ピドナの港で、サラが涙を見せた。
「ほんと、泣き虫なんだから」
「だって…」
サラは目覚めた時と同じように、エレンの胸に潜り込んで、瞳を閉じた。
温もりを身体に刻みつけるように、少し呼吸を止めて、きつく抱きしめ合った。
「お姉ちゃん、大好き」
「あたしもよ、サラ」

エレンとハリードは知人の顔を見るため北方、ひとまずはツヴァイクへ。
サラと少年は、リブロフへ。
「狭い世界だ。そのうちどこかでばったり出くわすぜ」
「その時は声をかけますね、ハリードさん」
「ああ。飯くらいなら奢ってやろう」
積荷を下ろし終えて、リブロフへ行く船に客が乗り込み始める。
「もう、時間だわ。サラ」
エレンから身を剥がしたサラの背中に、少年が腕を添える。
彼もサラと同様、随分と大人びて見えるものだ。

「お姉ちゃん…、またね」
「エレンさん、ハリードさん、本当にありがとうございました」
出逢いと別れを繰り返す、旅の合間の、よくある一場面。
「ハリード、お姉ちゃんを泣かせないでね」
「おう、大丈夫だ。多分」
「…サラ、一言多いわ」
「えへへ」

以前と同じ、活気に溢れる港。
その人混みに2人の後姿が紛れて。












ピドナの港は世界最大の規模だ。様々な顔立ち、様々な恰好の人間が行き交う。
旅人、船員、詩人、ピドナ土産を売り歩く商人…
「俺、アビスで1回死んだな」
「死んだわね。あたしも死んだわ」
喧騒に負けて誰の耳にも入らないのをいいことに、異世界での出来事を茶化しだした。
「これが本当の命懸けだ」
「うまくはないわね」
「何?」
何でも笑い話にするのが得意なふたりである。
そこへ、ツヴァイクからの船が到着した。
「ハリード、地獄行きの船が来たわ」
「よし、俺も付き合うぞ」
「懲りてないじゃない」

結局、世界がどう変わったのか、東で議論された内容も結論も、ふたりは耳に入れぬまま。
何か重大なものを背負っていた憶えはあるが、遠いところへ置いてきた。
元の通り、ふたりで旅をして暮らす日常。



西へ戻ってからはよく晴れて、甲板の上にいると暑いくらいだ。
水飛沫を乗せた潮風は心地好く、エレンはこれを気持ちよさそうに浴びている。
「エレン」
ハリードは真剣な眼差しをして、その横顔を見た。
「なに?」
どこへも行くなと、引き留めたかった、やっと、取り戻した瞳。そこに差す陽光。
このままずっと、そばにいてくれるようにと、
闘いの幕引きの後、想いを告げる覚悟をしていたはずだったが…。

「あたしの顔に何かついてる?」
好きだとか、愛しているとか、とても自分の口が発する台詞ではないと考え始める。
「うーん」
「なによ、呼んでおいて!」
まして、城下町から城下町へ向かう船の上は、人で溢れている。
せめてふたりきりの場面でなくては…。
それらしき結論に逃げたハリードは、思ってもいない話題を持ち出す。
「お前を横取りしたのを、サラに謝っておくのを忘れたな、と」
「どっちに取られた覚えもないわっ」
ついつい、話題を逸らしてしまったが最後、ハリードは自分の胸の奥で何かがぽきりと折れる音を聴いた。
また今度だ。
「サラの注文はカサブランカだったな…」
投げやりになってそう発言すると、頬を赤くしてむくれるエレンの顔。
「本当にあたしをサラに返そうっていうの?」
「いいんだ…。無理はするな」
「逆に訊くけど、あたしと一緒がイヤなの!?」
この男には、女心がよくわからない。















後の世で、分厚い書物に記される、彼らの生きたあかし。
聖王記読みが奏でる、彼らの横顔。


人々が彼らに目を向けるのは、そうしたアイテムが出揃ってからの話だ。






今は誰も知らない、

ふたりの旅人。



END

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