風をつれて

リブロフの街中に『リトル・ナジュ』と呼ばれるエリアがある。
峠の向こう側に広がる砂漠がナジュの名をもつが、そこに暮らした民族が移住、やがて小さな町のように発展していったことからそんな名称がついた。

移住、といっても、砂漠のオアシスに栄えたゲッシア王朝の滅亡により、そうせざるを得なくなったといういきさつがあった。
対立した神王教団がその地を手中に収め、“国”を建立し始めている。
王朝の復興をと目論んで彼らを排除しようにも、そのために必要な金と労力は計り知れない。
何も持たぬ市民は、逃げることしか出来なかった。
リブロフという街にも神王教徒は多いが、それ以前に商業の栄えた土地で、さまざまな人種・境遇の者をおおらかに受け入れる底の深さがあった。

現在リトル・ナジュは、観光地として人気が高まっている。
砂漠地帯で独自に生産されている織物、調度品、料理も。峠の険しさに阻まれてなかなか味わえなかったものに手軽に触れられるのが魅力だ。
「急に雰囲気が変わったわ」
エレンの視界に飛び込んだのは、もののかたちよりも色。
「しばらく来ない間に随分と賑わったな」
鮮やかな色彩の正体は織物。乾燥地帯の建造物は日光の熱を遮断する必要があるため白色がほとんどで、そのぶん内装が派手になってしまうのだとか。
世界的にも有名なナジュの絨毯は、緻密な絵や幾何学模様を織り込んであり、美しい。それらが店先に誇らしげに吊され、観光客を集めていた。
「リブロフのこのあたり、あたしもハリードと一緒に来たことあるわよね?」
「ああ、何度か」
「絨毯のお店があったのは覚えてるけど…」
エレンが見回す一帯はまるで砂漠の街を切り取って持ってきたかのような雰囲気。
このハリードと同じ、褐色の肌色をした人々が行き交うせいでもあるのだろう。




ハリードは情報収集が趣味のようなもので(始めのうちは必要があって行っていたが、やがて習慣づいたらしい)、リトル・ナジュへの観光が今ささやかな流行であるということを既に耳に入れていた。
『しばらく来ない間に随分と賑わったな』…と、感想を発したとき実は、ちょっと白々しかったか、と心配をしてエレンの横顔を伺っていたのだった。
心配をせずともエレンは鮮やかな風景に夢中な様子。
「子供のころのハリードが剣術の稽古を終わらせて、パンか果物でもひとつ買って、走って帰っていくのが目に浮かぶわ」
「大体合ってるな」
「きっと子供のころから図体がでかくてかわいくないのよ」
「戦士の家系に生まれたにしては線が細い、もっと鍛練をしろと云われてだな」
「うそっ」

剣術の稽古に明け暮れ、成年を過ぎれば軍師として戦に出たような男だが、
大切な人に故郷の風景を見せたい、などと、想ってもみるようで…。

かといって先頭に立って観光案内をするわけではなく、エレンの足の向くまま散策を開始した。
まずは女性ものの衣類や小物を扱う店へ。
「あたし、宝石やレースがついたようなものは苦手だけど、こういうの、好き」
彼女が手に取り、鏡の前で合わせてみるのは、編み込んだ飾り紐と羽がぶら下がった髪飾りだ。
普段の飾り気のなさから宝飾品には興味がないのだとハリードは考えていたが、好みに合うならば良いらしい。情報収集家がここへ来て得た重大情報である。
「ふむ。買ってやらんでもない」
「財布は一緒でしょ」
「そこは男を立てろよ」
「待って。買ってくれるなら、じっくり選ぶわ」
そこからエレンは店内を回り始めた。ハリードはその後ろをついて回るのはさすがにどうかということで、適当なところで待機。

王朝が興る以前には砂漠地帯を転々と旅していた一族で、虫よけの香を焚く習慣が根付いている。
懐かしい匂いに、ハリードの意識が宙に浮かんだ。
今は亡き故郷の、乾いた熱と、白い建造物の並ぶ風景。
雲に遮られることのない星空。

「街歩き用の靴が欲しかったの」
彼女が手にしているのは布製の靴。一族お得意の微細な刺繍が、さりげなくも個性的。
「暑いから、風を通す素材がいいわけね」
「砂埃に汚れても水洗いができる。しかも見た目によらず頑丈だ」
「買わないわけにいかないわ」
髪飾り、スカーフ、靴。
一応の形式としてハリードが財布から代金を出す背後で、エレンは性格上、布製の靴とブーツをさっそく履き替えだした。
それならば髪飾りも着けてみてくれないだろうか…というハリードの願いは届いていないが。
「これで身軽になったらあれこれ買っちゃいそうよ」
「今日はお好きなだけどうぞ、お嬢さん」
「だから、財布は一緒でしょ」



エレンは彼のお言葉に甘えて、買い物を満喫。
ところどころでハリードからの解説もあり、布靴の足音は軽快だった。
その足音は、少し人通りのなくなった路地で、ハリードの進行方向を遮る。
「ねえ、ハリード?」
彼女はフリンジと刺繍の施されたケープも買って、靴と同様にさっそく羽織っていた。
「本当は、最初からあたしをここに連れてきたかったんじゃないの?」
「なぜそう思う?」
「なぜって、あれもこれも買え買えって、いつも口出しなんてしないのに、おかしいわ」
「………」
開拓民の村に生まれ育ったエレンに都会ぽさはない。
このリトル・ナジュにある手作り品はよく似合いそうだ、と想像をふくらませてみたことが、ハリードには何度かあって。
実現の機会につい張り切るありさまが、端から見れば一目瞭然だった、と…。
剣術の稽古に明け暮れ、成年を過ぎれば軍師として戦に出たような男が、大切な人に対する本心を悟らせぬよう振る舞うことは至難の業であるらしい。

「そういうところなのよね、ハリードって」
ハリードは顔が火照る感覚をおぼえて目を泳がせる。すると都合よく風に頬を撫でられたので、それを浴びるふりをしてクールダウン。
一方、買い物袋をごそごそするエレンは鼻唄まじりで、たった今ハリードの頬を撫でた風にはどうやら『どこ吹く風』という名前がついていたようだ。
「せっかくハリードが買ってくれたものね」
例の髪飾りが、右耳の上にピンで留められた。
鬢の後れ毛と一緒に、淡いエメラルド色の羽が、風にひらひらとなびく。
「財布は一緒だろ?」
「逆になってるじゃない」
ファッションカタログのモデルのようなポーズをとる。
彼女はおどけているつもりのようだが、背丈と整った顔立ちのお陰で、カタログモデルのスカウトに遭いそうなほど、さまになっていた。
「あたしに着せてみたかったんでしょ。どう?」
「想像以上だ」
「どんな想像をしてたんだか!」
褐色の肌色に映える白や生成色を使うことの多いナジュの服飾品は、エレンのよく灼けた肌に似合うとか、
金属でできた飾りよりも色糸の刺繍の風合いがエレンのイメージにぴったりだとか、
実は具体的な感想をもっていたハリードだったが、どうにも気恥ずかしく、にやにや笑ってごまかすしかなかったのだった。






ハリードは顔見知りの後輩に見つかって、質問責めに遭っていた。
たまたまエレンがリトル・ナジュ名物のミルクティーを買いに行っていた間。
「あ…」
邪魔をしてはいけないだろうかと考えて立ち止まったエレンに、助けを求めるような目線が送られる。
少し観察していると一方的に畳み掛けられている、ような。それを乱暴に突き放したりしないのがハリードの性格だった。
ミルクティーの紙カップは両手を塞いでいるし、故郷では名のある王族の戦士だった彼に気づいた人々もちらほら居るようだし、人助けと考え直して、エレンはそちらの方向へ。
「こんにちは」
「……?」
「ごめんなさい、ミルクティーは2つしかないの」
ちなみに、ゲッシア王朝の騎士団においてハリードを熱烈に慕っていた兵である。
「俺の連れだ」
「エレンよ。田舎でくすぶっていたところを、旅に連れ出してもらったの」
ふたりの顔を交互に見た青年は、良く云えば明朗快活、悪く云ってしまうと突っ走りがち。
…という他者紹介をハリードに聞かされるまでもなく、エレンは青年の人柄を理解していた。
「ハリード様!」
「次はなんだ」
「トルネードの渾名を継ぐご子息を、やがて私の目の当たりと…」
「待て。落ち着け」
「エレン様と申されましたか、やや、私もかつては宮仕えの兵の端くれ、お体に鍛練の跡が表れているようにお見受けいたします」
「あたしはただの開拓者だから、へりくだってくださらなくて結構よ」
「いいえ、とんでもございません。いやあ、麗しくていらっしゃる」
「ありがとう。お上手ね」
呆れ顔のハリードがミルクティーを受け取って黙る。ただし、この青年のこんな人格を含めて可愛がっていたのである。
そこまで解ってしまったエレンは面白そうに笑っていた。
「ハリード様、武人の血に洗われたご子息はさぞお強いことと…」
「影も形もないものを評価するな」
「いいえ、黙ってはおれません!きっとご子息の腕前はいつか、風に乗って私の耳に自然と届きましょう!」
「このあたりは峠に遮られて風の流れが悪い」
「そういう問題じゃない気がするわ」
「太白の星はハリード様の血を絶やすことを許さないのです!」
青年はエレンに対する自己紹介も忘れて別世界へ。
そろそろ周囲の人々も遠巻きにハリードへ声をかけ始めていたので、無難に云いくるめて、ふたりはリトル・ナジュと呼ばれるエリアから抜け出した。



“ハリード様のお姿が見えた”という伝言ゲームは狭いリトル・ナジュにおいてあっという間に広まったらしい。
「夕食もリトル・ナジュでいただきたかったのに。おいしそうな匂いがしてたわ」
リブロフのありふれた街中の宿に避難し、協議の結果、本日の観光は終了とする決定がなされた。
「変装して行くか」
「あの様子じゃ、みんなハリード様にすぐ気づくわよ」
王族の家系に生まれた男は、王家の姫君と恋仲にあった。
既に軍師として支持を得ていた人物がいつか、国のそれなりのポストへ就き民衆を導く未来を、彼らは心待ちにしていた。…らしい。
それが今や、野放しの傭兵。
「リトル・ナジュの区長さんにでも就任したら?農業に関してはあたしが助言をしてあげる」

過去の身分も、現在の旅暮らしも。
顔を見れば変わらず声をかけてくれる古い知人がいて、農家に生まれ育った女性との気ままな日常が過ぎゆく。
単に年を食って思考が鈍っただけだろうか?
風のようにさらさらと流れる時間を、今は、悪くは思わない。

「そうだな。ちょうどこのあたりが、俺とお前の故郷を線で結んで、真ん中あたりか。いい話じゃないか」
「そ、そういう意味じゃないのよ!あんたはボーッとしてて、心配だから…」
あまり云い訳になっておらず、しかもエレンはなにやら慌てて、買い物袋から買ったばかりのポーチを落としてみたり。
「武人の血に洗われたやんちゃ坊主が悪さをして手を焼くぜ、きっと」
「だから、違うってば…」
絶妙なお年頃の娘の、絶妙な感情のこもった眼差し。
その美貌でなら貰い手からは引く手あまた、といったところだが。



王族の家系に生まれ、軍を率いた“猛将トルネード”。それが今や、野放しの傭兵。
なおかつ、田舎育ちの娘の気をひこうと躍起になっているのだから、その娘を連れて区長だかなんだかの位置に就いたとて、
さすがにあの頃のように持ち上げてはいただけなさそうだ。
それでも、今は…。
「でも、…あたし、ついてくから」
髪飾りに彩られた横顔がそうこぼすのを、しかと心に留めて、窓のむこうの空へ微笑を逃がした。



END

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