Stars in your hair

エレンがずっと手放さないでいる、円盤型の道具。
銅板に、細かな点と点、それらを線で結んだような図、そして文字がばらばらな向きに刻まれている。
重ね合わせてあるのは薄く磨かれた硝子板で、その中心よりずれた位置には円形のレンズが浮き彫りにされていた。
「古い時代の頃には、ロマンチストが多かったのよ」
「暇だっただけだろ」
「あんたみたいないくさバカには無縁ね!」

これは『星見盤』と名のつくものだ。
夜空に瞬く星々の位置は季節ごとに移ろってゆくが、硝子板の青いマークを任意の日付時刻に合わせれば、レンズ内にそのときの夜空の星があらわれる仕組みになっている。
銅板に刻まれている点や線は星座を示すもの。
アストロラーベという古くからの天体観測機器を元に、星の観測に特化(簡素化)して作られた、近ごろ話題の道具である。

二人が歩くのは北方の街ランス。じめじめとした雨季がなく、ようは涼みにやって来たわけ。
特に砂漠地帯出身のハリードは湿度の高いのを嫌うため、さっぱりとした風を浴びながら歩調は軽快。“いくさバカ”という珍妙な貶され方をしてもお構いなし、余裕の鼻唄。
「ヨハンネスの奴、まさかお前みたいなのを気に入ったんじゃないだろうな」
「あら、お嫁にいったら玉の輿だわ。考えておかなくちゃ」
エレンが青空に掲げる『星見盤』、たいそう手が込んでいて生産数が少なく、4500オーラムと超高価。安い鎧なら何領か買える。
これを何とタダでエレンに譲ってくださったのが、天文学者ヨハンネスだった。

彼は長年、天体観測に基づいた研究を重ねていた。“ヨハンネスは夜空と間違えて、大地の砂粒を観測している”などと揶揄されるほど、それは独自なものであったそう。
ところがその研究はまったく正しく、“天才ヨハンネスが世紀の大発見をした!”と世間が掌を返したのは、年の暮れのこと。
それまでの著書が飛ぶように売れ出し、講演の依頼がひっきりなしで、パトロンも新たについて、現在とても忙しくしていると話してくれた。
「そういえば、相変わらず妹のアンナさんがお世話をしてたわね。弟子とか、お手伝いさんとか雇えばいいのに」
「あの兄妹は、あれでいいんだろう」
二人はそれよりももっと以前からの顔見知りで、単に挨拶をしに伺っただけだ。
そこで星座の話をエレンが持ちかけた時、『星見盤』を取り出して一通り解説。そのまま簡単にくれたのである。
「お金持ちだから譲ってくれたんじゃなくて、お金のことがどうでもいいだけみたいね」
「相変わらず寝間着姿だったしな」
エレンもハリードもそれぞれご機嫌で、日暮れまで談笑しながらランスの街を散策したのだった。



とにかく、夜が待ち遠しかった。ひとまずは星見盤を今日の日付時刻に合わせ、確かめてみたかったから。
いそいそとハリードの寝室へやって来て、窓際へ無理矢理つれていく。
エレンがこうしてはしゃぐのは目に見えていたので、ハリードは云いなりになるだけでなく、盤の文字が読めるよう、オイルランプを側に持ってきてやるのだ。
両開きの戸を開け放つと見事に雲ひとつなく、まるで夜空のほうがエレンを待ち構えていたのではないかというほど。
「夜になると、ちょっと寒いくらいだわ」
ブランケットもきっちり準備していたハリード。まずは自分の肩に掛けてから、エレンの体を引き寄せるようにして、二人で一枚を共有させた。
「寒くないくせに!」
「寒い寒い」
「ま、いいけど」
既に今日の日付に合わせてあったのを、エレンが時計を横目に時刻の設定をして、いよいよ夜空へ翳す。
二人で覗き込んで、夜空とを見比べた。
「…あ、これ、あの赤い星?」
「だな」
「わぁ…、すごい!この三角形も、ぴったりね」
銅板が示す星のありかは、見上げる夜空と見事に一致。評判の通りに精度は抜群だ。
それはこの道具を造っている職人の手腕によると云えるが、『星を読むための道具』というロマンチシズムは確かに、人の心を掴む。
「そういえばもうじき、星の河が見えるころだわ」
「星の河か…。確かこの近辺では光の道と呼ばれているぞ」
そう聞いたエレンは、この近辺…ランス北西の村で造られている星見盤の日付を少しずつ進めていった。
「北の方面は比較的、はっきりと星が見えるだろう。星の集団の密度が高いんだ。それで河よりも道に喩えられたそうだ」
「ほんと、光の道って書いてある」
「云ったろ?昔の人間は暇だったんだよ。河だの道だの、寝転んで星を数えてばかりだったわけだ」
「いい話をしてくれたかと思ったらそれなの?」

星見盤は、ちょうど一週間後に見られる“光の道”を示したまま。
夜空から目を離すのが惜しかったか、或いは眼精疲労からかエレンはこの場で眠ってしまい、ハリードの胸の上に心地よい加重がかかる。
音を立てぬように窓を閉めた。
星見盤のガラスについた指紋の跡をブランケットで拭って、しばらく寝息に聴き入ったあと、一緒に眠ることとした。






“星の河”“光の道”という違いこそあれど、“引き剥がされた恋人同士が年一度だけの逢瀬を赦された日”というストーリーは共通していた。
星の集団に隔てられた二つの星がそれぞれ男と女に見立てられているのだ。ちなみにエレンの生まれ育った近辺では“姫君と牛飼い”とされている。
「ハリード、あたし訊くのを忘れてたわ。砂漠では星の集団をなんて呼ぶの?」
「お、やっとその質問がきたか」
光の道が見られる今日、夜も晴れると聞いて一安心したエレンがふと浮かべた疑問に、ハリードが飛び乗った。
「砂漠では何より月を重んじるために、神話には『月の女神』がたびたび登場する。
 あの星の集団は女神の腰帯でな、年に一度だけ、腰帯をたなびかせた女神が姿を現す日ということになっている」
「へえーっ。それじゃあ、二つの星はお姫様と牛飼いじゃないの?」
「腰に提げた曲刀の飾りとか、指輪とか云われているが、そんなに重要ではない」
「全然違うのね。面白いわ」
「よし。これで今回の解説者の役目は終わりだ」
「あははっ!なんだ、云いたくてしょうがなかったんじゃない」
一週間をどう過ごしたかというと、はっきり答えられるような出来事もなかったが、何となくリズムよく時間が経過した印象。
それはエレンが毎夜、星見盤を手にして夜空を眺めるひとときを設けていたからだろう。
「解説者の役目は終わったらしいけど、今夜もオイルランプとブランケットを用意してくれなくちゃだめよ」
「そっちの役目か」
ハリードは苦笑をして『しょうがない』というニュアンスを含ませた。本心を隠そうとするためのリアクションだった。
また一週間前のように腕の中で眠りこけてくれるのを望んでいる…などと、口走るはずもない。

客室で夕食を済ませて、先ほどの『役目』の話の流れから雑用係に身を落としていたハリードが、ティーを淹れる後姿。
テーブルにつくエレンの瞳が何やら要求を出すが、当然分かっているといわんばかりに、トレーには砂糖とミルクも一緒に載せた。
「ありがとう、お手伝いさん」
「云っておくが時給は相当高いぜ」
「ふふっ。値切り交渉は得意よ」
いつの間に購入していたのか、エレンは星見盤専用の真新しい革のポーチを取り出した。こうなればハリードは雑用を続けるほかなく、彼女の分のミルクティーを作り始める。
「外で見たほうが絶対いいとは思うの」
こうしてミルクティーやカフェオレを作ってやる事はたまにあって、その度に角砂糖が融け切っていないと文句が飛んでくるのを思い出して、ハリードは固形物の感覚がなくなるまで念入りにマドラーを動かしていた。
「でもこの前みたいに、眠っちゃうまで、見ていたいな、って…」
「………」
ハリードが一瞬だけ手を止めたが、星見盤に見入るエレンは気づかないでいる。









ブランケットを掛けた腕でエレンを引き寄せたとき、彼女には分からないように、頭の上で結わえている髪にそっと口づけた。
「…今夜はこれ、いらないかも」
星見盤はテーブルの上へ。夜空へ吸い寄せられていた瞳がハリードを見上げて細まる。
「あの星の集団を一つ一つ見比べるのはさすがにな」
「そうそう」
“光の道”はとても眩く、更に星見盤を使わないというので、準備していたオイルランプには火は入らなかった。
お陰で夜空を見やすくなり、エレンは星見盤をポーチへ仕舞いながらも、身を乗り出している。
「今ごろ、砂漠には月の女神様が降り立ってるのね」
「ああ」
「女神様は、何をしに降りてくるの?」
「ハマール湖の水で、足についた砂を洗い落とすためだと」
「じゃあ、周りの星は落とした砂かしら」
「ほー、そういう解釈もありか…」
星々は緻密に輝度や色を変え、何度まばたきをしても、いつまでも飽きさせない。
エレンに至っては、あれだけ夢中になっていた星見盤のことを、今のこの瞬間は忘れているのではないだろうか?

街外れの高台で光の道を見るイベントが催行されているが、街人も皆参加しているのか、息を吸う音すら耳につくほどの静寂。
「お姫様と牛飼いは、無事に逢えたかな…」
その静寂に於いても、二人の距離でなければ聴き取れない、エレンの声。
ハリードがまた、髪に口づけるようにして接近する。
「年に一度なら、何がなんでも逢いに行くさ」
囁く声がこめかみにキスをする。
「あたしに云ってくれてるみたいね」
「…ん?」

隣で体温を感じること、寄り添って鼓動に触れること。
やがて、手と手を重ね合わせ、夜風に冷えた指先を絡めて、微睡みに近づいてゆく。



明るい夜空は、時刻を知らせるのには不向きだった。
もちろん首を回せば時計が目に入るが時刻を知ろうともしなかったし、いつまででも続くのなら委ねていたかった。
「………」
男の胸に、擦り寄るようにして、気を引く。
「なんだ?」
「…もし、あたしと年に一度しか逢えないとしたら…、ハリードは、どうする?」
睡魔の仕業だろうか、水分を湛えてゆっくりと瞬く瞳。
これは、彼女の期待する… 『何がなんでも逢いに行く』以上の台詞を捧げなくてはならないのだろう。
結わえている髪に唇を埋めて微笑って、
逞しい腕が、女の腰のくびれを引っかけて抱き寄せた。ブランケットが床に滑り落ちる。

「364日もあるんなら、お前の居場所を突き止めて、さらってやる」





そのあとの言葉はなく、一度きり、唇に触れるキスをして、
エレンはまた、ハリードの胸で眠りにおちた。
窓は夜空に向けて開いたままに。
夜風に流れるエレンの前髪を、星の光が透かす、そのさまが綺麗だったから。



END

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