「勝手にしなさい!!!」


ロアーヌ城下町のパブに、女の張りのある声が響き渡る。
男の怒声に比べればやはり、声の輪郭は柔らかであるものだが。揉め事の気配には違いない。
店内は一瞬、静寂に包まれた。
「………」
女と口論をしていた少女がパブを飛び出す。
同じテーブルにいた青年が女に話をすると、会計の分らしき紙幣を託してから、少女の後を追って出て行く。
慌しさの中、開いた扉から呑気に射した斜陽。

間もなく、勤めを終えた男たちの宴は再開された。
パブに於いて揉め事は日常茶飯事で、人々は思うほど気に留めないものなのだ。



長い髪をひとつに束ねた、活発そうな印象の女、エレン・カーソン。
鍛えられて引き締まった健康的な体つきで、何人かの男が彼女をちらちらと見遣っている。
口論の相手はサラ。彼女の実の妹であるが、どうやら喧嘩別れとなってしまったようだ。
青年はトーマス・ベント。姉妹とは幼馴染。
また、姉妹喧嘩の前に姿が見えなくなっていたが、同じく幼馴染の青年、ユリアン・ノール。
4人はシノンの村の開拓民。村の自警団においても同じ班で、いつも連れ立って過ごしていた仲間だ。

今回、ロアーヌ候ミカエル不在の折、爵位を奪い取ろうという企みのもと、反乱を起こす男が現れた。
彼女たちはこの一件に(偶然巻き込まれてしまった形ではあったが)尽力。難局を乗り切った。
それから数日間、ロアーヌで休暇を満喫し、今日は仲間同士でパブへ来ていたのだが…。



誰もいなくなったテーブルの側で、扉を凝視するままのエレン。
「!?」
こつん、と後頭部に硬いものがぶつかった。
足下に転がったオーラム硬貨を拾い上げ、飛んできたほうを振り向いた。

カウンターで独り飲んでいる、褐色の肌をした男。
曲刀を手に、舞うように戦う姿から“トルネード”の異名を持つ剣士、ハリードである。
今回の騒動に巻き込まれた1人だ。
エレンの方を見て、ちょいちょい、と指で合図をし、隣へ座るよう促した。


「何!!?」
合図に従ってやっては来たが、例の張りのある声でハリードに怒鳴る。
「おい、金は返せよ」
「どうぞっ!」
ハリードの胸元に硬貨を投げつけた。そんな言動を見せつつも一応、隣の椅子へ。
「マスター、これはあっちのテーブルのお会計ね。それから、シードルを1杯ちょうだいっ」
紙幣と伝票を置いてまくしたてたエレンは、機嫌を損ねているのだと一目で判る顔をしている。
店主として店内での口論に耳を傾けていたようで、マスターは黙って微笑み、氷で冷えたグラスにシードルを注いだ。
「親父、勘定は俺の分に入れておいてくれ」
「あら、ありがと」
礼もそこそこにグラスを手に取ると一気に飲み干す。飲みっぷりにハリードが口笛を鳴らした。
露のつく間もなく空になったグラスは、豪快にカウンターテーブルへ叩きつけられた。
「取り残されたようだな。あいつらはどこへ行ったんだ?」
口の端に笑みが浮かぶハリード。店主と同様、顛末を耳に入れていたことは明白である。
エレンはそれを鋭く睨み返した。
「関係ないでしょ!いちいちうるっさいオヤジなんだから!!!」

ハリードとシノンの4人は、反乱の企みを知ったミカエルの妹モニカが、兄へ報せを届ける道中の護衛として行動を共にした。
その短い間ではあったが、エレンがどんな女か…気が強く、一度火が点けば収まらず…ということを、ハリードは把握している。
「そうカッカするな、シワになるぞ。美人が台無しだ」
「どさくさに紛れて褒めてもなにも出ないわよっ」
ハリードは黙ってメニュー表を差し、カクテルをオーダー。今度は味わって飲めと云い聞かせる。
素直に従ったエレンは、黙って一口ずつを口にした。
そうするうちに鎮まったのか、ハリードにこぼし始める。

「ユリアンは、モニカ様の護衛隊に入るんですって。大出世なんだから、喜ばしいことなんでしょうけど。
 それはともかく、あたしは当然、サラと一緒にシノンに帰るつもりだったの。
 なのにあの子、トムがお祖父様のいいつけでピドナに行くから、ついて行くって云うのよ」
辺境の村で出逢った若者たち。どうやら、今回の事件をきっかけに、環境が変化し始めている様子だ。
「邪魔になるって引き留めたら、もう子供じゃない、お姉ちゃんなんかいなくたって…なんて云うから、あたしもカッとなって、きついこと云っちゃったけど…」
ハリードは世を流れ、仕事の報酬を得て生きている。
ロアーヌで起きた今回の騒動は特殊ではあったが、問題なくこなせば、また次の仕事へ…という程度のこと。
「誰も何も相談なんかしやしないんだから。みんな、そうやって勝手にすればいいんだわ」
開拓民ぐらしに身を置いていたエレンにとっては、天地のひっくり返るような大事件だった。
まして、妹を含めた仲間が散り散りになってしまったとあれば。

ハリードの思っていたよりも、根の深そうな、エレンの苛立ち。
いや、口ぶりはまるで苛立っているかのようだったが、エレンは呆然としたような表情で、カクテルに口をつけて…
「あたしには甘いお酒を注文してくれるのね」
「渋いのがお好みか?」
「ううん…甘いほうがいいな」
グラスが空になると、エレンはしばらく黙った。



「お前はどうするんだ?」
「………」
「村へ帰るなら送ってやるぜ」
そのつもりでいたと、たった今話した。途中の森にはモンスターが出るから、有難い申し出だ。
しかし、エレンは首を縦に振れない。
幼い頃から共に過ごしてきた仲間が、妹が、村を離れて大きな城下町へ…。
そういった年齢ではあるのだ。若者は早ければ15くらいで独り立ちをする。20を過ぎればそれは一般的だ。
とはいえエレンには、家業を継ぐ道もあるのだが。
「…でも、あたし…」
負けず嫌いの性格のせいだろうか、悔しさもあって、村へ帰るという決断を下せなかった。


「エレン」
呼んだ声に顔を上げると、ハリードが肩に手を置いた。
「俺は北の方へ行こうと思う。お前も一緒に来い!」
「え?」
「親父、ご馳走さん」
「ちょ、ちょっと!」
代金をカウンターへ並べた手があっという間にエレンの腕を掴み、パブから連れ出した。




まだ賑やかな中央通り。
「ミュルスからツヴァイク行きの船に乗ろう。最終便がもうじき出るんだ」
腕をとられたまま、ハリードの後をついて歩くエレン。
「あたし、返事をまだしてないじゃない!」
相手が男とはいえ、何も誘拐してやろうというわけではないのだから、腕を捕らえる力は強くはない。
まして武術に傾倒してきたというエレンなら、手を振り払って逃げることは容易なはずだ。
そんな状況に於いて、返事を聞こうとは考えていなかったハリードである。
「そうか、悪かった。聞かせてくれ」
足を止め、腕を引いて向かい合わせに立たせる。
エレンは口を尖らせ、そっぽを向いてしまうが。
「…行ってあげるわよ。でも、あたしまだ宿の部屋に荷物を置いたままよ」
まんざらでもなさそうな表情、という風に、ハリードの目には映った。
「なるほど。あまり時間がないんだ、急ぐぞ」
今度は宿へ、そのまま腕を引いて方向転換。
「もう、強引なんだから!」


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