armored- brood/bleed

雄叫び、血の匂い、金属の擦れる音。

鎧のプレートが一枚でも剥がれ落ちようものなら、刺突攻撃の餌食となり。
自らを鼓舞せんとするあまり半狂乱に達した者は、指を一本斬り落とされても気付けないのだろう。

剣がひと振り、地面に転がっている。それはつまり前線の兵士が一人、命を落としたということ。
恐怖や興奮で暴れ出す馬に蹴り殺されるという、無様な最期を遂げるケースもある。


ハリードの眼前に、どこにでもある出来事だけが積み重ねられてゆく。
そう、傭兵仕事を生業としている彼にとって、いつもの光景…、
まして昔からこんな場所にしか、自身の存在意義を見出せなかったから。

“猛将トルネード”
かつて亡国ゲッシアの兵を若くして率いていたハリードには、戦場で舞う曲刀の太刀筋になぞらえ、そんな渾名が与えられていた。
それは世に轟く程のもので、今回の戦で傭兵として雇われる際、指揮官の立場に…と、懇願されてしまったのだ。
更には桁の違う報酬を提示されたが、しかし、ハリードは辞退。
一介の傭兵が、数千の兵の運命を担うべきでないと。

血が騒ぐ、そんな気がするのも確かだ。
『存在意義』の話をすれば、戦士として生きた彼にとって、意義とやらを感ずるには最も適した立場。
少し前なら引き受けていただろうかと、ハリードは包帯に滲む血の色を見つめる。

指揮官の重責を意気に変えて戦い続けた。
その合間、戦場に立つ己に対し『存在意義』を問うては、答をこじ付けた。
国を失えば、とうとう、この肉体と魂の在処を見失いそうになって、
最期の場所を求め彷徨っていた。





エレンの鼻唄が、深い考えに落ちる頭の隙へするりと入り込んできた。
確か…不遇を強いられ続けた少女が国の王子に見初められ、お姫様として幸せになった…、そんなお伽話の歌。
たまたま浮かんだメロディなのだろうが、昨日まで戦地にいたことと不釣合いで、苦笑を誘われる。
「今日はお酒が飲めない分、食事を奮発しなきゃね、ハリード」
「酒も2口3口ならいいだろう」
宿の客室に漂う、消毒液と塗り薬の臭い。良いものではないがふたりは慣れきっている。
「ダメよ!あたしよりも重傷なんだから」
ハリードは不運にも、開戦すぐに馬の脚を矢で射られ、生身で騎兵部隊に突っ込むはめになってしまった。
馬上から振ってくるスピアの雨。さすがに堪えた。
「不自由だが、俺にはこれしか能がないからな」
「せっかく報酬がよかったのに、いいお酒が飲めないなんて、ハリードにはつらいわね」
その笑顔もまた、戦場の苛烈さとは不釣合いだった。


飲食店を求め歩く途中、顔中ピアスだらけの大男に、頭から爪先までをじっくり品定めされてしまったエレン。
包帯だらけのハリードも男と目が合い、じっと見合いながらすれ違った。
ちょっかいを出して来なかったのは、隣にハリードがいたお陰…だろうか?
傍目にはあちらの方が優勢のようだったが。
「くっくっく。危なかったぜ」
「あたしがふっとばすから安心して」
軍の指揮を依頼された場に、エレンも居合わせた。
それ以降、感情を揺るがされているのを、彼女は気づいているようだ。
前をせかせか歩いて、ここ美味しそう!と店を決定。
頼もしいエレンの背中について歩きながら、この店で食事を終えれば全部忘れてしまえそうな期待を抱いた。
ところが…

「こんばんは…って、あら?」
「あぁん?お客さんかァ!?」
店内の活気、かと思ったらそうではなくて、騒ぎが起こっているらしかった。
床に倒れている男を蹴飛ばして、恐らく…いや間違いなく店主ではない人物が、ふたりの前へやってくる。
「ここの料理よお、虫が入ってんだよ」
「へえ。それで?」
「お嬢ちゃんは食うのか〜?ガッハッハ!」
「挨拶もなしにベラベラ喋ってるけど、邪魔だよ」
酒臭いのもあるし、直前まで暴れ回っていたのか、紅潮している男の顔。
エレンの一言で、更にカッと赤みを増した。
「お嬢ちゃん寝ボケてんだろ?目ェ醒ませよ!!!」
刺青だらけの腕がエレン目がけて振り下ろされるが、虚しく空を切る。
男は腹に受けた衝撃にうずくまった。

「仲間はあと何人?」

指の関節を鳴らして口の端を吊り上げるエレン。迫力満点だ。
「女、奥に連れ込むか!」
「オラァ!!」
残りの2人が返事をしてくれた。
入店した時倒れていたのは、虫入り料理を運んだウエイターと、謝罪を要求されて出て来た店主なんだろうな…、
エレンはそんなことを考えながら、間合いをとり、呼吸を最適なタイミングに。
「ぐぁっ!」
足払いで倒れ込んだ男が、背後の椅子でまともに背中を打つ。
「ゲ…カハッ…」
呼吸ができなくなって這いつくばっているが、ここまでを狙っての一撃かどうかはハリードにも判らなかった。
もう1人は、無駄にエレンの肉体に触れようとする。服を剥がしてやろうというところだろう。
そんな動きをするならむしろエレンに好都合だ。
「チィッ!」
初めに腹を殴られた男も加わってきて、エレンは1対3の仕合へ。

「あの、だ、大丈夫なんでしょうか?」
ひょろひょろした青年が、慌てた様子でハリードに縋ってくる。
「昨日まではもっと大勢の相手と戦っていたからな、大丈夫じゃないか」
「あの、じゃ、じゃあ、保安部に通報してきます!」
「頼んだぜ」
体術には流派がある。
エレンの遣うのは、喧嘩殺法…か。彼女がどなたかに師事した経験はない。
それでもこの喧嘩殺法、どんな流派よりも実践的なのだから、侮り難し。
椅子もテーブルも武器になり盾になる。


男が3人とも動けなくなったところで、ひとときの静寂がやってきた。
それを破るのはエレンの鋭い呼気。
店内に十数人の客がいたが、逃げるな、とか通報するな、とか脅されていたのだろう。
カウンターの裏やテーブルの下に隠れていた者たちが顔を出してきた。
ハリードは、荒れ放題の店内でウエイターを見つけて手招き。
「せっかくお邪魔したことだし、何かいただこうか。先に水だけ頼む」
「は、はいっ」
格闘の最中、一人が懐から取り出したナイフがエレンの腕を掠めていた。
ウエイターがわざわざ小走りで持って来てくれたグラスの水を紙ナプキンに染み込ませ、エレンへ手渡した。




女は子を育て家庭を守るものだという慣習、顔や体に傷をつけてはならない、単に男性と比較して身体能力が劣っているから、
理由は様々あるが、女性が格闘をしたり、まして傭兵として戦に出るようなことは、一般的でない。
エレンにそのような常識は通用せず、田舎の村でのびのびと過ごしながら、馬術と格闘を習得。
やがて旅へ出れば、傭兵稼業で路銀を稼ぐ身分に。

ハリードは王族育ちでそれなりの躾を施され、軍には規律があって、それを遵守する義務をも負っていた。
その上で指揮官の役割に就き、死に物狂いになって、存在意義などという不可視なものに縋った。
やがて出逢った、このエレン。
彼女はただ武術が好きなだけだし、時には今日のように正義感を満たすため動いたりだとか、とにかく奔放だ。

今は、世を流れる剣士でしかない。この身分に落ち着いていたい。
エレンに倣っていれば、そうやって生きていける気がする。




先ほどの青年が、保安部の人間を連れて戻って来た。
エレンに倒された男どもが懲りずにわあわあと喚き出して、店内がまた騒々しくなってしまう。
その上、怪我人がいるというので医者も呼び寄せられており、人だらけだ。
「加勢してやれず、すまなかった」
「加勢する気があったの?」
「ない」
医者に傷薬とガーゼを分けていただいて、エレンは腕の切り傷を簡単に処置。
その間、何人かの客が礼を云いにやってきた。
にこやかに応対するのを、ハリードは黙って眺めている。
「もちろん、ハリードがその怪我で加勢に出てこられるほうが困るけど」
得意顔のままのエレンが椅子につこうとしたところへ、ふっと接近した。

騒ぎのお陰でいくらか注目を浴びていたふたりのキス。
「おおー」とか「うわぁ♥」とか、店内がまた別のどよめきに包まれる。
メニュー表を持参したウエイターは、ふたりの横で立ち止まっていた。
「ちょっと…」
「さすが、俺の女だ」
「はぁっ!!?」
ハリードが一方的にエレンへの感謝や尊敬を籠めたキスだったが、そんなことは云われなくては(云われても?)分からない。
ひどい怪我に加えて深い考え事をしている様子だったから、気を遣っていたのに…というような、エレンの表情である。
「今から食事なのに居づらくなっちゃうじゃない!」
「うーん、今の俺は肉よりボイルした野菜を求めている…」
「こいつっ!」
げんこつを振り上げる仕種をされて、大げさに避ける。
「おい、俺は大怪我なんだぞ」

指揮官の立場を任されたなら、自分の足しになることがあるだろうか?
もはや、まともに悩むことは馬鹿らしい。
「例の話、引き受けておけばよかったな。報酬の桁が違う上、馬をやられてこんな怪我をせずに済んだ」
「今度またお願いされたらやってみてよ。しばらく高級コテージでリゾートするから」
エレンが喜ぶならやってみても…?
そのような理由では尚のこと、一介の傭兵が、数千の兵の運命を担うべきでない。
「負けたら大変だ」



END

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