大きな騒動に巻き込まれたことが出逢いで、一人旅をしていたその男に同行することとなった。
1年ほど経ったのち、彼は一人旅に戻った。
彼にとってはきっと、何度か繰り返してきた別れのうちの一つだ。
だから…。

去ってゆく後ろ姿を、最後まで見送ることはできなかった。
こみ上げる涙に喉が詰まり、早足で部屋へ戻ると、ほとんど倒れ込むようにしてベッドへ。
どれだけの間だったろう、エレンはただ、シーツを泣き濡らした。
外が暗くなった。食事もなにもせず、泣き疲れて眠った。

口の渇きで目覚め、水を飲んだ。頭痛と吐き気がして、ベッドに逆戻り。
脳が考えることを拒絶しているような、普段と違う種類の睡魔がやってくる。
そしてまた眠った。

二度目の夜が明けきらない頃、空っぽの胃がきりきり痛んで、起こされてしまった。
相変わらずの頭痛。
白湯を飲み、2日前に買ってあった果物を小さく切って食べた。

僅かな食物を摂取しただけだが、エレンの頭は考え事を開始した。
各地の知人に会いに、一人旅に出てみようか。
ここから故郷の村まで近いから、帰ろうか。
ぼろぼろと涙を落としながら考え事をして、すぐに中断した。



服を着替えて、髪を結い、ブーツを履いて、部屋を出た。
目的はないが、なんとなく。
そんなエレンに、カウンターから声がかかった。
「お嬢ちゃん、もしかして302号室にいるカーソンさんかい?」
「ええ、そうよ」
「あぁ、安心した。ずうっと出てこないから、病気で倒れてんじゃないかと心配で」
宿の女将だ。6部屋だけの小さな建物で、客の出入りを把握しやすいのだろう。
連れの人間が先にチェックアウトしたことを分かっているはずだから、もしかすると只ならぬ事情があることを気づいているのかも。
「でも、なんだか顔色が悪いね。食事は?」
「少しだけ…。今から食べに行ってくるわ」
「そうかい!良かったよ。気をつけて行っておいで」

思いがけず、見知らぬ人から優しくされること。今のエレンには堪えて、歩きながら涙を拭った。
泣き顔でどこかの店へ入ることは躊躇われるため、その足で公園へ。
久しぶりに吸う外の空気。
しばらく経って、食事を済ませると宿に戻る。
気分転換というか、泥沼から抜けたような気はした。

あの日の直感が蘇る。
突然思い立ち、荷袋を漁った。見慣れない革袋。
詰めてあった金を床にばらまき、金額を確かめると、ちょうど半額、にしては随分と多い。

優しい人だからそうしてくれたのだとも思えるけれど、エレンにとっては“手がかり”のような要素となった。
確信を抱いて、女将に街の地図を貰いに、すぐ一階へ下りる。









10年近くは遠ざかっていたアクバー峠。
リブロフを発って2日目に、それを越えた。
昔と違いその道程の中途までが整備されていたが、神王教団の者たちが切り拓いたのだろうか。
もっと若い時分ならば、勝手なことをしてくれて…と苛立っていたに違いない。
ルートヴィッヒが拠点をピドナへ移してからようやく気軽にリブロフへ立ち寄るようにはなったが、しがらみが多い地域だ。
詰まらぬ年月を消費したものだ。

独りで歩くことの懐かしさを実感するのは始めのうちだけで、長年そうしてきたことをよくよく思い起こす。
とうとう魔貴族と闘うまでに展開した旅。まさか自分が聖王と同じ真似をするとは夢にも思っていなかった。
それは無様な生き方をして来た自分にとっては、彩りとなるのかも知れない。
彼女がぼやいていたように、この世界の歴史に名を刻むことは…可能ならば遠慮したいものだが、どこかの誰かが書き残してしまうのだろう。


峠の岩場とそれを囲む森を抜け、草原が荒れ地になり、草木の姿の見えない一面の砂地へと移り変わる。
永い間踏み入れることのなかった砂漠地帯。
遠方には巨大な塔が見えている。建造中だというのにとてつもない高さだ。

砂漠のオアシス・ハマール湖の方角へ。
街へ着いてみると、褐色の肌の色をした人間も多かったが、少年時代を過ごした街とはまったく違う雰囲気だ。
神王教徒を中心に新しく作られ、発展していった街。
生まれ育った地だからと、教徒でないゲッシアの者も戻って住んでいるのだと聞く。
自分の顔を知った者がいれば厄介だと、身に纏っていた砂除けのローブを深く着込み、顔を隠す。

空腹を満たす為の食糧を買いに出た。片道分、体が動くだけの量は必要なのだ。
「お兄さん、でかい荷物持って、どっか出掛けるのかい?」
「ああ…、峠を越えるんだ」
「明日、あの辺りは雨になるそうだ。足を滑らせちまわないように気をつけてくれよ。これ、おまけに付けとくぜ」
袋に強引に入れられてしまった、1個のオレンジ。
「餞別だ、なーんてな!」
「かたじけない」
この街の人々…教徒の者にも、生活、人生、愛する人…大切なものがある。
それを奪うという企みは、例え復讐の名の下にあっても、罪な事だと思う。


到着してすぐ街を後にした。ハマール湖沿いに南下する。
その外周を囲む森の木々が砂嵐を遮っており、呼吸を深くすると、砂漠地帯であることを忘れさせる。
ハリードは深い思考に及ぶことなく、ただ、足を進めた。









エレンはまた外へ出て、街を駆け回っていた。
ゲッシアから移住してきた人々が集まるエリアへ辿り着き、聞き込みを。
「砂漠の南?王族の墓のことかな」
「! そこへどうやって行くか分かる?」
「残念だけど、王族の人たちしか知らないらしいんだ。峠を越えたら神王教団の街があるから、そこで訊いてみるといいんじゃないか」
「充分だわ。ありがとう」
情報収集の次に、不足の道具や食糧を揃えに。重くならないよう峠を越えられるだけの分に留める。
教団の街はかなり繁栄しているそうで、その先で必要な物はそこで調達できると踏んだ。


王族の墓、という単語を頭に入れると、王族の血筋をもつ彼だから、祖先に顔を見せに行くとかの目的は容易に連想される。
国が滅亡してからは足が遠のいていただろうし、知人のいるというリブロフを訪れて、そんな気にもなるのでは…

ところがエレンは、最短で“砂漠のずっと南”へ向かう手段を、と、息を切らす。
広大なる砂漠地帯で、ばったりと彼に逢えるなど都合の良すぎること、それはわかっている。
過酷な環境で行き倒れてしまう可能性のことも考えている。
それでも、ただ、ハリードに逢いたいという一心だった。

あの人はきっと、砂漠からは二度と戻ってこないつもりだ。だから、
あと一度きりでもいいから逢って、顔を見て、想いを伝えたかった。


「ただいま、女将さん」
「お帰り!おや、大荷物だね。出発かい?」
エレンはにっこり笑って、その大荷物を片腕で持ち上げる仕種。
「やっと元気になったの。心配してくれてありがとう」
荷袋をまとめ、得た情報を箇条書きで記して、夜明けを待った。


[前] [次]
[目次]
[一覧へ]
[TOP]