国王不在という事態に陥ってから数年、未だメッサーナ王宮の玉座は“空席”の状態である。
アルバートの後継へと期待を集めていたクレメンスが暗殺されたのち、リブロフ近衛隊長を辞してピドナへ進出したルートヴィッヒが、そこへつくものと思われていたが…
クレメンス暗殺の咎で処刑されたのは神王教団の過激派メンバーであった。
リブロフ時代から、神王教団と友好関係に在ったルートヴィッヒ。クレメンスがピドナでの教団の活動を禁じていたこと。
ピドナ市民の間でも囁かれる、彼への“疑惑”…
市民の反発、暴動への発展…などを恐れているらしく、ルートヴィッヒはピドナ近衛隊長の肩書きのままなのだ。


「今になって云うことではないが、俺がここへ来るのはまずかったか」
ゲッシア王朝の在った時代、ハリードは王族の戦士としてゲッシア軍に紛れ、リブロフ近衛隊と連携しての戦も経験した。
ルートヴィッヒとはかつて、義兄弟の契りも交わした仲であった。
「案ずるな。あの男がリブロフにいたころのすべてを切り捨ててピドナへ来たと、誰もが知っている」
しかし、神王教団軍によって、ハリードの故郷は滅亡させられた。
仲違い、などという表現では足りない。
再び顔を見るようなことがあれば、武器を交わし、どちらかの命が削られることとなるはずだ。
実はシャールはそのあたりの出来事についても耳に挟んでいる。
「個人的にだが、そうして権力を掌握することを断罪はしない。権力者とは往々にしてそのようなものだ」
「よくできた人物だな、あんたは」
「私はそうなりたくはないが」
2人の男にとって、これらは過去の関わりだ。
それぞれの平穏な暮らしを象徴するかのような、女性陣の談笑する声が、風に乗ってやってくる。

この2人は館の裏口のそばで、女性陣の後ろ姿を見守るように立っている。
話している声はあちらには聞こえないはずで、構わず別の話題へ移った。
「この内庭は私が武術の鍛練を行う場所であったのだが、ミューズ様のご希望でこうなってしまった」
「はっはっは」
何やら、共通の話題が他にもありそうだ。
「俺もかつては目上の女性の護衛役をしていた。難しさは分かるぜ」
「そうだったのか」
「申し出を無下にもできず、かといって諫めなくてはならない場面もある」
「おおむねその通りだ」






ふたりのお客は仕事をした礼にと、浴室を使用させていただいた上、夕食までご馳走になった。
その過程においても令嬢と術戦士の関係性は、愉快なものである。
「ミューズ様、お疲れでしょう。私が」
「いいえシャール。ようやくハリード様とエレン様とでお話のできる時間になったのですから、貴方は座っていて。
 それから、ティーをお持ちしますから、少しばかりお待ちくださるかしら」
ミューズはワゴンに4人分の食器を載せ、笑顔でキッチンへ。
「ミューズ様は本当に体が弱かったの?」
「ああ。つい数年前までは床についたきりで、薬も欠かせないし、それでも頻繁に体調を崩されていた」
「畑仕事はいい運動になるし、陽の光を浴びられるから、これからもっと元気になれるんじゃないかしら」
ハリードとの雑談の通り、シャールは部下としての振る舞い方に、難しさをおぼえている。
しかもそれは生来病弱であったミューズの回復という、喜ばしいことに伴うものであり、尚更、彼を悩ませる。

大きな要因が一つあった。腱を切断された右腕だ。
ミューズはいつも、何も云わず、これを気遣う。
館の仕事を彼女が率先して行うのなら、むしろ自分の存在が枷となるのではないか。

「シャール」
ハリードの声で我に返る。
どうやら、悩み事の内容を見抜かれていたらしい。
「食器の片付けくらいはお任せして、あんたは男として女を護ってやるぐらいの気構えでいいんじゃないか」
「女性である以前に、私が部下としてついている御方なのだ」
「あんたは真面目すぎるんだ。この館を頻繁にモンスターが襲撃してくるわけでもあるまい?」

ミューズの言動は尊重してやらねばと考えている。
そうなれば、もしかすると、これまで保ってきたものが崩れて行ってしまう…



「お待たせいたしました」
ミューズを出迎えたエレンは、昼間にいただいた紅茶と香りが違うことを文字通り嗅ぎ付け、話を始めた。
独自に茶の葉を混ぜたものだと解説をするミューズは、今日の日はずっと、弾むような声だ。
「俺とあんたには、ティーカップの取っ手が小さく取扱いにくくできている」
「確かに、本体を持つほうが安全だな」
大柄な2人には小さくとも、ミューズの細い指はカップの取っ手を繊細に取り…
ハリードの前のカップは取っ手を右側に、シャールのものは、左側に。
「ハリード様、今日は本当にありがとうございました」
「とんでもない。却って世話をしていただいた」
「シャールも、今日は私の我儘に付き合ってくれて、ありがとう」

感謝の言葉を賜ることも、上手く遣えない右腕に配慮していただくことも、ただ恐縮しきりだった。
そうさせぬようにと遮ってしまう場面の方が多かったかも知れない。

シャールは静かに思考を漂わせ、これを崩して行ってみようかと、答を導き出した。
左腕をカップに伸ばし、微笑んだ。


「男の仕事です、ミューズ様」



END

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