人間界に在る海底宮、それと通ずる造りをした、静かなる王宮。
足下には透明な水が張られて揺れているのだが、実体を持たず、触れても体や衣服を濡らすことはない。

丘のように小高い、玉座までの階段。
5人がその最上段にて出会した後ろ姿。
「人間がアビスへ来るとは思わなかったな」
振り向いたのは、長いエメラルドグリーンの髪を束ねた、美しい少年。


魔海候フォルネウス。

深紅のルビー色をした瞳が印象を残す。


「驚いたな、あの怪物の本体がお前か」
その瞳が、腕組みのハリードを見る。
“あの怪物”を破った男だと分かっているはずだが、表情を変えることはない。
「だから何だと云うんだ?」
水を纏い、5人の来訪者と対面する前からその手に握られている三叉槍。
人間の気を察知して待ち構えていたわけではなく、常にこうして己の力を“視て”いるのだと、ハリードは分析した。
「あれは僕が生み出した僕の幻影…、けど、僕の力のほんの僅かしか持っていない、只の雑魚だ」
自身の幻影がまるで、疎ましいもの、失敗作、だと云わんばかりに、顔を歪ませた。
どこか偏執的な自負心が滲み出る。
「人を探している。話をさせてはくれんか」
「人間の事情に興味はない」
他の魔貴族が命を落としても、アビスへやって来た人間たちに仲間を救うという目的があっても、この少年には無関係なのだ。
アラケスもまた戦いに悦びを見出す男であったが、それとはまた違う。
目を剥いて5人を視る瞳に、純粋な闘争心を感じる。




足下に浮かぶ水が、渦を創り始めた。
瞬時に拡がり、5人を襲う。

「!!!」

魔力による巨大な渦潮。
シャールとトーマスは持てる魔力が幾らか威力を削らせたが、潜在魔力値の比較的弱いあとの3人はほぼ直撃を受けた。
それは甲高い音を上げ、飛沫になって消えた。
それぞれの流した血が、揺れる水面へ溶ける。
フォルネウスの幻影と闘ったハリードとエレンには覚えのある攻撃だ。
メイル・シュトローム、総てを呑み込む激流。

長い髪を翻し、眼前のハリードに向けて槍を突き出す。
「真のアビスの力を知れ!!!」
槍の柄を弾いた曲刀がその髪を掠めた。
一房がはらりと舞い、
数回、武器を打ち合った。
火花を散らす2人の力量が噛み合うと、
同じ間合いで、動きを止めて。
フォルネウスの髪が波紋に落ちて浮かぶ。


他の魔貴族どもは、人間に対して饒舌に語った。
魔王に屈しはしたが、彼らはそもそも人間という種族を軽んじ、敵とみなしてきたのだ。

この魔族の少年は、己の力のみを信じている。常にそれを試そうとする。
眼前の戦士を迎え撃つことだけが今の目的だ。
紅い眼差しは、戦いに必要な情報だけをかき集める。


再び水が渦の形を取る。
トーマスが玄武術で対抗を試みる、が、威力を半減さすに留まり。
シャールもまた朱鳥術で打ち消そうとして、しかし、歯が立たなかった。

5人の体は、強烈な打撃と無数の裂傷を二度目に受けた。間を置かずトーマスが回復術の光点を散らす。
少年が大剣に祈りを込めて放った衝撃波は、フォルネウスを纏う水が喰い千切った。
その水飛沫に姿を紛らわせ、ハリードが斬りかかる。が、槍の柄で防御。
一拍遅れて背後からエレンが飛び込むも、手を支点に槍を回転させ、振り向きざま斧のブレイドに当てられてしまった。
そして呪文詠唱と共に、5人に落雷を打ち込む。

更に、フォルネウスは三たび、メイル・シュトロームを発動させるが…、
シャールとトーマスの2人が揃えて腕を差し出す。
異なる系統の術法を掛け合わせる“合成術”である。
「3人とも、離れろ!」
フォルネウスの足下に魔法陣が描かれ、炎がたぎる。
「…く…っ!!!」
渦を掻き消したフレアは、フォルネウスの肢体をも呑み込んだ。
役目を終えた魔法陣が消える間もなく少年が懐を目掛けるが、それでも隙は見せない。
「甘いぞ!!」
少年が剣に溜めた邪気を、自らの魔力との衝突で空気中に発散させてしまう。


“宿命の子”と間近に睨み合っても、挑み来る戦士のひとりとしか見ていないのだろう。
交わる大剣と槍、力で勝るフォルネウスが少年を強引に剣ごと振り払った。
瞳で合図をし、ハリードとエレンの武器が刃を2箇所に滑らせる。
「こんなものか!!」
流れるような所作で双方を回避…しかし。

トルネード、との異名を持つ、曲刀の舞。
たった今の攻撃回避は当然、見切っていたハリードの、二太刀目。
「!!!」
左腕を斬り裂いた。

人間と同じ、紅い血、か。
ハリードは、魔貴族の少年の姿に、興奮めいた士気の高揚を感じていた。




シャールが放った火炎弾を包み込んでしまおうと、高波が起こる。
ほんの僅か炎が勝り、フォルネウスの髪と白い衣服を焦がした。
続いたエレンが槍に狙いを付け、戦斧で柄を叩き上げる。
それに腕を振られたフォルネウスだが、体勢を崩して生んだ隙は玄武術で埋めた。
5人に水の飛礫を降らせる。

肉体を殴打する飛礫。
一撃目の激流をまともに喰らったエレンと少年には、動きを奪うに充分な威力。
しかしハリードは強靭な肉体そのものが、この2人よりも幾ばくか持ち堪えさせた。
「!!」
フォルネウスの間近で地に手をついているエレンへ、三叉槍が振り下ろされる。
標的となった背中の上に、ハリードが覆い被さる。
「……ッッ!!!」
衝撃に、声を出すことはできなかった。


腰に突き立った3本の穂先はこれ以上、肉を割こうとしない。
「殺るなら、殺れ…」
「………」
「──ぐ…っ!」
フォルネウスは、槍を引き抜いた。
感情の無い顔で、ハリードを見下ろしていた。
「身を呈して仲間を護ろうなどという茶番は、戦いに不必要だ」
そう云い放った瞳は、水面を映して澄んでいる。
「…それは情けじゃないのか?」
「違う。女を殺させろ」
どうやら、美学…と呼べそうな、プライドに付随した信条があるらしい。

ハリードの唇が、にやりと笑う。
「後悔するぜ…」
満身創痍ながら、先ほどからの高揚は続いている。肉体は軽い。

対面した直後と同様に、2人が武器と武器をぶつけ合った。
近接攻撃に不向きな槍を握るフォルネウスだが、立ち回りの華麗さは、向き不向きの問題を忘れさせる。
ハリードは無心だった。
対戦相手の心身の状態や力量の分析も、忘れ去ってしまったわけではないが。
武人の血は知力を働かせるよりも、ただ、肉体を躍らせた。


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