雄偉なる兵は色を好まず

エレンは視力がいい。健康な成人よりも遥かに。
それは田舎育ちだからなのか、読書や裁縫をしないからなのか、生まれつきか。
その眼が、遠方の岩場に発見したものは…。
「ハリード!あれ、ロアーヌの紋章よね?」
岩場周辺にテントやフラッグが集まっているのは見えた。国の軍隊であることもハリードには分かるが。
「軍事演習かしら?」
「そこまで見えるのか、お前には…」
「おっさんの視力が落ちてるんでしょ」
ハリードも読書などはあまりせず、健康な成人の標準程度である。
どれだけ目を凝らしてもロアーヌの紋章を確認することはできなかったが、エレンの視力を信用した。
何より彼女にとってロアーヌ侯爵ミカエルは領主様なのだ。
「よし。ミカエル候に差し入れでも献上しに行くか」
ここはメッサーナ北部。二人はスタンレーから陸路にて北方を目指す予定で、街を出たばかりだ。
ロアーヌ軍が駐留しているのは南の方角。
「軍事演習の真っ最中に、一般人が訪ねて行っていいものなの?」
「本物の戦とは違うぜ。気楽なものだ」
冗談だと思っていたエレンだが、ハリードには本当にそのつもりがあると勘づき始める。
「ミカエル様に会いたいの?」
「そうだな〜、ま、普段は王宮の警備も厳しいし、こんな機会でなきゃ会わんからな」
「怒られても知らないわよ」
何だかんだ云いながら、ふたりは結局、予定と逆の方角へ足を向けることに。


軍事演習が行われた草原。
軍のテントの群れに割り込む一般人に、当然、視線が集中。びびり倒すエレンだが。
「おお!貴方はもしや!」
ざわめきの中から、数人の兵が接近してきた。
「ハリード殿!如何なされたのだ、こんな場所で」
何だか美味しそうな匂いもしている。ハリードの云った通りに気楽そうだ。
「ロアーヌ紋章を見つけてな、試しに近寄ってみたんだ」
「そうでしたか、いやあ、またお会いできるとは」
「あれからまた各地を転々とされていたのか?」
「ああ」
数年前、ロアーヌ侯国に仕えていた男爵による反乱が起きた。
ふたりはこの騒動に偶然巻き込まれてしまった。特にハリードは途中で軍に加わり、ミカエルに代わって指揮を執ったのだ。
ハリードが自信満々に宿営地を訪ねたのはこれが大きい。
「あの後、殿下が貴方の腕を欲しておられましたぞ」
「実際、申し出は受けたんだが」
「勿体無いことだ、貴方ほどの人物が世を流れる身とは」
鎧を取った兵士の軍服には、階級を示すエポーレット(肩章)。
確かこのふさふさした飾りは、軍の中でも偉い人だったはず…と、エレンなりに判断。
「おい、エレン」
小さくなっていたエレンだが、ハリードに肩を抱かれ、無理やり前へ押し出された。
「俺の連れだ。危害は与えないから安心してくれ」
「勿論だとも。ここにはもてなしの品も設備もないが、歓迎いたすぞ」
「あ、ありがとうございます…」
「なるほど、我々だけでなく女性もハリード殿を放っては置かぬか、ハッハッハ」

そんな和やかな空気(エレン除く)が引き締まるのは、夕闇に映えるブロンドの長髪の持ち主が現れたためだ。
この騒ぎでテントから誘い出されてしまったようだが、ハリードに気づくと、ミカエルは笑顔を見せた。
「賑やかだと思えば、久しいことだな、トルネードよ」
「突然伺ってすまない」
「構わぬ。会いたかったぞ」
握手を交わすハリードが何だか威厳に満ち溢れて見えるのは、ミカエル様の威厳による錯覚に違いない…と、エレンなりに断定。
そうして1歩、2歩後ずさり、一国の主と名高き剣士との懇談の一時からは外れようとした。
「えー、こいつは…」
「いい!いいってば!!」
先ほどのようにハリードは連れを紹介しようとするので、固辞。
「却って無礼だぞ、バカ」
「…すみません…」
例の反乱騒ぎでどうのこうの、とハリードがエレンのことを説明。
何となくこんな奴がいたような気はするな〜というミカエルの表情を、エレンは直視できなかった。
「そうだったな。改めて礼を云おう」
「こここ、光栄です…」

ロアーヌと周辺地域の情勢、モンスター軍の動向…、エレンにはよく分からない会話が交わされている。
領主の前だから一応、両手を前に組み、背筋を伸ばして立っていたが、その内容は右耳から左耳へ。
これを察してくださったのか、ひとりの兵士がエレンの視界の隅で合図をし、呼び寄せた。
「おやつがあるんだ。食べて行きなよ」
「わぁ、ありがとう!」
スライスしたバケットを焚火でカリカリに焼いて、上にクリームポテトを乗せたものだ。
バジルを振りかけてあって、なかなか手が込んでいる。軍事演習ならではの品なのだろう。
「おいしい♪」
「もう少し待っていただければチキンも焼けるんだけど」
「ちょっと迷っちゃうわね」
このテント前にいるのは、エポーレットを見る限り階級は高くなさそうな青年たち。エレンも少し気が軽い。
「あのトルネードが旅の相棒に選んだということは、お嬢さんも腕が立つんだろうな」
「お前なぁ、女性をお連れになる理由はそれだけじゃないに決まってるだろ」
しかし、男女の組み合わせはどうしても、人の興味をその方向へ向かわせてしまう。
あたしは強いのよ!と云うわけにも、あたしは恋人よ!と云うわけにもいかず、エレンはやはり小さくならざるを得なかった。



「要らぬ世話だとは思うが、世継ぎの方はどうなんだ?」
ハリードのそばへ戻ると、ちょうどエレンにも分かるような話題に移っていて、今度は聞き耳を立てた。
そろそろ三十路に突入する侯爵殿下だが、嫁取りの話は聞かれない。
「ハリード、お前ならロアーヌに代々伝わる聖王遺物を知っているだろう」
「侯爵の妻が持つんだったな」
兵士たちが調理をしたり、武具や馬に掛かったり、そんな中での立ち話。ミカエルは構わずに続ける。
「その短剣は父によってモニカの侍女に託されていた。これが父の遺志なのではと考えている」
「ほう」
「ロアーヌの繁栄のため、世継ぎがなくてはならぬと、モニカも近ごろ口うるさいからな。直にな」
「姫様も自分が嫁に行く前にと思うだろう」
領主と、顔の判らないお后様のパレードの光景。
それはとても華やかで、エレンの表情が和らぐ。
「お前はどうなのだ。妻子を持とうとは考えておらんのか」
「俺はなぁ」
「その武人の血を途絶えさせてしまうには惜しい」
「ただの流れ者の俺に寄りつく女はろくでもないぜ」
ここでミカエルの視線がエレンに向いた。
ふっ、と微笑うとハリードに向き直る。
「良い仲なのではないのか?」
「!?」
「さあ、どうだろうな」
「そうでなければお前が女性を伴うとは思えんが」
エレンは反論や云い訳をしたかったが、相手は領主様。
なおかつ厳密には話し相手はハリードである。
そのハリードが上手くかわしてくれるのを期待したいが、こんな時は調子に乗る男だった。
「だってよ、エレン」
「な、なんであたしに聞くの!」
「心当たりはあるだろ、お前」
「あたしに心当たりってどういう意味っ!?」
緊張と恥ずかしさが交じり合って、普段の強い語調が飛び出してしまった。


ミカエルが喉の奥で押し殺した笑いを洩らす。
我に返ったエレン、時すでに遅し。

「お前たちがもしロアーヌに住まうのならば、館を一棟用意させよう」

“一棟”
流石はミカエル様、こんなウィットに富んだ切り返しまで会得しておられて…。





その後もハリードは楽しげにミカエルと言葉を交わしていたが、エレンはその内容を覚えてはいなかった。
まさか領主にからかわれるとは思っておらず、参り果てていたからだ。
「ロアーヌに住むか?」
「バカ!!!」
食事も勧めてくださったが、遠慮して宿営地を後に。
すっかり暗くなってしまったため、本来の目的地を諦めて、ここから近いピドナへ向かっている。
「確かにカムシーンの継承者は必要なんだ。娶るならお前のように腕の立つ女が望ましい」
「………」
「うそだ」
「…こいつ…」
「お前はまずオシベとメシベのところから教育を受けなくてはな」
「叩っ斬るわよ!!!!!」



END

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