのティーカップの中味はカフェオレに仕立てられていく。
「こうしなきゃ飲めないなんて、子供みたいじゃない…」


“ひとつだけ”教えてくれたサラがこの場にいたら、笑いをこらえているだろうか…。
コーヒーも酒も甘くなくては飲めず、武術の教本以外には読書をせず…
明日の朝、ミルクピッチャーと角砂糖のビンをどこかに隠してみようか。
意地になってブラックコーヒーを飲むと云い出しそうだ。
「俺も子供みたいなものだ。ちょうどいいだろ」
「たった今、イタズラを思いついたみたいな顔したものね!」
これまたどうして見抜かれているのか分からないハリードだが、それならばと調子に乗ってみた。
「まあまあ。ところでエレン、夜ふけに二人でバーにでも行かないか?」
「…ふたりで?」
「ずっとサラにお前を独り占めされるからな」
「……へぇ、どういうつもり?」
「ビールを飲む練習だ」

とめどない文句をぶつけられながら深夜のバーへ行くと、エレンは素直に“ビールを飲む練習”にいそしんだのだった。



END

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